哲学院生のアライさんによる性・出生の哲学話

哲学院生のアライさんによる哲学話 - Togetter https://togetter.com/li/1416702 からの抜粋なのだ!
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哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

⑨【同一経験】 また、気分・痛みに「個人差」があること、「男性は経験できない」ということに、月経がコミュニケーションから締め出される原因があるのだ。しかし、わからないものについてコミュニケーションできないわけではないのだ。普通はわからないからこそコミュニケーションが成立するのだ。

2020-02-20 10:44:59
哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

⑩【ニーズ】 それでは月経をどう語りなおしていくのだ?そもそも月経が隠蔽された現状では何が困難なのか、つまり「ニーズ」が見えてこないのだ。先例となる「子育て」は昔、家庭内の問題として社会・会社から無視されてきたけど、最近はニーズが明らかになって改善され始めているのだ。 pic.twitter.com/lErHt7Fr2Z

2020-02-20 10:45:01
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哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

⑪【身体論】 メルロ=ポンティは「身体」を皮膚の内に閉ざされた生理的器官とは捉えないのだ。むしろ身体は何かを「感覚するもの」であるのだから、そうした「閉ざされるもの」を絶えず超え出ていくのだ。つまり身体は、自己に閉ざされているのではなく、「世界」との関係をもっているのだ。

2020-02-20 10:45:01
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⑫【身体論2】 そうすると月経も一つの「世界との出会い方」として捉えることができ、不明瞭なニーズについて語ることができるようになるのだ。これにより、「下腹部がしくしく痛む」のほかに「この荷物が今日はとても持ちあげにくい」といった仕方で、社会参加のためのニーズを表現できるのだ。 pic.twitter.com/50m9kSrULj

2020-02-20 10:45:03
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⑬【身体論3】 宮原氏によると、「人は他者の身体の内部に介入することはできないが、世界と他者の身体の間であれば、介入することができる」のだ。これにより月経を、個人・体内の孤立した問題から引き離し、「世界という共通の地盤」において、世界の経験の仕方としてを語り合うことができるのだ。

2020-02-20 10:45:03
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⑭【他者】 つまり、「おなかが痛い」といった他者が関与できない語りではなく、「立ち作業はできないんです」といった仕方で、他者が介入できる共有された世界についてそれぞれの感じ方・ニーズを表現できるのだ。そうすることで、身体にとって可能なものやより負担のないものを見つけられるのだ。 pic.twitter.com/1aqq30ibag

2020-02-20 10:45:04
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⑮【まとめ】 月経は、社会から隠される性的なもの・痛みといった属性を負荷されているため、なかなか語りだせないけれど、他者と共有する世界についての違った見方として、他者と共有できる形で語ることでニーズを表現し、負担の改善に向かうことができるのだ。

2020-02-20 10:45:05
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哲学話㉛ 【フェミニスト現象学ってなに?2―月経と身体論―】を追加したのだ! 訂正1:①「フェミニズム現象学」⇒「フェミニスト現象学」 訂正2:⑧「…想定されてことによるのだ」→「…想定されていることによるのだ」 哲学院生のアライさんによる哲学話 - Togetter togetter.com/li/1416702

2020-02-20 18:06:07
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哲学話㉜ ①【フェミニスト現象学って何?―ボーヴォワール『第二の性』―】 今回もフェミニスト現象学について取り上げるのだ!最近出た現代思想のフェミニズム特集の論稿で、フェミニスト現象学の起源たるボーヴォワールの『第二の性』とその後のフェミニスト現象学の展開について整理したものなのだ。 pic.twitter.com/x8EUssqkyu

2020-02-21 22:20:37
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②【文献・目次】 中村彩「ボーヴォワールから見るフェミニスト現象学」、『現代思想』 2020年3月臨時増刊号 総特集◎フェミニズムの現在、青土社、2020年、264-271頁 amazon.co.jp/dp/479171394X/… ③-⑥フェミニスト現象学とは ⑦-⑮ボーヴォワール ⑯-⑲発展 pic.twitter.com/adYojU7WXU

2020-02-21 22:20:39
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③【序】 フェミニスト現象学にもいろいろあるけど、振り返ってみればその起源はボーヴォワール(以下、B)の『第二の性』なのだ。どうしてこの著作が起源なのか、その後どのようにフェミニスト現象学(以下、FP)が生まれてきたのか、フェミニズムと現象学はどんな関係にあるのかなどを見ていくのだ。

2020-02-21 22:20:39
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④【FPとは】 FPとは「これまでの現象学をフェミニズムから問い直す作業」、そして「フェミニズムの目的のために現象学的手法を取り入れていく営み」と言えるのだ。現象学とはフッサールが始めたもので、現象学的還元をしたうえで一人称的な視点から経験の構造を分析するものなのだ。 pic.twitter.com/IhjjzpdSia

2020-02-21 22:20:40
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⑤【現象学批判】 しかし、こうした現象学はバトラーらにも影響を与える一方、サルトル『存在と無』、レヴィナス『全体性と無限』などが「白人の異性愛の健常な成人男性」の身体を基準としているとして、フェミニストから批判されたのだ。こうした現象学における男性中心主義批判もFPの営みなのだ。 pic.twitter.com/JWKEo3Qp41

2020-02-21 22:20:42
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⑥【現象学の発展】 こうした批判と同時に、女性の経験を現象学的に記述するFPが1980年ごろから発展してきたのだ。エディット・シュタイン、ハンナ・アレントをその萌芽とみなす研究もあるけど、なんといってもBの功績が大きいのだ。

2020-02-21 22:20:43
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⑦【Bの再評価】 Bは紛れもなく哲学、特に現象学を研究し、哲学を教えていた哲学者であったけれど、多くの著作が「哲学書」っぽくないことから、現象学者・哲学者とはみなされてこなかったのだ。しかし、メルロ=ポンティやフッサールの影響から現象学者であることは明白なのだ。

2020-02-21 22:20:43
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⑧【第二の性】 とはいえ、研究者によって、「初期の哲学的エッセイ」・「初期の小説」・「後期の大著(『老い』)」のどれにBの哲学を見出すかは異なるけれど、FPにとって重要なのはなんといっても『第二の性』なのだ。

2020-02-21 22:20:44
哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

⑨【懸念】 一人称的な視点から経験を分析する現象学をフェミニズムに近づけてしまうと、一部の女性の特別な体験を一般化してしまうのではないか、という懸念があるのだ。でも、Bは「身体を状況と考え」、「<他者>としての女性を考える」ことでこの問題を乗り越えているのだ。

2020-02-21 22:20:44
哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

⑩【状況としての身体】 Bは『第二の性』で伝統的な心身二元論を退け、両者が一体となった「状況としての身体」「生きられる身体」という考え方を提示したのだ。身体とは「私が世界を体験し、作りあげていくための道具」であり、この身体を通して私は世界と通じ、同時に世界を作り上げているのだ。

2020-02-21 22:20:44
哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

⑪【女とは何か】 ここで「世界と私」は分離しているのではなく、身体を通して、生きた全体的な現実のうちで互いに関連しているのだ。これはメルロ=ポンティとも共通した考え方だけど、さらに大事なのはこれによって「女とは何か」という問いが立てられ、性的差異が思考可能となったことなのだ。 pic.twitter.com/gCX9fDqP0K

2020-02-21 22:20:46
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⑫【葛藤】 Bによれば、「主体」は自分を「主たるもの」として主張し、他者をそうでない客体にしようとするのだ。ここで女は主たるものでない「他者」であり、男は自由な主体なのだ。女は自分を主体として主張するが、同時に主体への隷属を要請する状況にあるため、ある種の葛藤を抱くのだ。 pic.twitter.com/QjTi9SDoGO

2020-02-21 22:20:47
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⑬【身体の両義性】 しかし、当然人は、完全に主体もしくは客体となることもできないし、性別に関わらず誰しもが「主体であり客体であるという両義性」を持っているので、身体は状況に依存して変わるはずだけど、現状では女性は客体になりがちなのだ。

2020-02-21 22:20:47
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⑭【可能性】 こうした身体を状況としてとらえる考え方によって、「ある程度は生物学的・歴史的・文化的・社会的条件に決定されているものの完全には決定されていないような身体」が明らかになり、制約はあれど、その制約をどう捉えるのかについては様々な可能性があることを指摘したのだ。

2020-02-21 22:20:48
哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

⑮【体験の記述】 こうした前提からBは、女性の人生における体験を記述していくのだ。たとえば、月経は、精神への嫌悪感を生じさせ、それが身体に影響を及ぼしてより苦痛を増大させることや、同意によって解決できるはずの「初夜の習慣」によって夫婦の性関係が不調和に陥うることを指摘しているのだ。 pic.twitter.com/S8ix2iSpnC

2020-02-21 22:20:49
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哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

⑯【ヤング】 『第二の性』以降、FPを発展させたのはI・M・ヤングの『女の子みたいに投げる』(1980年)という論文なのだ。ここでヤングはBの主体・客体の議論を参考にして「女らしい」身体行動や妊娠・月経について分析しているのだ。 (以下、参照なのだ) twitter.com/tetsugaku_arai…

2020-02-21 22:20:49
哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

⑩【フェミニズム現象学】 小手川氏はそうした男性の問題を一人称的観点から出発して経験を分析する「現象学」から解き明かそうとするのだ。そのヒントになるのはフェミニズム現象学の代表作であるアイリス・マリオン・ヤング『女の子みたいな投げ方―女性的身体活動・運動性・空間性の現象学』なのだ。 pic.twitter.com/Ci2NPZzfY6

2020-02-19 10:21:44
哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

⑩【フェミニズム現象学】 小手川氏はそうした男性の問題を一人称的観点から出発して経験を分析する「現象学」から解き明かそうとするのだ。そのヒントになるのはフェミニズム現象学の代表作であるアイリス・マリオン・ヤング『女の子みたいな投げ方―女性的身体活動・運動性・空間性の現象学』なのだ。 pic.twitter.com/Ci2NPZzfY6

2020-02-19 10:21:44
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