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yaoki_dokidoki
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僕たちは同じメロディーを発見したら、それを「これは同じだ」とまず確認します。具体的には「1番のAメロと同じだから、これは2番のAメロが始まったところなんだな」のように理解をすると思います。
2011-06-05 04:12:42![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
そして1番と2番では同じメロディーだけど歌詞が異なることが多いです。そしてその通り、「ああ、メロディーはほとんどくりかえしだけどなんか歌詞が変わってるな」と僕たちは感じ取るでしょう。その「くりかえしだけどなんか変わってる」という感覚にひとつことばを与えたいと思います。
2011-06-05 04:15:30![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
それは、プログラミングなどにおける変数と引数の話にたとえて、あることばや音がことばの意味を「格納」するのだ。このように試みに説明してみたいと思います。
2011-06-05 04:17:17![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
プログラミングでは、A、Bなどを変数、そこに複数の値をどんどんと代入して記憶させていくことを格納と言いますが、歌詞においてもそのような仕組みがあると仮定するということです。
2011-06-05 04:22:28![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
タイトルの「そばかす」ということばに着目してみましょう。このことばそのものや、このことばを構成する音が歌詞全体のなかでどのように用いられているのかということに注目してみたいと思います。
2011-06-05 04:25:05![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
先に言っておくと、Aメロで出てくる「そばかす」という音列は、サビにおいて、「そ」れだけじゃおな「か」が「す」くわ、という音列になって出てきているように見えます。
2011-06-05 04:27:34![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
「そばかす」の「そ」の音に注目しましょう。まず、Aメロ「そばかす」ということばの後にBメロ「それだけで」、サビで「それだけじゃ」ということばが見つかります。
2011-06-05 04:30:42![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
ここでとりあず強制的に、「そばかす」=「それだけで」=「それだけじゃ」という式で表現してみます。これは数学的な単なる「等しい」という解釈はされません。
2011-06-05 04:32:47![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
まず「そばかす」ということばに「それだけで」ということばの意味も格納し、つぎに「それだけじゃ」ということばの意味も格納せよ。という指示です。プログラミングとわざわざいったのはそのねらいがあるからです。
2011-06-05 04:35:19![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
「それだけで」は「れ」の音を介して、直前の「うれしくて」ということばの意味も記憶に呼び出すことができるとします。「うれしくて」「それだけで」。この表現からは「それだけで」ということばに嬉しくてたまらないという意味があることが読み取れます。
2011-06-05 04:39:22![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
だから、コンプレックスのある「そばかす」ということばには「そ」の音を介して「それだけで」ということばのもつ「うれしくてたまらない」という意味が格納されると仮説してみます。
2011-06-05 04:49:34![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
言いかえると、「大キライ」というネガティブな意味に方向付けされた「そばかす」ということばが、「そ」の音を介して「それだけで」→「れ」の音を介して「うれしい」というポジティブな意味へとある程度書き換えられるのではないかということです。
2011-06-05 04:51:05![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
私たちが押韻に気がつくのは、聴いている時よりもむしろカラオケで歌ってみるときではないか。口と舌の動きで実際に音を味わっているとき、繰り返しの快感に気づくのでは。少なくとも私は聴いているだけではまったく押韻に意識がいかない。むしろストーリーや言葉から喚起される映像に意識が行く。
2011-06-05 04:37:02![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@ja_bra_af_cu 歌のときは、器楽を聴くときとはちがって耳と口が同時に動員されていると思っています。歌を聴くときとカラオケで歌うときは基本的に同じであり「畑亜貴の歌は歌うと口の運動として気持ちいい」というカラオケ時の快感もちゃんと聞くときには伝わってると思います。
2011-06-05 04:44:25![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@ja_bra_af_cu ただ、カラオケの話をするのは『Jポップとは何か』や輪島本を読んでからのほうが説得力が増すと思うので、今のところは触れてません。が、基本的に押韻による短期記憶を介してイメージが連鎖してネットワークをむすぶという構想は「口」の力を頼りにしています。
2011-06-05 04:47:03![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@yaoki_dokidoki そうですね。聞きながら一緒に歌う人もおおいし。それもミメーシスの働きかも。イメージやストーリーに気を取られるか、押韻に気が行くかという差が出るいろいろ要因がありそうですが。
2011-06-05 04:49:35![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@ja_bra_af_cu 僕はとくに歌を「覚えて歌う」というところに重点を置いて消費しているので。ビートルズの歌詞を覚えるために中学生の時英語をすごく学びました。そして覚えることが歌詞のことばにやどる記憶、音のネットワークという発想へつながっています。
2011-06-05 04:56:40![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@ja_bra_af_cu 僕が洋楽を聴かないのは、歌詞を覚えるのがめんどくさいからです。エミネムも洋パンクも歌詞は書いて覚えてます。
2011-06-05 05:08:59![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@yaoki_dokidoki なるほど。やおき理論を理解するには、やおきさんがボーカリスト的な観点から考えてるというのも重要なコンテクストですね~。
2011-06-05 05:13:38![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
次に、「それだけで」=「それだけじゃ」の式にすすみましょう。ここでは「それだけ」という4音がくりかえされていることがわかります。したがって音でいえばこのふたつの結びつきはつよいのかもしれません。
2011-06-05 04:59:19