奥会津の国衆、山内・河原田両氏と蘆名氏との関係について(付 訂正と反省と高村不期さんからの慰め)

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三浦介 @miurano_suke

『福島史学研究』95(2017.3)掲載の柳内壽彦氏「中世伊北郷の歴史」はなかなか興味深かった。

2017-04-14 12:00:24
三浦介 @miurano_suke

ざっくり言うと、 ・山ノ内氏は1400年代に入るまで一次史料上登場しない。そして一次史料上は当初伊北郷は長沼氏が支配していた→つまり会津は大きく南北に二分されて北半分が佐原氏に、伊北郷を含む南半分が長沼氏に与えられたのではないか(続く)

2017-04-14 12:01:02
三浦介 @miurano_suke

・下野長沼領に河原田の地名があり、河原田氏は長沼氏の分流の可能性がある? ・その後、伊北郷は長沼氏→蘆名氏と領主権が移っており、蘆名氏による支配が天正後期まで続き、一次史料からは山ノ内氏が支配した形跡は認められない とのこと(あくまで僕の理解ですが)。

2017-04-14 12:02:32
三浦介 @miurano_suke

となると横田山ノ内氏の領主権が及ぶ範囲は通説よりも小さく、蘆名氏のそれはより大きかったことになる。 県内自治体史等では山ノ内氏や河原田氏の自立性が強調されているきらいがあるが、(続く)

2017-04-14 12:03:40
三浦介 @miurano_suke

山ノ内舜通、氏勝の二代は明らかに蘆名氏(盛舜、盛氏)から偏諱を受けていると思われること、しかも猪苗代盛国が上の一字を受けているのに対し山ノ内父子は下の一字であること、(続く)

2017-04-14 12:04:42
三浦介 @miurano_suke

また河原田氏には蘆名氏から富田氏が派遣されて常駐していたらしいこと(「伊南村史」)などから考えて、この両氏は今まで考えられていたよりも強く蘆名氏に従属していた可能性があるのではなかろうか。

2017-04-14 12:05:05
三浦介 @miurano_suke

以前呟いたこの(↓)について訂正。『伊南村史』によると富田氏は河原田氏に養子をいれたという後世の記録があり、会津から伊南に派されたのは佐野氏ということ(「佐野家系図」)でした。 記憶で呟くのはやはり危険だ…失礼いたしました<(_ _)> twitter.com/miurano_suke/s…

2017-04-24 14:07:37
高村不期 @buqimingri

@miurano_suke 私もよくやらかしますが、訂正ができるなら問題はないかなと居直っています。専門家の記名記述じゃないですし。 こういった記憶を人目に晒す行動って、曖昧な情報を「ちょっと待てよ」と緊張して調べ直したりするので、考えをまとめる手法としては有効なのだと思いますよ。

2017-04-24 14:22:21
三浦介 @miurano_suke

@buqimingri ありがとうございます<(_ _)> 確かに改めて見返すのは勉強になりますよね。しかし間違いはないに越したことはなく…。とはいえだいたい呟くのは移動中のぽかっと空いた時間だったりするのでどうしても記憶に拠ることが多いんですよねえ。いや、いかんいかん、言い訳してないで反省せねば。

2017-04-24 14:44:24