私家版ハイデガースタディー08 時間を現勢的有限の規定とするとき人間は有力化する
- sunamajiri
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彼らの話題は、いかにプラトン的なものを非実体化させる根拠の規定を得るか、という問いであって、我々非西欧人が入り込めない話題なのは確かなのだが、この非実体性がカントで何を意味していたのかは、カント書以上に、菊池健三のカント解釈が奮ってる気がした。@kundhunda
2015-09-15 21:01:04ハイデガーでは、規定を形式的告示することが方法として意識化されているが、菊池健三の場合は、規定性であることを自明視することを方法としているために、カントが非実体性で、ニュートンやライプニッツのどんな実体性を批判したのかを判明に記述できているからだ。@kundhunda
2015-09-15 21:01:38菊池健三のカント動力学は、霊魂を実体としたライプニッツのデカルト解釈を批判するカントの霊魂は潜勢的規定だというものだが、ハイデガーのカント書の第四章のカントの人間学の命題を、自由の命題に買い換えることに成功している。もうちょっと咀嚼してからまた話題にしますが。@kundhunda
2015-09-15 21:26:38ちょっと触れておくと、菊池健三は、『カント書』第四章の人間学の命題、つまりカント『論理学』の問題を、回復として取り上げたハイデガーを退け、純粋に自由の問題として記述することに成功している。しかしこれに関してはもう少しテクスチュアルであるべきで、私は保留する。@kundhunda
2015-09-15 21:34:13カント書第四章の人間学(からの)回復が、カント的形式の誤謬なのかどうかなのだが、菊池健三はそれを回避して、自由の法則性を記述している。菊池→bit.ly/1iLVC5q カント書→bit.ly/1OcciQA @kundhunda
2015-09-15 21:43:57要するに、自由が、カントの言う人倫の形式性、つまりニュートン的な自然法則からの自由の形式性なのか、というのがハイデガーがカント書末尾の回復で、どう解釈されているのかが重要なのだが、ハイデガリアンはこの問を避ける傾向にあるように見受けられる。@kundhunda
2015-09-15 21:45:30しかしその前に、カント書や菊池健三の超越論的時間規定=純粋地平という、いわば純粋現象学に到る前に、ハイデガーのカント講義書(カントの純粋理性批判の現象学的解釈講義)を読むべきだ。ハイデガーの『存在と時間』の叙述の問題が、ほぼ規定の問題に形式化され解消している。@kundhunda
2015-09-15 21:46:18この問題は、菊池によれば、ハイデガーよりカントの形而上学講義に最も明示的表明的な、霊魂という根源規定(純粋規定)は、潜勢的非実体性の規定なのか(つまり脳のような身体は霊魂でないのか)という命題であり、ニュートンの絶対空間が質点を必要とした相対空間である~ @kundhunda
2015-09-15 22:01:35~といった、今日、極点の矛盾律を記述する素粒子論の問題と同型で、素粒子レベルでは実体性が存在していないから、根拠律は非実体性の規定なのか、という命題になりかねないので、私は素描というか雑談程度しかできない。bit.ly/1OsZzrJ @kundhunda
2015-09-15 22:01:52ただ、いずれにせよ、「極点」というのはハイデガーの言う眼前性、あるいは時間規定が与えるものとしての対象関係性にすぎず、おそらくそれが非実体的であるのは、矛盾律的というより、根拠律的なんだろうな、という感慨しか抱きようがない。@kundhunda
2015-09-15 22:04:05FAV案内。これ以降、カントの要約がチラ見出来るよ。twitter.com/sunamajiri/sta… 要するに、自然法則に拘束された感性を、自由にするものとしての構想力の話だが、菊池健三がハイデガーのカント書の構想力を批判している点は、そのうち纏める。@LitoSnowfield
2015-09-17 02:34:59そうです、ハーマンはカントより人間臭いんです。簡単な話よ。定言命法は二律背反に拘泥しないんです。第二批判以降というのは、自由という規定は神の第一原因性という、デカルトが要請した神のことだ、という批判なんです。人は自由になれないが、だから霊魂は不滅だというんです。@J_J_Kant
2015-09-17 01:19:31ツイートまとめ(^-^)/ 不可視化する権力、どっちが不可視化しているのか?という話題から、カントのいう非実体に転倒した日本の戦後思想をへめぐる雑談(^-^)/ facebook.com/kaoru.ohmoto/p… @J_J_Kant
2015-09-17 03:42:55「不可視化する権力、どっちが不可視化しているのか?という話題から、カントのいう非実体に転倒した日本の戦後思想をへめぐる雑談(^-^)/」をトゥギャりました。 togetter.com/li/874642
2015-09-17 03:59:49権力はパノプティコンだが、日本では不可視化が反転している。戦後、カントの言うような非実体性が、実体的に思想化されていないか? そこで権力化が起こったのではないか? そういう日本の戦後思想に対する批判となった雑談。togetter.com/li/874642 @J_J_Kant
2015-09-17 04:09:59権力は周囲の他人のことだと言いたいのだろうけど、神の存在証明ではなく要請ですよ。存在証明を終わらせたということですよ。それは他人を要請するという隠者さんのコミュニケーション論的な話とは異なるでしょう。@inja650rr bit.ly/1Ks4rM9
2015-09-17 21:47:13この被支配という話 bit.ly/1KRSRvU だよ。神の存在証明が隠蔽していたものが要請によって顕現してしまうということよ。隠れるというような被支配の話ではないですよ。@inja650rr その権力の正当性は神の要請により成立するように私には思えたのです。
2015-09-17 23:37:01人間を記憶力の産物だと物質化してると、猿の悟性に馬鹿にされるぞ(^-^)/ チンパンジー、名場面を記憶? 実験動画、24時間後も反応―京大(時事通信) headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150918-… 生存に関わること以外でも、類人猿が長期の記憶を持っていると説明。
2015-09-18 04:46:36なぜ中国が恐ろしいかは、西欧人の言う神を殺す文字を持っているから。なぜ西欧人が日本に一目置くのかというと、その漢字を摂取しながらも、中国になっていないからなのだ。日本は安泰だよ、私はそう思う。@Zipplin_999
2015-09-19 12:21:52(要請を)存在証明だとまだ思ってるということですよ。ハイデガーがカント書について、神様は形而上学などしない、といったわけだが、まだ諦められず、人を神だと思ってる人がいるってことでしょう。@LitoSnowfield
2015-09-21 05:57:03主観的という言葉を否定的に考える人が多い。しかし、主観=憶見というのは一方の思い込みに過ぎないだろう。人は純粋客観に触れることはできないのだから、客観的であろうとどこまで行っても主観の軛を逃れることはできないはずだ。間主観とか共同主観という概念もぼくにはまやかしに見える。
2015-09-21 10:14:22ちなみにだ、菊池健三がカント書の第四章を斥けるというのも、構想力は人間学のテーマではないからだ。動物でも機械的な記憶力ではなく、時間的動力学的な構想力によって、直感や感性に触発される自発性、霊魂を持っている、という規定の要請のことだ。twitter.com/sunamajiri/sta…
2015-09-21 16:19:11ハイデガーのカント書を菊池健三はここで退けています。twitter.com/sunamajiri/sta… @estei_st
2015-09-21 02:42:08おそらく、産出的構想力、超越論的時間規定、図式論の純粋規定が霊魂という非実体であるというのは、ハイデガーがカント書第四章で、人間学への回復とするよりも、より動物論的なのだ。カントが晩年に構想したそうだが、動物という生命は構想力=脳を持つ霊魂の謂で、機械的な記憶力があるのではない。
2015-09-21 16:22:33ツイートまとめ(^-^)/ 機械なら記憶力だが、本能のある動物には構想力があるのだ。 facebook.com/kaoru.ohmoto/p…
2015-09-21 16:24:43今日は、デカルト~カントを旅行的差異だという柄谷のハイデガー批判 twitter.com/sunamajiri/sta… と、カント書の構想力は人間ではなく動物のことだ、という菊池健三のカント論 twitter.com/sunamajiri/sta… を、綜合させられていたらしいww(^-^)/
2015-09-21 16:30:21ツイートまとめ(^-^)/ タモリがズラす重苦しさというのは、敗戦を終戦と濁す修正主義のことにすぎず、原理的な問題ではないから、彼はビビるだけの芸風だ、という長ーーーーい話のログ。facebook.com/kaoru.ohmoto/p…
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