映画「龍三と七人の子分たち」の評論

北野武監督の映画「龍三と七人の子分たち」を評論してみました。よかったらお読みください。
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ピゾナ @pizonat

「龍三と七人の子分たち」北野武監督作を鑑賞。結論からいえばこれは娯楽作品ではなく、芸術作品であると思う。この映画において表現されているのは、老人の時間である。老人の動作、意識が時間として表現されている。これは画期的な表現である。

2016-03-28 14:42:36
ピゾナ @pizonat

続き)考えてみれば、映画に限らずあらゆる表現において、若者の時間的表現が基本である。空間、意識、動作、感覚といった諸々において。特にアメリカに顕著である、この若者至上主義に対し、真っ向から老人の時間的表現を試み、成功している点がこの映画の芸術的本質であるといえる。

2016-03-28 14:45:25
ピゾナ @pizonat

続き)そう考えていくと、この映画の仕掛け、つまり夢の中のようなどこかいい加減で不完全な各シーンの在り様、コメディとしても不完全な所も、この「時間」を表現するためのものと解る。老人が老人として、つまり若者と比べれば動作も遅く、意識も感覚も、存在としての不完全さが表現されている。

2016-03-28 14:49:59
ピゾナ @pizonat

あらゆる文化領域において、「若者の時間」を表現するが良しとされている。若者のみずみずしい肉体、俊敏な動作、明晰な意識と感覚、それらを至上とする表現の感覚。人類の意識の底において「老人の時間」の表現こそが、求められているようにも思える。反近代的な時間の表現。不完全さ不明瞭さの肯定。

2016-03-28 14:58:21
ピゾナ @pizonat

映画「龍三と七人の子分たち」論の続き)この映画を単純な娯楽作品と見て、ビートたけし第2回監督作品(第1回は「みんな~やってるか!」)だとする評もあるが、むしろ「ソナチネ」に次ぐ本格的芸術作品であるような気がする。

2016-03-29 03:26:59
ピゾナ @pizonat

続き)(面白いのはソナチネに出ていた役者が本作でも何人か登場すること、こういうヒントは探せばまだあるかもしれない)。つまり、ヤクザ映画とかコメディタッチ、果ては監督自らの出演も、芸術作品としての本作を美味しく食べてもらうための味付け、スパイスである。

2016-03-29 03:27:29
ピゾナ @pizonat

続き)本命は空間的、時間的な老人そのものの内面及び外面の率直な表現である。たとえばこの映画のひとつの特徴は昼間の陽気であると思う。龍三が振り込め詐欺と落ち合う公園の陽気。借金を取り立てる男がアパートを訪ねるときの陽気。あの陽気の感じは、

2016-03-29 03:37:13
ピゾナ @pizonat

続き)無職青年が平日昼間に散歩をするときの陽気ともまた異なる、先が無い老人の昼間の陽気である。実はこの予兆は前作アウトレイジビヨンドで終盤に元組長の男が自転車の立体駐車場のそばを歩くときの延長線上のような感覚と情景である。ともかくも本作は芸術作品であると理解されるのが望ましい。

2016-03-29 03:37:20