愚かな人が「張衡は安帝を見限って下野した」などと思いこんでいるのは誠におめでたいことです。そもそも張衡を歌詠みだと思っとるからな。 あの人は酷吏です。
2019-04-02 23:45:45張衡は後漢書に「治威嚴,整法度,陰知奸黨名姓,一時收禽,上下肅然,稱爲政理。」(密偵を使いマスコミに報じられない暴力団を全て調べ上げて一網打尽にしたので国民は震え上がった)という鬼平みたいな事績が残っている人なんです。 おっかねえ人ですぜ。
2019-04-02 23:49:11ちなみに出典は後漢書・張衡伝ですが、この人が反政府勢力をなで斬りにしたのは「河間国(現在の河北省滄州市)の相」になった時なんですよねえ…
2019-04-03 00:01:44張衡とわかった時点で後漢書も読まねえやつらだから、愚かにも時限爆弾だの毒饅頭だの大喜びしてやがった。どこまでもどうしようもねえな。だから言ったでしょう、原文を読めと。ネット検索だのみで原書を読まないからこうなる
2019-04-03 00:15:57まとめます。 1,令和の出典は万葉集の梅花の歌だが、梅花の歌に影響を与えたものとして先学は王羲之・張衡・杜審言などをあげていた。(契沖『万葉代匠記』) 2,ところがMr.ナイフなる者が「張衡」だと言いはった。 3、その理由は「張衡は安帝を批判したアベガーの大先輩だ」と思い込んだから
2019-04-03 00:34:314,これにころっと騙されたのが左派の皆さん(誰も裏とりをしなかった) 5,実は張衡が帰田賦で批判したのは「順帝」 6,更に張衡は実は法律を制定して野党的な反政府人士(奸党)を取り締まった人 まぁこれに懲りて読書されたほうが宜しいかと存ずる
2019-04-03 00:40:28張衡繋がりで安倍総理の安がつく後漢安帝がdisられてて 論曰:(前略)然令自房帷,威不逮遠,始失根統,歸成陵敝。遂復計金授官移民逃寇,推咎台衡,以荅天眚。(中略) 賛曰:安德不升,秕我王度。降奪儲嫡,開萌邪蠹。(後略) と擁護は無理だけど、それでも安易に政治批判に使われるの正直嫌なキモチだな…
2019-04-02 12:44:34『そもそも論』で根本な話すれば、張衡が帰田賦を著した時期+直接風刺したのは安帝劉祜の時代じゃなくて、その子の順帝劉保の時代(宦官の相続許可と梁冀跋扈前夜)ですしおすし…
2019-04-02 13:02:06後漢書の張衡列伝を引いたにせよ桓帝の叔父の河間王劉政の悪政を省いた事に加え「『衡下車,』治威嚴,整法度,陰知奸黨名姓,一時收禽,上下肅然,稱為政理。」と文の冒頭を抜いた事に印象操作的な意図を感じるし、特に范曄が私怨と曲筆を込めた可能性がある伝を後漢書のみに典拠委ねるの危ういと思う
2019-04-03 00:32:47@kaniyamazato FF外から失礼します。張衡は"後漢"の太史令という、役人より国家天文研究職長官に近い人です。東晋説はありません。 又、安帝は低位かつ中年の張衡を車で迎え大抜擢し彼にとって出世、研究の恩人です。 帰田賦は"順帝代"であり、政治批判だけでなく当時の特異な隠逸への憧憬流行も鑑みるべきと思います
2019-04-03 12:22:58@kaniyamazato 不躾に失礼しました。 後漢書で張衡は単独伝を持つ有数の識者ですが、晋の次代、南朝宋代に前漢末から風潮化した予言の類に時事的に反発し無神論を掲げた著者范曄による、原本の袁宏後漢紀等に存在しない記述が桓譚伝と同様多く認められますので更に調査する際は片隅にでも… ctext.org/wiki.pl?if=gb&…
2019-04-03 21:44:35契沖『万葉代匠記』では一番始めに王羲之の影響を指摘しているんですね。だから張衡だと言い出した人が出てきて変だなあと思った。小島毅パイセンは朝日で「蘭亭」と断言していますがそれが普通です。
2019-04-03 00:45:21ロバート・キャンベルさんの「漢籍を包摂した出典」というコメントが一番穏当だと思う。小島パイセン(母校の研究所のパイセンなのよ)はちとから過ぎますな。まあ普通は蘭亭の序だね、そだねーで終わる。張衡も出典だけどアシストだよなぁ。シュートしてるのは王羲之だろう。
2019-04-03 00:50:40蘭亭序が出典のサブだとして恥ずかしいことはどこにもない。なにしろ蘭亭序の最善本という説がある「定武本」のよい拓本は日本の東京国立博物館の所蔵ですから日本の古典と言ってもいい。 中国政府が誇ってる蘭亭序の模本は日本にあるものより質が悪い。後世の加筆か偽作という人もあるくらいです。
2019-04-03 00:55:59蘭亭序の本来の姿を復元したければ空海の書を見よ、という書家もいるくらいで、中国では王羲之の本来の書は既に消えているんですね(そもそも原本がなくなっている)。
2019-04-03 00:57:24そもそも万葉集には戯訓というのがあって「羲之」「大王」をテシと読むのです。これは本居宣長が言っているのです、万葉の人の古典として王羲之があったことは言うまでもありません。万葉集と王羲之は大変深い関係にあります
2019-04-03 01:03:52なお中国の学生さんたちに、中国の大学教授が万葉集の梅花の歌をウィーチャットで見せたら「蘭亭の序のような文章ですね」と言ったそうです。普通はそういう反応だと思います。
2019-04-03 01:06:54これは非常に難しいところです。 1,『儀礼』まで行くようですが、そこから先は焚書坑儒なので後は出土資料頼みになる 2、僕は1)蘭亭序 2)張衡『帰田賦』と見ますが、斎藤茂吉が結構トンデモナイことを言っていて「憶良は祝詞のたぐいまで研究した形跡が有る」というので日本古代史も漁らないと twitter.com/iikurayoichi/s…
2019-04-05 01:51:35「令和」の出典議論のポイントは2つありそうですね。①「出典」というのは遡るだけ遡る必要があるのか、著者(元号の場合は考案者)の意識したテキストを特定するべきなのか。②「出典」は1点に特定しなければならないのか。複数を認めるとしても優先順位を定めるべきなのか。
2019-04-04 12:30:40以前の「令和」のこのつぶやきにちょっと補足。張衡の『歸田賦』が『礼記』の「是月也、天氣下降、地氣上騰、天地和同、草木萌動」を意識しているのは明らかだが、実は他にも意識しているものがあって、例えば『儀礼』もそれ。twitter.com/rudel101/statu…
2019-04-03 02:16:14「是月也、天氣下降、地氣上騰、天地和同、草木萌動」(礼記・月令)「於是仲春令月,時和氣清,原隰鬱茂,百草滋榮」(張衡 の『歸田賦』) 正直、これは「日本の古典から選定」とは言えないと思う。流れとしては礼記→歸田賦→蘭亭序→万葉集で、それぞれ前者を踏まえた表現になっている。
2019-04-01 17:41:29張衡の『歸田賦』が所収されている『文選』巻十五、志中、張平子歸田賦には「儀禮曰「令月、吉日」鄭玄曰「令,善也」」とある。(平子は張衡 の字)
2019-04-03 02:57:48@tyuusyo 確かに文選の巻十五には張平子で記載されていますが、薛仁貴や劉伯温のように字のが有名とは言い切れないので、そこはさすがに張衡でも構わないと思いますよw (後漢書の列伝も『張衡列伝』ですし)
2019-04-03 03:21:36RT言及)というわけでRT。ちなみにすんすけさん(@tyuusyo )と私で引用している箇所が違いますが、「始加、祝曰「令月吉日、始加元服。棄爾幼志、順爾成德。壽考惟祺、介爾景福」」も「禮儀既備,令月吉日,昭告爾字。爰字孔嘉,髦士攸宜。宜之于假,永受保之,曰伯某甫。」も士冠礼に両方あります。
2019-04-03 03:37:51ただ、私は帰田賦の該当箇所の構成から「是月也、天氣下降、地氣上騰、天地和同、草木萌動」(礼記・月令)も意識されていることは間違いないと思います。(要はこの箇所には「令月」がないってことで、それは『儀礼』の方にあるわけです)
2019-04-03 03:42:03直接の出典は、『万葉集』にある大宰帥大伴旅人の梅花歌の序「初春令月、気淑風和。梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」ということで、初めて国書から取られたと話題になったが、すでに指摘されている通り、この文自体が中国の古典(王羲之「蘭亭序」や張衡「帰田賦」など)を典故としている。
2019-04-02 14:16:53