江戸時代の来日外国人の文献に見る日本

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武田将明/Masaaki Takeda @swiftiana

なぜこんな遊びを考えたかというと、本来のわたしの専門分野である『ガリヴァー旅行記』に、Xamoschiという架空の日本の港が出てくるのです。多くの日本語訳では「ザモスキ」とカタカナ表記される地名ですが、夏目漱石は「クサモシ」と読んでいます。(まだまだ続きます。。。)

2016-03-09 12:25:45
武田将明/Masaaki Takeda @swiftiana

実はこのXamoschiが「下総(しもうさ:いまの千葉県北部)であることを、島田孝右さんが1983 年に指摘しました。ケンブリッジ大学出版から刊行された最新版のスウィフト全集でも、ここには「Shimosaのこと」と注がつき、島田さんの論文が参考文献に挙げられています。

2016-03-09 12:27:16
武田将明/Masaaki Takeda @swiftiana

島田さんの論文は、『ガリヴァー旅行記』の本文に加え、同時代の地図などを丹念に調査した上で書かれたもので、たしかにスウィフトの時代に刊行された日本地図には“Ximosa”という地名が出てきます。スウィフトはこれを少しいじって“Xamoschi”を作ったというわけです。

2016-03-09 12:28:08
武田将明/Masaaki Takeda @swiftiana

もちろん、下総は地方であって町の名前ではないのですが、これも当時の地図を見ると、町の名前のように記したものが多いのです。そんなわけで、島田さんの説には説得力があるのですが、それでは“Xamoschi”を「サモーシ」と読むべきかと言えば、これはまた違う話です。

2016-03-09 12:28:42
武田将明/Masaaki Takeda @swiftiana

カタカナの「ザモスキ」では決して下総を連想はできないものの、なにか捨てがたいエキゾチックな味わいがあります。実は同じ『ガリヴァー旅行記』では、長崎が“Nangasac”と表記されており、多くの日本語訳では「ナンガサク」と訳されているはずです。

2016-03-09 12:29:56
武田将明/Masaaki Takeda @swiftiana

ですが“Nangasac”の“nga”は鼻濁音を示したものなので、「ナガサク」とカタカナ表記するか、普通に「長崎」と書いた方が「正しい」でしょう。でもこれも、翻訳では「ナンガサク」の方がフィクションぽくてよい、という判断も可能です。

2016-03-09 12:30:29
武田将明/Masaaki Takeda @swiftiana

17世紀にイギリスで刊行された日本関係の書物のうち、代表的なもののひとつにモンタヌス『日本誌』(Montanus, Atlas Japannensis)があります。1669年にオランダ語で刊行されたものですが、1670年に英訳が出ています。

2016-03-09 12:30:53
武田将明/Masaaki Takeda @swiftiana

ちなみに日本の古本屋でモンタヌス『日本誌』のオランダ語版初版を売っていました。130万円という貫禄の価格。これでは研究費で買うわけにもいきません。ちなみに英語版の『日本誌』は柏書房から復刻されています。島田孝右さんが編集・解説されたこちらは約15万円。少し現実的な値段、かな?

2016-03-09 12:33:45
武田将明/Masaaki Takeda @swiftiana

モンタヌス『日本誌』は、カロンの『日本大王国志』をほめたケンペルによって、信頼できない書物と言われています。実際に読んでみて、ケンペルの批判ももっともだと思いましたが、なかには事実かどうかは別にして面白い記述があります。

2016-03-09 12:34:19
武田将明/Masaaki Takeda @swiftiana

モンタヌス『日本誌』の特徴は、信長に関する記述が多く、しかも、冗長に流れがちな本書にあって、この箇所は特に筆が冴えている印象があります。モンタヌスは信長のファンだったに違いありません。ちょっと見てみましょう。

2016-03-09 12:34:51
武田将明/Masaaki Takeda @swiftiana

ノブナンガはすべてを破壊する。ついには皇帝を廃し、みずから帝位についた。これはこの国の伝統を象徴する聖職者ボンジーたちの反撥を招き、彼らに和したカイノチューノ地方の王ジングイエンがノブナンガを弾劾する手紙を起草する。

2016-03-09 12:35:29
武田将明/Masaaki Takeda @swiftiana

もっともこのジングイエンも父の王位を簒奪した上に息子を殺害した野心家であり、自分の王位を権威づけるためにボンジーたちの力を利用したのである。このときジングイエンと共に立ったプリンス・アケーキが、ついに稀代の暴君ナブナンガを討ち果たした。

2016-03-09 12:35:54
武田将明/Masaaki Takeda @swiftiana

しかしナブナンガの次に帝位についたのは、ナブナンガの将軍のひとりファシーバであった。このファシーバ、元はトキージローといい、卑しい身分の出身であった。

2016-03-09 12:36:20
武田将明/Masaaki Takeda @swiftiana

そんな彼を煙たがっていたノブナンガ皇帝の妻の弟ジバタドーノとの後継者争いを制してこの国の皇帝となったファシーバは、タイコサーマと呼ばれることになる。

2016-03-09 12:36:26
武田将明/Masaaki Takeda @swiftiana

以上、Montanus, Atlas Japannensisの174ページから181ページあたりの内容を、勝手にまとめました。お分かりのとおり、モンタヌスはかなり史実を取り違えています。でもだいたいなんのことか分かりますよね。カタカナ表記は例によって適当です。(連投終わり)

2016-03-09 12:37:01
武田将明/Masaaki Takeda @swiftiana

先ほど『ガリヴァー旅行記』でガリヴァーが上陸したとされる日本の港Xamoschiが下総であるという研究を紹介しましたが、三浦半島の観音崎だという説もネットではみかけます。『ガリヴァー旅行記』で町おこしをするというのはとても夢のある話で、研究者としても嬉しいです。(続く)

2016-03-09 15:04:26
武田将明/Masaaki Takeda @swiftiana

もっとも、2012年になってXamoschi=観音崎説が中学校の英語の教科書で紹介されたというニュースには、少し違和感を覚えました。これが下総であることは、同年に刊行されたケンブリッジ大学出版局の全集で紹介されているだけでなく(続く)

2016-03-09 15:08:56
武田将明/Masaaki Takeda @swiftiana

2005年にオックスフォード大学出版局から出たペーパーバックの『ガリヴァー旅行記』にも明記してあります。この説は、先ほど述べたとおり1983年に島田孝右さんがNotes & Queriesという雑誌で発表したもので、かなり前から定説になっています。

2016-03-09 15:13:28
武田将明/Masaaki Takeda @swiftiana

もちろんXamoschiというのは架空の港町なので、極端な話、日本のどこであってもよいのです。ただ、Xamoschiが観音崎であると学問的に証明するにはいくつかの手続きが必要です。まず、17〜18世紀の日本に関する地図や文献にKannonzakiが記されていなければなりません。

2016-03-09 15:17:40
武田将明/Masaaki Takeda @swiftiana

私はこの分野に特に詳しい訳ではないですが、乏しい知識に照らしたかぎり、Kannonzakiに関する記述は見たことがありません(ご存じの方がいればぜひ教えてください)。他方、下総についてはXimosaやShimoosaという表記が実際の地図に見られます。

2016-03-09 15:20:19
武田将明/Masaaki Takeda @swiftiana

このうちXimosaと書かれた地図の作者Herman Mollは、『ガリヴァー旅行記』の本文に、ガリヴァーの友人として名前が出てきます。また、仮に観音崎が当時の文献に出てくるとしても、それが近代以降のローマ字表記であるKannonzakiと同じとは限りません。

2016-03-09 15:23:47
武田将明/Masaaki Takeda @swiftiana

当時の表記を考えると、例えばCannonzaqueという綴り方もありえます。そして観音崎説の大きな論拠のひとつは、KannonzakiやKannosakiを筆記体にするとXamoschiと似ているというものなので、この点を証明する史料を見つけないといけないでしょう。

2016-03-09 15:27:48
武田将明/Masaaki Takeda @swiftiana

夢を壊すようなことを書いたかもしれませんが、目下のところXamoschi=下総説が最有力なのは否定できません。ただ、これも唯一の真実とは限りません。『ガリヴァー旅行記』という豊かな含意のある作品から、観音崎説も含め、様々な想像を膨らませられればよいのではないでしょうか。

2016-03-09 15:34:31
武田将明/Masaaki Takeda @swiftiana

フィデーリとオンゴスキオの物語のネット上のまとめを見たら、ケンペルの『日本誌』を訳した数日前のツイートが最初に組み合わされていた。物語の箇所だけまとめた方がスッキリするとは思うのだが、別にそれは構わない。ただ、そこだけ読んで批判的に反応する人がいるのに驚いた。

2016-03-11 12:38:25
武田将明/Masaaki Takeda @swiftiana

「精神的な鎖国」と呟いたのはやや誇張が過ぎると自分でも思うが、あのツイートのほとんどはKaempfer, History of Japanの340ページを翻訳したもの。誤訳があれば指摘していただきたいが、元の記述を歪めた訳ではない。

2016-03-11 12:42:27