チキンラーメンと安藤百福、その虚像と実像〜近代食文化研究会さんの検証(※長いシリーズの一部です)
昭和40年代(1970年代半ば)から次第に嘘を重ねてゆき、他人の発明を自分が発明したかのように偽り、最後には安藤百福がインスタントラーメンを独力で発明したというストーリーが完成したわけです。
2019-02-18 03:02:34特にひどいのが2002年の自著「魔法のラーメン発明物語」から主張し始めた、金属の型枠にいれて麺を揚げる手法の発明。 現在もほとんどのインスタントラーメン製造に使われているこの技術の特許は陳栄泰のものであって、安藤百福のものではありません。 bit.ly/2Im55lF pic.twitter.com/tqTNTxecd1
2019-02-18 03:02:35なぜ陳栄泰が昭和33年に出願した特許を、約半世紀もたって21世紀になってから、自分の発明であると偽りはじめたのか。 実は「魔法のラーメン発明物語」の4年前、1998年に陳栄泰は死亡しているのです。
2019-02-18 03:02:35つまり安藤百福は、陳栄泰が死亡したのを見届けてから、陳栄泰の特許についてあたかも自分が発明したかのように偽りはじめたのです。 他にもツッコミどころ満載ですが、続きは明日以降に。
2019-02-18 03:02:35@SaltyDog_wow 2002年以降の百福のストーリーは、10平米で間違いないと思います。百福が生前に作った大阪池田のカップヌードルミュージアムに再現されている小屋が、10平米ですので。 cupnoodles-museum.jp/ja/osaka_ikeda…
2019-02-19 02:47:07@SaltyDog_wow おそらく33平米で複数の人を使って開発していたことが本当で、一人で開発というストーリーに書き換えるのとあわせて、10平米に縮小変更したのだと思います。
2019-02-19 02:48:45@riku_hakugen オール大衆1971年10月1日の「10平米」の記述は、10坪=33平米の間違いでした。私のミスです。つつしんで訂正します。 bit.ly/2DM4qV1
2019-02-19 02:50:37@riku_hakugen 2002年以降の百福のストーリーは、10平米で間違いないと思います。百福が生前に作った大阪池田のカップヌードルミュージアムに再現されている小屋が、10平米ですので。
2019-02-19 02:50:59◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
野嶋さんの『チキンラーメンは本当に「発明」なのか』に関して、安藤百福は発明者ではないが工業生産化したはじめての人だ、と誤解をしている人が見受けられました そのような事実はありませんし、自著を含め私が収集した安藤百福関連資料にも、そのような百福の主張はありません。
2019-02-19 03:25:15もっとも、インスタントラーメンの全ては自分がゼロから発明したという安藤百福のプロパガンダが広まっていることからすれば、インスタントラーメンの工業生産を百福がはじめた、と誤解する人がいてもしかたがないのかもしれません。
2019-02-19 03:25:15インスタントラーメンの工業生産のルーツは、戦前の日本における、機械によるうどん・そば製麺の工業生産にあります。 このことを理解していないと、なぜ台湾や香港ではなく日本でインスタントラーメンの工業生産が始まったのか、その理由も理解できません。
2019-02-19 03:25:15明治時代に始まるうどん・そば製麺の機械化は、やがて人力から電気駆動へと進化し、大正時代から昭和初期の東京の蕎麦屋は、ほとんどが手打ちをやめ機械製麺に移行します。 昭和3年の東京府における蕎麦屋の数は4054軒。これらに製麺機械を供給する製麺機械産業が隆盛します。
2019-02-19 03:25:15そして明治の終わりごろ、浅草で来々軒が支那そば(ラーメン)ブームを巻き起こすと、大正時代の浅草にそば用製麺機械を応用した中華麺の工業生産が立ち上がります。 詳しくは「お好み焼きの物語」を参照してください(宣伝)。 amzn.to/2QTMBrR
2019-02-19 03:25:16来々軒も手打ち(竹昇麺)から機械製麺に移行しますが、西洋料理店や大衆食堂など、あらゆる外食産業に支那そばが普及すると、これらに中華麺を供給する専門の製麺所が生まれます。 pic.twitter.com/1hO11hkzhK
2019-02-19 03:25:16これら戦前の中華麺製麺所では、生麺だけでなく乾麺の工業生産まで行われるようになります。これが後のインスタントラーメン工業生産化の基礎になります。
2019-02-19 03:25:16戦争の悪影響を受けつつも中華麺用製麺機械の技術改良は続けられ、村田製麺所(現在の都一)の村田良雄が、現在のインスタントラーメン工業生産に欠かせない発明を世に出します。
2019-02-19 03:25:17スープに絡みやすい縮れた麺を機械製麺で再現し、さらに同じ機械で連続して蒸して糊化(アルファ化)させる。 村田良雄の屈曲麺製造技術は、カップヌードルや出前一丁を含めた世界中の多くのインスタントラーメン工業生産の基礎技術として、欠かせないものとなっています。 pic.twitter.com/Z4d2fy1H6B
2019-02-19 03:25:17そして陳栄泰が台湾からもちこんだ、金型に麺をおさめて揚げる方法。こちらもインスタントラーメンの工業生産には欠かせません。 bit.ly/2Uy81wJ
2019-02-19 03:25:17村田良雄の屈曲麺と陳栄泰の鶏糸麺。 うどんそばに始まる戦前からの日本の機械製麺技術と、台湾の鶏糸麺製造技術が日本で出合うことで、インスタントラーメンの工業生産が始まったのです。
2019-02-19 03:25:18技術の開発だけでなく、実際に工業生産をはじめたのも村田良雄と陳栄泰でした。 昭和27年に村田良雄は製法特許に基づく工業生産化に成功します。 ただしその麺は味がついていないノンフライ麺でした。 pic.twitter.com/GOioM8yjE1
2019-02-19 03:25:18昭和33年に陳栄泰は味がついたフライ麺を発売(それ以前にも存在したかもしれませんが、不明な点が多いです) 新日本経済1963年1月号の記事によると1日2000-3000食を生産していたそうですから、少なくとも家内制手工業のレベルではない工業生産化が行なわれていたことがわかります pic.twitter.com/1rCnaINC55
2019-02-19 03:25:18同じ昭和33年に安藤百福と許炎亭が三倉物産を設立、陳栄泰の鶏糸麺を「チキンラーメン」と改名して大阪で販売するようになります。 チキンラーメンは工業製品化された最初のインスタントラーメンではなく、他社製の工業生産品の改名版として生まれたのです。 pic.twitter.com/seZTDrhSRT
2019-02-19 03:25:19チキンラーメンが陳の鶏糸麺の改名版から始まったことは、安藤百福推薦の昭和44年「即席めんと特許」に掲載されている、百福公認の事実です。 昭和44年ころの百福は、自分がインスタントラーメンの全てを発明したとは主張していなかったのです。 bit.ly/2U17XpH pic.twitter.com/qSaIrHkiWl
2019-02-19 03:25:19安藤百福はインスタントラーメンの発明者とは言い難く、また、初めて工業生産化に成功した人でもありません。 日清食品は、鶏糸麺の成功をうけて追随した、複数の会社の一つでしかありませんでした。
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