律令制下の農業と軍事(仮)
発端はアイテム集めミッションをお金で解決する話から
唐突に始まるマジメな話
@WINTERgneral @toshi540 日本の貴族は平安とかなら上級貴族は寄進があったから豊かだったし、出世争いに敗れ、地方国司になった貴族もうまく豪族なんかを纏められれば、上級貴族に寄進する代わりにめっちゃ豊かかつ旨味のある国をまわせてもらえた なお、国庫
2015-09-21 23:50:26@WINTERgneral @toshi540 んで、寄進をもらえる大貴族は国庫が空っぽの天皇家の代わりに内裏の修理や儀式の費用を負担する これが藤原道長なんかの時代のデフォ 国庫が空で家臣である貴族は給料がでないのに金持ちというねじれ
2015-09-22 00:05:18@UJIYASUKYOU @toshi540 律令とかで集めた租庸調とかその辺の税金は 国庫にはいらなかったん? 大貴族とかに徴税権売って ロイヤリティ貰ってたとかそんなん?
2015-09-22 00:07:41@WINTERgneral @toshi540 平安期には律令制が崩壊していて 国司や現地の豪族なんかが大貴族にロイヤリティを払う代わりに国に収める税をなくしてもらって税金なんてろくすっぽはいってこない ⇨国政が滞る ⇨インフラもどんどん悪くなる ⇨朝廷周りのみ治める形に
2015-09-22 00:11:08@UJIYASUKYOU @WINTERgneral それで地方の現場で働く現地人やそのまとめ役みたいのが武士になっていくという認識でいいんですかね?。
2015-09-22 00:19:30@toshi540 @WINTERgneral そう 軍制が徴兵制から少数精鋭の健児制という募兵制に切り替わるんだけど その頃中央貴族な重なる飢饉や疫病の頻発で介入しきれなくなり地方政治に興味をなくし、インフラや公共政策もおなざりになって治安維持が不可能になって農民が武装化した
2015-09-22 00:25:45@toshi540 @WINTERgneral 平安期とくに10世紀からは凶作、飢饉疫病の頻発で国庫は支出ばかりで仕方なく地方を切り捨てた そして地方は修羅の国と化し、強力な中央政府からの支配と保護から人民自身による自力救済へと変化した それは江戸幕府ができるまで続いた
2015-09-22 00:29:07@UJIYASUKYOU @WINTERgneral やる夫アフリカのコメで武装組織が地方を占拠するのを武士の起こりと一緒だと言ってましたが確かにできかたが同じですね。
2015-09-22 00:29:04武士の起源とアフリカの紛争のリンク:
泳ぐやる夫シアター やる夫はアフリカで奇跡を起こすようです その9 の※59132
>見捨てられた地方では、やがて弱体化した地方行政機構の合間を縫って、治安維持のための顔役が登場してくる。
>彼らはやがて武装化し、何もしてくれない中央政府に反抗するようになった。
平安末期の武士とか室町末期の戦国大名の発生の説明と言われたら誤解しそうなくらいそっくりな状況だなw
逆に言うとそれらの国々がまともになるにはあと数百年かかるというわけだ・・・。
@toshi540 @WINTERgneral そういうこと とくに自力救済思想と世紀末思想が広まったのがそれに拍車をかけた感じ
2015-09-22 00:30:09おコメの話
@WINTERgneral ただ、米より小麦の方が育てられるところは多い うどんとかほうとうとかが有名なところは水資源がなかったり、山だらけだったりで米を作れなかったからな
2015-09-22 00:51:55@WINTERgneral 寒いところで米を安定的にとれるようになったのは割と最近やで そもそも、飢饉ばかりで人口が減りまくったから江戸になるまでは土地が余っていた可能性が(ただしその分布が各国ごとで平等に分配されていたとはいってない
2015-09-22 00:57:23