「令和」と中国古典について

同種のまとめはあるのですが、少し趣きを変えてまとめてみました。
19
前へ 1 ・・ 3 4 6 次へ
殷景仁 @YinJingren

そのことは一先ず置き、直接の典拠に立ち戻って改めて考えてみると、近代日本の元号は「明治・大正・昭和・平成」と、いずれも儒教の経典である五経から取られている。これまでの元号が五経を出典としたのは、儒教の思想における経世済民を重視する理念が念頭にあったからだろう。

2019-04-02 14:16:53
殷景仁 @YinJingren

ところが今回の元号の出典となる大伴旅人の宴で書かれた序文はというと、いわば政治家の社交の場で梅の花を愛でる風流として書かれた作品である。そこには従来の元号が前面に打ち出していた経世済民の理念をうかがうことは極めて難しい。

2019-04-02 14:16:53
殷景仁 @YinJingren

もちろん、こうした詩や歌が経世済民の理念を全く有していないというわけではない。『詩経』の比興説のように、詩(および歌)によって為政者の批判や民衆の教化を行うという理念も存在はする。

2019-04-02 14:16:53
殷景仁 @YinJingren

ただそうした理念は存在するものの、現実にはやはり宴という娯楽の場としての性格が主となってしまうし、そこで作られる詩や歌もまた、経世済民的な理念で歌われる訳ではなく、実際には風流な文雅として作られているのである。

2019-04-02 14:16:54
殷景仁 @YinJingren

また、こうした詩会や歌会というものは、当然主催する者(今回の場合は太宰府の長官である旅人)とそこに参集する文人との結びつきを強め、主催者である政治家の政治権力を強化する機能を持っている。つまり政治的支配力を強化するという意味での政治性というものを表しているとも言えよう。

2019-04-02 14:16:54
殷景仁 @YinJingren

むろん今度の年号の考案者も選考した側もそこまで考えてはいないだろうし、以上の感想も穿ち過ぎというものであろうが、今回の年号に含まれる「経世済民の理念の希薄化」「政治権力的な意味での政治性」は、今の日本をある意味で象徴しているような気がした

2019-04-02 14:16:54
殷景仁 @YinJingren

エエ・・・ <東大史料編纂所教授 山本博文氏>「「令」は漢文では「・・・させる」と言った使役動詞であるためこれまで元号に使われなかったが、日本語では「良い」「立派」という意味で、そこを重視したのだろう。」 jp.reuters.com/article/reiwa-…

2019-04-02 18:34:58
殷景仁 @YinJingren

『毛詩』小雅「角弓」(鄭玄)箋云「令、善也」。

2019-04-02 18:34:58
殷景仁 @YinJingren

「令和」の典拠となった『万葉集』の大伴旅人「梅花歌序」の「初春令月、気淑風和」の出典はすでに言い尽くされているので、別の部分の出典についても考えて見よう。

2019-04-02 23:37:23
殷景仁 @YinJingren

すぐ後ろの「梅披鏡前之粉」についてだが、梁の何遜の「詠(春)風」詩には「鏡前飄落粉、琴上響餘聲」とあり、また梁の元帝蕭繹(あるいは沈約)の「詠風」詩には「入鏡先飄粉、翻衫好染香」とある。これらは直接の典故というより、南朝梁陳の詩に常套だった「花と鏡」の表現を転用したのだろう。

2019-04-02 23:37:24
殷景仁 @YinJingren

「蘭薫珮後之香」については、『楚辞』離騒の「紐秋蘭以為佩」(秋蘭を紐びて以て佩と為す)と上述の元帝の詩あたりを踏まえているのではなかろうか。

2019-04-02 23:37:24
殷景仁 @YinJingren

また後半の「若非翰苑、何以攄情」は、李白「春夜宴從弟桃花園序」の「不有佳作、何伸雅懐」とよく似ている。これまた直接の典拠というより、この種の文章で常套の類型的表現と言えよう。

2019-04-02 23:37:24
殷景仁 @YinJingren

いずれにしても、旅人の文章は、①四字六字句を基調とする、②対句を多用する、③典故を用いるという、当時の中国の詩宴(ここでは歌会だが)で書かれた序の書式(駢文)に沿った類型的なものである。

2019-04-02 23:37:24
殷景仁 @YinJingren

もっとも近代以前の古典というものは、大抵の場合独創性よりも決まった様式でいかに書くべきかを重視するものである。独創性を最重視する近代以降の文学とは異なるものだということは、注意しておく必要があろう

2019-04-02 23:37:25
殷景仁 @YinJingren

要はこうした作品の場合、日本文化だのオリジナリティだのを必要以上に強調するのは、かなりズレたものになるということである。

2019-04-02 23:37:25
さとうしん @satoshin257

しかし「倒是《明通鉴》中有一句:“政平令和。”有点意思。」と、パッと見の印象ではやっぱり「令和」の「令」を「命令」「政令」の方向でとらえるよなと。

2019-04-01 20:44:24
さとうしん @satoshin257

そしてやはり「而实际上,此次的“令和”也能看到中国古籍的影子,如:“仲春令月。时和气清。”(张衡《归田赋》)、“时惟令月。景淑风和。”(薛元超《谏蕃官仗内射生疏》)读来有美好平和的感觉。」と。

2019-04-01 20:45:13
さとうしん @satoshin257

「江謐、字令和」よりええやろw >RT

2019-04-01 21:29:42
さとうしん @satoshin257

令和、やはり考案者のレベルでは和漢ダブル典拠とできるものを提示しているが、「政治」のレベルではその意図を汲んでいないということになるか…

2019-04-02 06:56:08
さとうしん @satoshin257

帰田賦とか万葉集の時代には漢字の字源説なんて関係ないやろと済ますこともできるが、あまりそういうことを言いすぎると、漢字で言えば字源説にあたる元号の出典にも跳ね返ってくる。出典の文脈から離れて令和の「令」を命令の「令」とかorderの意味に解してもよいという具合に。

2019-04-02 08:28:15
さとうしん @satoshin257

当然「令」「和」の字源説もここで挙げられているもの以外にも諸説あります。

2019-04-02 08:28:46
さとうしん @satoshin257

@karitsu1999 それでは帰田賦が存在しない世界で梅花謌卅二首序文が現行のような字句で存在し得たか?と考えると、そういう方向の議論は奈良人の読書論としては大きな意味があっても、令和元号の出典論としては全く意味がないと思います…

2019-04-02 08:33:00
さとうしん @satoshin257

@karitsu1999 それとこれは余計な話ですが、梅花謌卅二首序文が自分の作りたい文脈に沿って類書からそれに合いそうな字句をひねり出して作られたものにすぎないとすれば、令和元号自体もそういうものとして(たとえば令和の令を命令の令と解するというような方向で)扱う回路を開くことになるのかなあと何となく。

2019-04-02 08:38:44
karitsu @karitsu1999

@satoshin257 舌足らずでした。まず、張衡「歸田賦」も王羲之「蘭亭序」も全文ではありませんが『藝文類聚』に載ってます。『修文殿御覽』や『玉篇』は知るべくもありませんが。梅花謌丗二首序が両者を抜きにして編み出されたと言ってるわけでは全くありません。…

2019-04-02 10:00:40
karitsu @karitsu1999

@satoshin257 そもそも蘭亭序と歸田賦の影響関係や蘭亭の会の知識も必要だったでしょうし。ただ、その知識をどこから得たのか?作文に際して何を参照したか?を考える際、『文選』と断定して良いものだろうかというのが私の疑問です。…

2019-04-02 10:00:53
前へ 1 ・・ 3 4 6 次へ