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マルクス・ガブリエルのハーバーマス批判について「全体主義の克服」を読んで

VSハーバーマスは世代間対立に過ぎない
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徳永基二 @tokunagamotozi

マルクス・ガブリエルと中島隆博氏の対談「全体主義の克服」を読んだ。興味深いのはガブリエル氏がハバーマスをボロクソ批判している点だ。ガダマーが送り込んだ保守派の刺客、『近代の哲学的ディスクルズ』に書いているデリダ、アドルノに対する批判はナチと一緒だと。

2020-08-17 19:08:39
徳永基二 @tokunagamotozi

ただ、私が読んで感じるのは、単なる世代間闘争(爺さんは引退しろ、ポストは若者の俺が座る)に見える。かつてハバーマスがフランクフルト大のポストを得られなかったとガブルエルがハイデンベルク大で修士をまず取れと言われたのが相似形になっている点

2020-08-17 19:13:55
徳永基二 @tokunagamotozi

それとデリダやサルトル、レヴィナスなどもハイデッカーに影響を受けている(すなわち一概に否定できない)ことをわざと言及しないという。そうすることでハイデッカー、ガダマー、ハバーマスVSアドルノ、デリダ、ガブリエルの対立構造を描こうとしている。

2020-08-17 19:17:58
徳永基二 @tokunagamotozi

前々から思っていることだけど、一と多の関係を律儀に捉えることで「世界は存在しない」と言ったら全体主義が防げるような単純な図式描きすぎでないか。それを言うなら「世界は俯瞰できない」だけで十分でないか。文脈の多様性を強調しすぎると別な文脈にあるものがどう関係するのか説明できなくなる。

2020-08-17 19:23:11
徳永基二 @tokunagamotozi

例えば「地球に隕石が落ちて生物が死滅した」とする。それと別なジャンルの物語「あるギャンブラーの一生」という物語があったとする。この二つの物語は同じ時と場所で起これば関係のない話ではなくなる。世界が存在しないとこの二つは別な物語で済んでしまう。

2020-08-17 19:26:47
徳永基二 @tokunagamotozi

それと「どこにあるのか」ということに拘り過ぎ。これってもしかしてドイツ語の弊害か何かか?

2020-08-17 19:29:22

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