【追加あり】「薩摩・島津の捨てがまり」が言われ出した起源の考察
んー、関ヶ原軍記大成(大全)に記述あるのか……二十七巻"島津島津義弘父子後附豊久戦死"の巻二十七の終わりまでみたんだが……違う箇所かな。 お聞きして、該当箇所を探そう。 twitter.com/ujito2020/stat…
2020-09-27 03:08:33江戸時代の捨てがまり 文化十年(1813年)の軍記小説「関ヶ原軍記大全」による捨奸(すてがまり)による使い方。 甲斐の信玄が名付けて捨てがまりとつけたと云う煽り文言を用いて島津義弘の捨てがまりを説明。 此れより以前もあるかも知れませんが甲陽軍鑑から引用して島津義弘に用いられた例として…。 pic.twitter.com/wbXrqfvgeu
2020-09-26 16:04:44ん?あ、わかった。 私が読んだやつは、宮川忍斎の元禄3年成立の関ヶ原軍記大成(大全)で、田丸常山の作とは違うみたいね。 素人がやるとこういう間違いを犯すわけだ……。 pic.twitter.com/oxCXVrcyoT
2020-09-27 04:00:16例の話題について自分が調べたことを書きました。 [研究] 武田が「捨がまり」を使ったとは書いてない|桝田道也|pixivFANBOX mitimasu.fanbox.cc/posts/1444846
2020-09-29 01:28:00「捨伏(すてがまり)」が登場する、直木三十五の『関ヶ原』。dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid… これは昭和7年に春陽堂から刊行された版だが、前年の昭和6年に早稲田大学から刊行されているようなので、できればそちらも確認したい。
2020-09-26 07:21:32しかし俺の能力では読めん。要するに島津が用いた戦法は、信玄が「すて加まり」と名付けたのと同じだということか?だとすれば島津がそれを「すてかまり」と呼んでたわけではないということになる(でも読めんから…)
2020-09-27 10:53:47最も重要なのは、信玄が「すて加まり」と呼んだと書いてあるけど、島津が用いたのは「捨伏(すてふせ)」と書いてあるのではなかろうか?つまりこれは島津では「すてふせ」と呼んでいた可能性?
2020-09-27 11:16:31『大日本国語辞典』によれば「かまり」は「忍びの斥候」のことだが、多人数を「大かまり」、数人の場合を「伏かまり」という。同じく「すてかまり」は「伏屈(ふせかまり)」の兵を残し置くこと。つまり数人の「かまり」を残し置くこと。
2020-09-27 11:27:31島津の「捨伏」は数人では無い(はず)なので、「捨てかまり」では無く「捨伏(すてふせ)」で名前も用法も似ているので両者に関係があると考えた可能性もあったりして(わからんけど)。
2020-09-27 11:31:57『関ヶ原軍記大全』より。「捨伏(すてふせ)」って書いてあるっしょ。 pic.twitter.com/GoyktmBNBR
2020-09-27 11:48:11「捨状」と書いてある写本もあるけど、多分誤写で「すて加まり」がおそらく正しいだろうと思われ。そして信玄が名付けたという「すて加まり」と、別の部分に書かれている島津の「捨伏(すてふせ)」は使い分けられているのではないかと俺は思うわけで。
2020-09-27 12:40:37そして「捨奸」は島津家で名付けたのでは無く、「島津家には士卒までも命を捨て勤む他家になき捨奸なり」と言われ始めてこの名があるとか。他家で同じことをやれば士卒がそのまま逃げてしまうことが多いので利が無いのだという。
2020-09-27 13:12:26なおこの「捨奸」は種子島の心得がある2~3人または5~7人の士卒を道の左右に隠れ紛れて配置するという。「すてかまり」が少人数だという『大日本国語辞典』の説明に合致する。ただし一方では井伊直政を撃ったのは13挺だとか20人だとか言った他の史料に出て来る話とは噛み合わないようにも思われ。
2020-09-27 13:21:01それはともかく、島津の「すてがまり」は島津家中でそう呼ばれたのではなく、他家が呼んだという可能性が高いと思われ。で、そう呼んだのはいつからか?同時代か?後世かということが問題に。
2020-09-27 13:30:54で、『関ヶ原軍記』には「捨奸」と言い始めたのは「九州軍事の間」とある。「九州軍事」とは何か?おそらくは秀吉の九州征伐のことではないか?とすれば関ヶ原より前から他家に「島津の捨奸(すてがまり)」が知られていたということになる。
2020-09-27 13:38:39途方もない話だと思うけど、国デジで探したらいきなり『豊臣鎮西軍記』に「其他の兵士は皆々本城へ退く体をなして密に所々に埋伏なさしめ」なんて書いてあった。「すてがまり」とは書いてないけど。
2020-09-27 13:58:00これは「釣り野伏せ」というやつですね。俺はこっち方面全く詳しくないんだけど。ってことはもしかして「釣り野伏せ=すてがまり」なのかな? ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%A3…
2020-09-27 14:21:01「釣り野伏せ」と「すてがまり」は少し違うようにも見えるけれど、稲葉良道が長島一向一揆で行った「すて加麻里」は「釣り野伏せ」のほうに近いと鈴木眞哉氏が書いている。
2020-09-27 14:31:47「隠れ遊び」とは何か?「武田軍の戦法には、退却して敵を釣り、深追いする敵を殲滅するという、「隠れ遊び」という独特な 」(『長篠・設楽原合戦の真実』名和弓雄)というのがヒットして「釣り野伏せ」にそっくりと思った次第。
2020-09-28 07:41:24