「議論」をめぐるディスカッション
- naganoteru
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まあ、教育が基本「お上」が決めたものをありがたく教える形になっているわけだから、普通の子はなかなか「自分で考える」なんてことには至れないのも仕方ないのかもな。「歴史」なんてあれこれ仮説を立てたり夢想したりするとおもしろい科目なのに、可哀そうにただ丸暗記するものと思いこんじゃう。
2011-06-25 01:04:06けれど、その同じ教育でも一定の割合で考える力を身に付けられる子が出てくる。これはきっと大数の法則にそうなっているんだろうな。そうして、考える力のある子ほど、一般的に学力が高いということが起きる。だから、受験「エリート」は考えることもできるし、議論をすることもできる。
2011-06-25 01:09:22受験「エリート」の大学生は、ささいなことでもいちいち議論をする。サークルのアフターで喫茶店に行くかカラオケ行くかですら、前回がどうだったとか、今日のメンバーの方向がどうだだとか、いろんな理由をもってきては多面的に議論をする。そういう環境下でなおさら議論ができるようになる。
2011-06-25 01:13:18【議論の目的と要素】
議論は、反論可能な意見を反論を通じてブラッシュアップしていくプロセス。目的はソリューションを導くことであって、勝ち負けを決めることではない。意見は反論可能性がないといけないし、反論を受けなければならない。当然のことながら、反論に対して感情的になってはいけない。
2011-06-25 01:16:58けれど、議論にはもうひとつ非常に大切な要素がある。それは、異なる意見に対してリスペクトすること。アメリカの大学では、学生の知識不足からくる幼い意見についても、教授は真摯に傾聴し、そして的確に反論をする。残念ながら、日本の受験「エリート」はこれができない。
2011-06-25 01:21:27それは、受験「エリート」が考える力を持つことができたのが偶然に過ぎないから。たまたま議論することができるだけであって、議論の作法はどこでも教わっていない。それどころか、「知識がない=無教養」の図式を頭に刷りこんでしまっている。教養は、知識以上に知性だというのに。
2011-06-25 01:23:38知識がなくたって、しっかりと考えた意見は表明すればいい。反論を受ける覚悟があるなら。ただ、反論する側がその意見にリスペクトを払わなければ、反論を予定しながら意見を表明するのは絶望的に難しくなる。現に、日本の学校では優秀な学生が半分答えを知っているかのようなときにしか質問をしない。
2011-06-25 01:27:38だから、日本では、たまたま考え力を身に付けた人と、そうでない人との間にディバイドが起きちゃうんだろうな。そりゃあ馬鹿にされるのは誰だっていやだもん。自分のように、知らないことに平然と質問できたり、不案内な領域で意見を表明できたりする人間はレアものなんだろうしな。
2011-06-25 01:33:47日本人が「同じる」ことと議論できないこととは無縁ではないと思う。聖徳太子は「和をもって貴しとなす」といい、その「和」について孔子は「君子和して同ぜず、小人同じて和せず」と言った。「和する」こととはリスペクトをし、議論をし、課題解決に向けて共通のソリューションを見出すこと。
2011-06-25 01:39:28【議論とエリート】
古代日本であれ、古代中国であれ、古代ギリシャであれ、貴族階級はそれができた。彼らは知性があり品があった。ヨーロッパでは産業革命で誕生した中産階級が自ら考えることができる成熟した市民になった。けれど、日本は残念ながらエリート教育にも失敗しているし、中産階級の成熟にも失敗している。
2011-06-25 01:45:59せめて、旧制高校のようにエリート教育だけでもあればなあ。今は受験「エリート」がエリートにならないまんま社会に出ていっちゃうもんな。彼ら自身にはエリートなんて意識はさらさらないから。それどころか、いい学校を出たのは自分の努力の結果と、利得を自分のものにする理由まで身に付けて。
2011-06-25 01:50:56しょせんは「考える力」を身に付けたのも、いい学校に入ることができたのも、その結果としてより一層知性を身に付けたのもただの偶然なのだから、「君たちは偶然に恵まれているのだよ。だからその恵みを自分で独占してはいけない。社会のためにこそ使うのだ」とでも教えてあげるべきなんだけどな。
2011-06-25 01:54:33これが貴族社会なら、誰がどう見ても生まれという偶然性によって恵まれているわけだから、そういうエリート意識は育みやすいんだろうな。江戸期における武士階級がまさにそうだったように。受験というシステムが、なまじっか本人の努力要素を包含しているもんだから、話が余計ややこしい気がするな。
2011-06-25 01:57:49ということで、「議論」に関する思いつきのツイートを終わります。朝になってぼくのツイートでTLが埋まってしまっている方、ご迷惑をおかけしてすいません。それと、たくさんのレスポンスありがとうございます。明日返信させていただきます。(明日はゴルフで朝が早いのです)おやすみなさい。
2011-06-25 02:04:29【ディスカッション】
知性の欠如ではなく、同調圧力に弱い精神が問題だと思う。RT @naganoteru 元々市民社会として未成熟であるのが大きいと思う。欧米のように大衆が中産階級化する過程で知性を身に付けたのとは対照的に、いまだに日本の大衆の多くは知性に欠けている。
2011-06-25 01:04:24「君子和して同じず、小人同じて和せず」の「和」を議論できることと考えると、同調することと議論できないことは同義かなと思います。大衆については、両方同時に妥当する。RT @bbtetsuo 知性の欠如ではなく、同調圧力に弱い精神が問題だと思う。
2011-06-25 21:53:33「君子和して同じず、小人同じて和せず」・・なかなか良いですね。 RT @naganoteru: 「君子和して同じず、小人同じて和せず」の「和」を議論できることと考えると、同調することと議論できないことは同義かなと思います。大衆については、両方同時に妥当する。
2011-06-26 01:30:21「寄らば大樹」体質と徳川幕府300年封建社会の影響が大きいように思えますが。 @naganoteru: 元々市民社会として未成熟であるのが大きいと思う。武士というエリート階層だけが考える力を持って/大多数の大衆は/ただ従ってきた。欧米のように大衆が中産階級化する過程で知性を身に付
2011-06-25 01:05:46江戸時代の日本社会が封建社会として優れたものであったからだとは言えるでしょうね。RT @yosioki10 「寄らば大樹」体質と徳川幕府300年封建社会の影響が大きいように思えますが。
2011-06-25 21:56:21@yappie0646 家庭倫理は考える力の要素だとは思いますが、必要条件でもなければ十分条件でもないと思います。劣悪な家庭環境だったからこそ考える習慣を身に付ける子もいるでしょうから。どういう環境であれ、それをどう活かすかは本人の偶然の選択に依存するのかな、と。
2011-06-25 22:00:16@naganoteru 今の”巻かれるものが無い状況”で、旧態依然の教育をまじめに素直にしている人は不幸かもしれない。かといって、他にあるのか?と言われればどうなんですねw 自分の力で切り開く!考えるだけでなく動く!ってバイタリティを持てる力をつけられるかどうかってのは運ですねw
2011-06-25 01:10:33