「比べてみないと、相手も自分も、分からない:物差し同士も照らし合わせてsynodos.jp/intro/9458」 RT @daijapan 自分らしさとは比較の中で生まれる。他者と比較する事でしか特徴は語れない。自我を確立する事を迫る世の中では、比較から逃げる事はできない。
2014-07-16 09:30:32論理の多様性
【新着記事】 「論理的思考」の落とし穴――フランスからみえる「論理」の多様性/『「論理的思考」の社会的構築』著者、渡邉雅子氏インタビュー - SYNODOS - synodos.jp/opinion/societ…
2021-09-21 06:52:34論理の限界
【ビジネス】 経営コンサルタントはすぐに解雇しなさい ―― 驚くほど理解されていないが、ビジネスの成功に必要なのは「理性」より「感情」だ|ニューズウィーク日本版 newsweekjapan.jp/stories/busine… …
2015-08-31 05:50:01朱子学の「理」
「中国朱子学においては」「「理」 はその質料を成立させる根拠-意味、形而上の存在であり、主として人間学に係わる、とされる。さらに朱子自身の思想形成でいえば、まず朱子は周濠渓の存在論と程伊川の理の哲学から出発し、やがて張横渠の気の哲学や部康節の宇宙論を取り入れて、自然と人間の両領域を覆う壮大な学問体系を樹立したのである。従って、朱子個人の思想史でいえば、単なる 「理」と「気」の二元論的接着ではなく、理の哲学がまずあって気の哲学がそれに包摂されたのである。朱子において、既に「理」の形而上学の意味における「理学」という語は初出していた」
「太極は万物の統体であり「ただこれ一個の理学である」と。逆に言えば、万物はおのおの、太極 (にして無極) という形而上的「理」を備えている、ことを扱う学が「理学」、であった。朱子学において『朱子語類』巻一の、これ理有りて後、これ気生まる、 有是 理後生是気」 とあるように、朱子においては理の気にたいする優先がいわれる。理は「形相」と違って表象性がなく「ロゴス」と違って物質性を拒否する。しかし同じ巻一でも別の箇所で、理が気に遅れて出る意味のこともいう」
http://doi.org/10.15055/00002492
近代日本における「理学」概念の成立