Lot.n歴史カフェ「和魂の才~成熟社会の江戸技術~」

Lot.n(ロットン:沼津市上土町)で毎月開催している歴史カフェ。 10月は江戸時代末期の日本の技術がテーマ。 明治維新後の「文明開化」。進んだ技術を取り入れることによって近代化を図る試みは各国で行われたが、急速な社会変革に順応できたのは日本だけであった。 明治の近代化政策以前には日本に「文明」は無かったのか。その下地となった江戸時代の科学技術について紐解いていきます。 続きを読む
27
前へ 1 2 ・・ 9 次へ
Moka Hirata @mokaaan

シドッティの取り調べにあたったのが、新井白石。白石はシドッティの学識の広さを認めて、処刑は勘弁してやった。でも、シドッティ、勝手に洗礼を施して、地下牢に入れられちゃう。シドッティ、自重しろwww #歴史カフェ #かるのーと #lotn

2015-10-06 19:00:33
リンク Wikipedia ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティ ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティ(シドッチ、イタリア語: Giovanni Battista Sidotti、寛文8年(1668年) - 正徳4年10月21日(1714年11月27日))は、イタリア人のカトリック司祭。江戸時代中期の日本へ潜入して捕らえられ、その死まで江戸で幽閉された。時の幕政の実力者、新井白石はシドッティとの対話をもとに『西洋紀聞』などを著した。 現在のイタリアのシチリア貴族の出身。特定の修道会に所属しない教区司祭で、ローマ教皇庁の法律顧問を務めていた。東アジアに派遣された宣教師ら
リンク Wikipedia 新井白石 新井 白石(あらい はくせき)は、江戸時代中期の旗本・政治家・朱子学者。一介の無役の旗本でありながら六代将軍・徳川家宣の侍講として御側御用人・間部詮房とともに幕政を実質的に主導し、正徳の治と呼ばれる一時代をもたらす一翼を担った。家宣の死後も幼君の七代将軍・徳川家継を間部とともに守り立てたが、政権の蚊帳の外におかれた譜代大名と次第に軋轢を生じ、家継が夭折し八代将軍に徳川吉宗が就くと失脚し引退、晩年は著述活動に勤しんだ。 学問は朱子学、歴史学、地理学、言語学、文学と多岐に亘る。また詩人で多くの漢詩が伝わる。白
Moka Hirata @mokaaan

ヨーロッパが欲しかったのは、日本の銅。純度99.9%だったみたい。チョッ、どんだけ。当時は年間60トンくらい輸出してた。 #歴史カフェ #かるのーと #lotn

2015-10-06 19:03:11
Moka Hirata @mokaaan

江戸参府。長崎の出島から、江戸幕府に東海道をエッチラオッチラ歩いて行く事。三島には象泣き坂っていうのがある。おみやげの象が、坂がきつくて鳴いたってことらしす。湖西の方にもあるらしい。 #歴史カフェ #かるのーと #lotn

2015-10-06 19:05:03
Moka Hirata @mokaaan

長崎屋、オランダ人の常宿。オランダ人が来ると、江戸っ子たちが野次馬で集まったらしい。一般人はオランダ人との接触は禁止。知識人など一部の上流階級のみに接触が許されていた。 #歴史カフェ #かるのーと #lotn

2015-10-06 19:06:38
Moka Hirata @mokaaan

江戸参府の時には、オランダ人が西洋の情勢をまとめた報告書を幕府に献上していた。実は、黒船が来るのも知っていた!? #歴史カフェ #かるのーと #lotn

2015-10-06 19:07:39
リンク Wikipedia カピタン江戸参府 カピタン江戸参府(カピタンえどさんぷ、Hofreis naar Yedo)は、オランダ商館責任者である商館長=カピタンの、日蘭貿易「御礼」のための江戸への旅。「御礼参り」「拝礼」とも称される。 長崎のオランダ商館はオランダ東インド会社の日本支店であり、商館長であるカピタンは対日貿易の維持・発展を願って、貿易業務を終えた後の閑期に江戸へ参り、将軍と世子に対する謁見(拝礼)と献上物の呈上を行った。その際には、老中や若年寄といった幕府の高官たちへも進物を贈った。カピタンの「御礼」に対し江戸幕府側は、貿易の許可・
Moka Hirata @mokaaan

江戸幕府は貿易赤字に悩んでた。オランダの砂糖、中国の漢方薬などは大幅な貿易不均衡の原因だったみたい。吉宗は蘭学を解禁することで、日本に技術を取り入れ、貿易不均衡解消につながれば、と考えたらしい。 #歴史カフェ #かるのーと #lotn

2015-10-06 19:10:15
Moka Hirata @mokaaan

そんな蘭学の導入で、本草学(植物学)が発達。主に薬草の研究が行われた。本草綱目が中国から持ち込まれて、漢方の研究に用いられたが、当然日本にない植物も多かった。 #歴史カフェ #かるのーと #lotn

2015-10-06 19:12:30
リンク Wikipedia 本草綱目 本草綱目(ほんぞうこうもく)は、中国の本草学史上において、分量がもっとも多く、内容がもっとも充実した薬学著作である。作者は明朝の李時珍(1518年 - 1593年)で、1578年(万暦6年)に完成、1596年(万暦23年)に南京で上梓された。日本でも最初の出版の数年以内には初版が輸入され、本草学の基本書として大きな影響を及ぼした。中国では何度も版を重ねたが、日本でもそれらが輸入されるとともに和刻本も長期に亙って数多く出版され、それら和刻本は3系統14種類に及ぶ。 慶長12年(1607年)、林羅山が長崎で本
Moka Hirata @mokaaan

貝原益軒、本草綱目じゃなくて、ちゃんと日本の植物を研究しなきゃダメだろjk、ってことで大和本草を書き表す。その後和漢三才図などが作られていく。日本の植物のことが、いろいろわかっていった。 #歴史カフェ #かるのーと #lotn

2015-10-06 19:13:59
リンク Wikipedia 貝原益軒 貝原 益軒(かいばら えきけん、1630年12月17日(寛永7年11月14日) - 1714年10月5日(正徳4年8月27日))は、江戸時代の本草学者、儒学者。 筑前国(現在の福岡県)福岡藩士、黒田藩の祐筆であった貝原寛斎の五男として生まれる。名は篤信、字は子誠、号は柔斎、損軒(晩年に益軒)、通称は久兵衛。 1648年(慶安元年)、18歳で福岡藩に仕えたが、1650年(慶安3年)、2代藩主・黒田忠之の怒りに触れ、7年間の浪人生活を送ることとなる。1656年(明暦2年)27歳、3代藩主・光之に許され、藩医と
リンク Wikipedia 大和本草 『大和本草』(やまとほんぞう)は貝原益軒が編纂した本草書である。1709年(宝永7年)に刊行された。明治時代に生物学や農学の教本が西洋から輸入されるまでは日本史上最高峰の生物学書であり農学書である。現在、江戸時代までの生物学書や農学書の資料は大和本草以外は残っておらず、当時の日本独自の生物学や農学を知る上において第一級の資料である。 益軒は『本草綱目』の分類方法をもとに独自の分類を考案し編纂、収載された品目は1,362種、本編16巻に付録2巻、図譜3巻、計21巻。 薬用植物(動物、鉱物も含)以外にも、農産
Moka Hirata @mokaaan

帯笑園(沼津市原)。植松さんが作った植物園。江戸時代に温室を作っていた...だと(゚A゚;)ゴクリ 東海道に面していたこともあり、参勤交代の大名さんたちが立ち寄ったりしていた。 #歴史カフェ #かるのーと #lotn

2015-10-06 19:16:06
Moka Hirata @mokaaan

帯笑園は今でも狭くなったけど、残ってるよ~。月一回公開されてるみたい。 #歴史カフェ #かるのーと #lotn

2015-10-06 19:16:42
かるの @karunohumihito

@mokaaan 私が見学した時(2012年)の写真です。→goo.gl/photos/7gAtu7p…

2015-10-07 12:26:17
Moka Hirata @mokaaan

帯笑園に入った人は、お金じゃなくて和歌、書、絵画などの作品を残していくのが習わしだった。ってことで、結構貴重なモンが残っているみたい。 #歴史カフェ #かるのーと #lotn

2015-10-06 19:19:51
リンク はてなダイアリー 東海道原宿帯笑園見学 - 歴史を極める旅の人生 21日に原宿の帯笑園の見学会に参加してきた。 東海道原宿にある帯笑園は、原宿の問屋職も務めた宿場の有..
Moka Hirata @mokaaan

蘭学によって、外科技術も格段に進歩。五臓六腑なんていうのは、この時代にできた言葉。 #歴史カフェ #かるのーと #lotn

2015-10-06 19:23:42
Moka Hirata @mokaaan

杉田玄白「このままじゃ、まずかろう」ってことで、オランダの医術書を翻訳。解体新書を表す。 #歴史カフェ #かるのーと #lotn

2015-10-06 19:24:52
リンク Wikipedia 杉田玄白 杉田 玄白(すぎた げんぱく、享保18年9月13日(1733年10月20日) – 文化14年4月17日(1817年6月1日)は、江戸時代の蘭学医。若狭国小浜藩医。私塾天真楼を主催。 父は杉田玄甫、母は八尾氏の娘。 杉田氏は近江源氏である佐々木氏の支族である真野氏の家系。後北条氏に仕えた真野信安のときに間宮姓に改め、子の長安の代に復姓。医家としては、玄白で3代目にあたる。同時代に活躍し、間宮海峡にその名を残す探検家である間宮林蔵は同族である。 江戸、牛込の小浜藩酒井家の下屋敷に生まれるが、生母は出産の際に死
Moka Hirata @mokaaan

華岡青洲。和歌山の町医者。外科治療に関心を持ち、全身麻酔手術を成功させる。チョウセンアサガオなんかが、麻酔の原料。「華岡青洲の妻」っていう映画にもなってるみたい。嫁で麻酔の人体実験したらしいっすよ。 #歴史カフェ #かるのーと #lotn

2015-10-06 19:27:21
前へ 1 2 ・・ 9 次へ