「自己責任論」が話題だけど、哲学的には超難問だよという話

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サンセット @Sunset_Yuhi

> この世界に自由意志は存在しており、それゆえこの世界は決定論的世界ではないと考えるのが「リバタリアニズム」。 > それに対し、この世界は決定論的世界であり、それゆえこの世界に自由意志は存在しないと考えるのが「強い決定論」

2018-11-04 01:22:08
サンセット @Sunset_Yuhi

> そして両立論のなかでの主要な立場が「弱い決定論」。この立場は世界が決定論的であることを認めつつ、それでも自由意志が存在することを主張する。 この辺は「両立論」と「非両立論(リバタリアニズムor強い決定論)」の対立構図も見える所で、『WM現代形而上学』にも同様のことが書かれている。

2018-11-04 01:41:09
サンセット @Sunset_Yuhi

> 実験哲学のもっとも基本的な手法は、哲学を専門としない人々に対して、哲学的な命題にかかわる仮想シナリオや質問を与え、それに対する直観的判断を問うものである。この手法により、自由意志や道徳的責任に関する人々の判断を調査できる。 実験哲学って、直観主義と統計学を組み合わせたイメージ?

2018-11-04 02:08:44
サンセット @Sunset_Yuhi

> 回答者に決定論的世界に関するシナリオ(たとえば、人々の信念や価値が遺伝と環境により完全に決定される)を読ませ、その世界における行為が自由意志に基づくか、またその行為が道徳的責任をもつかどうかを尋ねた。その結果、回答者の多くは両立論的と分類できるような判断をした。→

2018-11-04 02:14:10
サンセット @Sunset_Yuhi

つまり、決定論的世界での行為であっても、それは自由意志にもとづいており道徳的責任をともなうと、多くの回答者が判断したのである。 > これらの調査実験の結果に鑑みれば、われわれの思考の枠組みにおいて自由意志と決定論はもとから両立するものなのかもしれない。 論証の仕方が斬新すぎる

2018-11-04 02:15:54
サンセット @Sunset_Yuhi

> 自由意志信念の内容は実験哲学だけでなく、社会心理学の領域においても分析されている。たとえば、Monroe & Malle(2010)は「自由意志をもつことは何を意味するか」を回答者に直接尋ねることで、自由意志信念の内容を検証している。

2018-11-04 02:35:39
サンセット @Sunset_Yuhi

> これらの自由記述の回答を評定者が分類すると、1.決定や選択をする能力(回答者が言及した割合:65%)、2.自分がしたいと思うことをすること(33%)、3.内外の要因に拘束されずに行動すること(29%)、の3つの要素が抽出された。

2018-11-04 02:36:22
サンセット @Sunset_Yuhi

> 1の要素は他行為可能性、2と3は行為者性の概念とかかわっており、自由意志信念の内容は哲学理論における議論や実験哲学の実証データと整合的であると示唆される。 哲学理論の統計的検証ってアリなのかな~。まあ自分は割と直観主義者なので、アリといえばアリかも。形而上学的な観念論よりはマシ?

2018-11-04 02:46:42
サンセット @Sunset_Yuhi

哲学的命題の真偽を直観的に答えさせるってのは、直観主義の延長のように思ったけど、大勢に答えさせて統計的手法を使うからには、功利主義的な所もあるのか。 実証哲学の方法が許されるなら、トロッコ問題みたいなのもアンケートで答えが出ることになりそうだけど、どうなんだろ。

2018-11-04 03:03:30
サンセット @Sunset_Yuhi

> Brewer(2011)は自由意志信念が日常場面における侵害行為の責任帰属やゆるしの動機づけに与える影響を検証している。実験で参加者は自由意志の存在を否定する文章、または自由意志とは無関連な文章を読んだあと、仮想シナリオに登場する侵害者の道徳的責任やゆるしの程度を回答した。

2018-11-04 03:19:59
サンセット @Sunset_Yuhi

> その結果、自由意志信念が否定されると、侵害者への責任帰属の程度が低下し、ゆるしの動機づけが増加していた。(中略)このような侵害者への責任帰属やゆるしの動機づけは日常場面だけでなく、裁判場面でもとりわけ問題になると考えられよう。

2018-11-04 03:21:16
サンセット @Sunset_Yuhi

> 特に、上記のBrewer(2011)の知見をふまえるならば、自由意志信念が否定されると、被告人への責任や量刑判断が寛容になると予測できる。 人間の判断って脆弱なんだなあ。なんか心理学の研究っぽい。

2018-11-04 03:23:48
サンセット @Sunset_Yuhi

「自己責任論」が話題だけど、哲学的には超難問だよという話 - Togetter togetter.com/li/1284284 @togetter_jp このまとめ、主に政治系・自己主張強い系の人からはややキレ気味の反応が来た一方、創作活動とかしてる人からはフォロー・RT・いいね等の反応が来ております

2018-11-04 13:59:25
サンセット @Sunset_Yuhi

@togetter_jp 「意識や心についてまず定義してほしい」という反応もあるけど、個人的には「定義できない(≒存在しない)」の立場を取らざるを得ないかなあ。ある意味では「受動意識仮説」の支持者。 「心」なるものを客観的に研究するとしたら、表面に現れる「行動」を見るしかないと思っている。

2018-11-04 15:05:26
サンセット @Sunset_Yuhi

『実験心理学』で、もっと分かりやすい文章があった。 > 心理学は一体何を研究しているのか。その答えは行動である。行動を研究対象とすることで、初めて心理学に客観性が保証されることとなり、その結果、心理学が学問として成立することになる。 典型的な行動主義だけど、個人的には賛同する。

2018-11-04 15:05:44
サンセット @Sunset_Yuhi

他者に対する「自己責任」が問題になる場合、哲学的にはまず「他者理解」の問題が避けて通れないように思う。 『WM現代現象学』で取り上げられているのは、マウスの強制水泳試験(FST)。水槽にマウスを入れて泳がせると、やがて無動状態になることを応用している。 pic.twitter.com/6sradxIhxL

2018-11-04 16:15:39
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サンセット @Sunset_Yuhi

そこそこエグい試験だけど、マウスの無動状態をある種の「うつ」状態と考えて、無動状態の時間の測定によって、抗うつ剤などの効果を評価する。 さて、ここで問題になるのは、マウスの「無動状態」と、人間の「うつ病」を同じように扱っていいのかということ。

2018-11-04 16:16:03
サンセット @Sunset_Yuhi

FST自体は抗うつ療法の評価試験としてそこそこ有効らしく、長年に渡って世界中で使われてきたらしい。医学系の研究者による検討例もあった。主に学習性無力感を見るイメージか。 J-STAGE Articles - 強制水泳の神経科学 doi.org/10.11249/jsbpj…

2018-11-04 16:32:28
サンセット @Sunset_Yuhi

で、改めて問題なのは、マウスの「無動状態」と人間の「うつ病」は同じなのかということ。 これはほとんど検証するのが不可能だと思う。なぜなら、人間はマウスと体の作りが違い、同じ体験をできないから。 先に引用した『強制水泳の神経科学』では、神経経路の機能的変化との相関に注目している。

2018-11-04 16:41:01
サンセット @Sunset_Yuhi

それでも、マウスの「無動状態」と人間の「うつ病」はある程度同じと考えていいだろう。そうでなければ、FSTは「うつ病」の治療薬に関する試験ということにならない。 とはいえ、マウスの「無動状態」と人間の「うつ病」を全く同じと捉えるのは、当然問題がある。

2018-11-04 17:06:00
サンセット @Sunset_Yuhi

マウスの無動状態と人間のうつ病が全く同じと言うなら、人間と同じ意味での「うつ病」であるマウスは、うつ病患者として扱うべきことになり、強制水泳試験をするのは倫理的に許されないだろう。 実際、マウスの無動状態がうつ病の症状を表しているかについては、研究者の間でも意見が分かれている。

2018-11-04 17:24:57
サンセット @Sunset_Yuhi

この辺は動物倫理クオリアの話とも絡んでくる所だけど、個人的にはマウスの無動状態について、人間のうつ病と全く同じではないにせよ、似た症状ではあると見なして良いんだろうと思う。

2018-11-04 17:28:10
サンセット @Sunset_Yuhi

決定論とか言うけど、今は量子論があるから確率論的な話をすべきなんでは、という話もあるけど、物事が確率的に決まろうと物理法則に支配されてるのは変わらないし、自由意志とか持ち出す理由はよく分からないっすね。

2018-11-04 17:37:55
サンセット @Sunset_Yuhi

さて、人間とマウスにとっての思考や経験は、似た所も多いけど全く同じ訳でもないというのは、ある意味で当たり前の結論だと思う。 ここで、この話を延長して、「じゃあ人間同士でも同じ思考や経験をしてるって言えるの?」と考えるのが他者理解の哲学のポイント。

2018-11-04 17:50:57
サンセット @Sunset_Yuhi

科学的には「心」の存在を認める理由がなく、厳密な定義もほぼ不可能と思うけど、一方で日常的な経験としての「心」があるのも疑えないと思う。心は強いて言うなら、楽しい、悲しいみたいな情動を感じる主体と言うべきか。

2018-11-04 18:03:51