私家版ハイデガースタディー10 沈黙から語りへの転回の内的必然性
- sunamajiri
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ハイデガーはヘーゲルが自己反省を素朴に形而上学している、という批判を、フッサールの内的時間意識の素朴実在論を指摘することで、地平=体系というわけだけど、リッケルトやフッサールは指導教官なわけで、はっきりそういわないわけです。しかし順序ってものがある。@BeTakada
2015-12-04 00:47:37順序性を明らかにするのは常に真正な順序性なのです。ハイデガーですらぎりぎりこの順序性が散逸的なのです。しかしGA3カント書で、本来的形而上学に取りまとめられているので、その順序性を度外視すれば、すべて非本来的形而上学への頽落です。@BeTakada
2015-12-04 00:39:25その脱自態の内実は、素朴な反省ではなく、時性であり、それは想起時間という原因性ではなく、予感のような現存在の超越の仕方=方法である、という問い方がハイデガーのテクストに散逸しているので、それを取り集めればいいだけです。しかしそれを怠ると単なる宗教です。@BeTakada
2015-12-04 00:36:59なので、転回の内的必然性というGA26(事実性の基礎存在論から脱自態への転回)を、三種の綜合(GA25)の根とするのが根拠律であり、カントの人間学は本来的に、そのような形而上学だ、というGA3の順番でなければ、このことを話題にすることは不可能です。@BeTakada
2015-12-04 00:33:00ハイデガーの転回というのは、語り方=方法的懐疑の自覚性のことだと先述しましたが、それは哲学ではなく哲学の語り方としての文学への転回です。私は文学の側なので、哲学的態度という問題からは転回しているからこそ、本来的形而上学を話題に出来るだけの話です。@BeTakada
2015-12-04 00:30:11たとえば、bit.ly/1LRciik は、ハイデガーでは事実性の基礎存在論であるからこそ、本来的な形而上学への転回ということが問題になったわけで、転回を無視したら、単なる宗教ですよ。bit.ly/1PzWMPR @BeTakada
2015-12-04 00:27:38現前=背後に実体がないこと、ですよ。意志の自由も純粋自我といった同一律=実体も、ハイデガーの語体系=根拠律=地平には、無でしないのでは? 時間以外は問いとして語れない、という程度のことですよ。@BeTakada
2015-12-03 00:23:20あらましをいうと、ハイデガーは転回までは、真理は同一性のことではなく、隠蔽されたものの開示だ、生産的想像力だ、と論証しようとしていて、転回後は、開示を実践しまくる、といった按配。@inja650rr 想像(imagine)をさせない為の方策が、当時は検閲 @BeTakada
2015-12-02 19:09:29@sunamajiri @BeTakada はいスッキリします。 本質を隠蔽し、 想像(imagine)をさせない為の方策が、当時は検閲、或いは異端審問という制度だったのかもしれませんね。
2015-12-02 19:05:30宗教的検閲だものね。それで素朴実在論、つまり思考停止が蔓延したのだろうが、ハイデガーでは真理というのは、そういう隠蔽を解体することなのよ。twitter.com/sunamajiri/sta… @inja650rr @BeTakada
2015-12-02 18:50:53被解釈性は、眼の前のコップが、コップだと先学的に了解できることです。しかしそれは文化的歴史的な刷り込みにすぎない。その最たるものが、とくにデカルトによる、心身二元論という真理の規定の仕方なのです。@BeTakada pic.twitter.com/P9wUE28fyR
2015-12-01 13:02:49@sunamajiri @BeTakada デカルトの時代には「我想う故に我あり」 …という事すら赦されていなかったのかもしれないと僕は思います。 つまりそれは「思想の自由」の制限だったのではないかと思うのです。 twitter.com/inja650rr/stat…
2015-12-02 18:35:08人間にとって最も公平に与えられた権利とは「考える」という営みなのではないだろうか? たとえ法により思想の自由が制限されていたとしても… 「考える」…その行為そのものは何者にも制限のされようがない事なのだ。 twitter.com/J_J_Kant/statu…
2015-11-23 10:19:24そうそう、つまりデカルト以後でいうところの方法的懐疑よね。ハイデガーはそれを厳密にやりまくるよ。戦中戦後だけど。戦時中そればっかり没頭してたらしい。@inja650rr それ以上に考えるコトではないかと思ったりします。(∩´∀`)∩ @BeTakada
2015-12-02 18:29:23ロゴスからミュトス、つまり遡行は、時間論でしか語れないんです。想起を語ると、それは全て第一原因のことです。しかし脱自的時間を語ると、それは現存在の生起。しかし、二重襞は、現前の自己隠蔽、お隠れです。それが方法的懐疑のことだ、というのが戦後のハイデガーでしょう。@BeTakada
2015-12-02 18:21:25@sunamajiri @BeTakada こんばんわ。丁度、アナクシマンドロスについて考えていたところでした(^^)/ 人間のアルケーは火でも水でも土でも空でもなく、それ以上に考えるコトではないかと思ったりします。(∩´∀`)∩ twitter.com/inja650rr/stat…
2015-12-02 18:11:26@miro_pias そう!タレスもアレクシマンドロスも考えた。考えるからこそ哲学者であり、哲学者とは人間であることの証明。 合っているかどうかは最早別問題。 考える事こそが人間の根源だと思う😺
2015-12-02 16:55:58カント書後のアナクシマンドロス論は、従来は法的(カント的)に誤訳された古代ギリシャの箴言(詩)を、現前の動性=時性の方法として、翻訳し直す議論です。現前するものの現前すること、という二重襞は方法的懐疑の別名です。@BeTakada
2015-12-02 18:08:06GA26のカントの「我々の外の二重性」、つまり物自体と現象は、非本来的形而上学である素朴実在論が強いる、根源的直観=客観という神の視点で語ることの困難で、ハイデガーの転回は、神の視点では語れないことを語るための、生産的構想力を問題にしていたのです。@BeTakada
2015-12-02 18:02:08「二重襞」はハイデガーの戦中戦後のアナクシマンドロス論に出てくる「現前するものの現前すること」、つまり動性のことで、存在論的差異を文字通り転回したものと思えますが、GA26のカントの「われわれの外」の二重性との関連まで、私は意識していなかった。@BeTakada
2015-12-02 17:55:08@sunamajiri 二重化とは、潜在化された経験を含む歴史と、経験に先立つ直感と理性に照らし、常に、その瞬間瞬間に生起し又泡の様に消え歴史に潜在化する事象なのだから、共感を超え歴史を超越する事が存在論に意味を与える唯一の方法なのだ、という解釈で良いのでしょうかね^^;
2015-12-02 17:34:41実存の事実性から思惟(基礎存在論)してしまうと、存在論的差異だが、事実性から転回してしまえば、現前するものの現前することという二重襞の、自己隠蔽のことだ、という語り方の方が、シックリくるんだよね。それが戦後だし。さもないとお隠れになる。
2015-12-02 12:23:11はやく、二重襞の話にしたいのだが、その過程を楽しまなきゃね(^-^)/ @aoinatsunosora
2015-12-02 10:59:47そうそう、フォロワーから切れ味の悪さを取り払ってと要求されるから、身も蓋もなくしてあげてるけど、あれは読み応えがあるのよ。いまはカント書までをいってるけど、戦後の形而上学入門のパルメニデスをとっても、アナクシマンドロスの箴言とっても、うっとりする。@aoinatsunosora
2015-12-02 10:59:15@sunamajiri なんにせよ巨人ですから取り組み甲斐があるんでしょう。自分はMP読みとしてハイデガーを別の意味で愛してます。
2015-12-02 10:54:19そうそう。あれがたまらんよね(笑)。あの切れ味の悪さを取り払うと、現代人の普通の日常なんだけどね。まあ中世人が聞くとぶっ飛ぶんでしょうか?(笑)。@aoinatsunosora あの切れ味の悪さにはまっちゃう人も多いんですよね。笑
2015-12-02 10:52:25