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日本の甲冑・軍装(戦国時代以前)

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某研究者 @boukenkyuu

pinterest.jp/pin/3436106465… 法然上人絵伝に有る様な屋敷内でも 大型の垣楯は持ち込み難い故に 持楯が利用されているという事なのかだが

2021-07-03 23:17:06
某研究者 @boukenkyuu

十二類合戦絵巻だと 城周囲の険しい地形を垣楯を持ち移動している場面も有るが こうした事さえ出来ない地形も有ると言う事なのかだが pic.twitter.com/ivJbaQBcXg

2021-07-03 23:25:09
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某研究者 @boukenkyuu

twitter.com/boukenkyuu/sta… 日蓮聖人註画讃だと 偵察をした兵が持楯を装備しているが 軽量で地形対応性が高いから利用と言う事なのかだが

2021-07-03 23:29:55
某研究者 @boukenkyuu

@3618Tekubi 16世紀前期成立の日蓮聖人註画讃では 日蓮を偵察に出ていた兵が手盾を装備しているが 偵察に出る忍者も敵遭遇の危険が高い場合は こうした手盾を銃が普及する前は利用していた可能性もあるのだろうか pic.twitter.com/KqMMqL0BSy

2020-11-26 17:53:40
某研究者 @boukenkyuu

土塁を登る際も 持楯なら利用出来ると言う事なのかだが 傾斜60度等の土塁は フロイス日本史の龍造寺軍が利用した様な杭を打たないと 持楯利用は困難な可能性も有るのかだが

2021-07-04 10:02:21
某研究者 @boukenkyuu

twitter.com/boukenkyuu/sta… 野戦でも地形対応を考慮してか 持楯も利用される例が有ると言う事なのかだが

2021-07-04 13:08:08
某研究者 @boukenkyuu

cubeaki.dip.jp/taiheiki/taihe… >和田・楠、法勝寺の西の門を打通て、川原に引へたりけるが、敵を帯き出して勢の程を見んとて、射手の兵五百人馬より下し、持楯畳楯つきしとみ/\、閑に田の畦を歩せて、次第々々に相近付。

2021-07-04 11:09:09
某研究者 @boukenkyuu

攻城戦だと 城周囲の険しい地形や 土塁を移動する為か 持楯の利用が太平記では目立つが 城周囲の平坦な場所では bunka.nii.ac.jp/heritages/heri… pinterest.jp/pin/3436106465… 後三年合戦絵詞・秋夜長物語絵巻等に有る様に 垣楯も利用されていると言う事なのかだが

2021-07-04 14:52:18
某研究者 @boukenkyuu

城内突入後も敵の飛び道具は飛んで来るかも知れぬし 持楯を持った儘白兵戦をしている例も多いと言う事なのかだが

2021-07-04 14:53:22
某研究者 @boukenkyuu

十二類合戦絵巻だと 城に乗り込もうとする部隊に 持楯を持つ者も居るが 長物迄持って険しい地形を移動出来るのかどうかだが pic.twitter.com/JhABNSaveI

2021-07-04 15:02:39
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某研究者 @boukenkyuu

持楯を持つ攻城兵も 突入後は疲労やダメージを考慮して 出来るだけ早期に 疲労していない後続部隊を前に出していた可能性も有るのかだが

2021-07-04 15:24:34
某研究者 @boukenkyuu

持楯装備だと 垣楯を持つ兵の様に 装甲の無い様な者は居ない可能性も有るのかだが 持楯を持ち士気・戦闘能力の高い騎馬武者が 前衛で城に突入したと言う訳でも無いのかだが

2021-07-04 15:27:52
某研究者 @boukenkyuu

十二類合戦絵巻や法然上人絵伝だと 持楯を持つ者に皆鎧は有るが 騎馬武者的な物では無いだろうか

2021-07-04 15:35:59
某研究者 @boukenkyuu

大石には持楯も耐えられず 鉄の持楯も大型銃や 大石ではやられていたと言う事なのかだが

2021-07-04 16:46:49
某研究者 @boukenkyuu

大木・熱湯や油等で やられる例も多いと言う事なのかだが

2021-07-04 16:47:37
Amictica sal vitae.(新アカウント) @boots_fleck1

「汚くも、後ろをば見するものかな。しばし引き返せ。ものいはむ」 と言はれたりければ、貞任見返りたりけるに、 「衣のたては ほころびにけり」 と言へりけり。 とある。 有名な“衣のたて”の一節ですね。

2023-06-30 13:05:50
Amictica sal vitae.(新アカウント) @boots_fleck1

これは楯を頭上に抱えて攻めているが、矢を防ぐのに楯は大変有効だったということでしょく。 問題はこれが置き盾か持ち楯かというところですが、まあ置き盾を流用したなら、寸法的に不都合があったりすればその場で切ったりすればいいだけで、現場であるものを有効に使って攻めているということで

2023-06-30 13:05:50
Amictica sal vitae.(新アカウント) @boots_fleck1

いいのでは。 だから、多分楯というのは表道具として考えられることもあったのだろうけど、特に手に持つ場合には必要に応じて用意されるもので、定型はなかった(当然、体格に合わせて持って使用しやすい寸法や重量に仕様は収束するだろうけども)のかもしれない。 twitter.com/3618tekubi/sta…

2023-06-30 13:05:51
習志野青龍窟 忍道家 @3618Tekubi

最近「侍が盾を使わない理由とは⁉︎」みたいな動画が流行って、その言説の再生産が起こっているけど、他の武術研究の方が言うように、侍は必要に応じて普通に盾を使っていたと思われる。 戦国期の戦を記した江戸初期の軍法書や忍術書にも盾に関する詳細な記載が出てくるし。

2023-06-29 20:10:18
Amictica sal vitae.(新アカウント) @boots_fleck1

これは置き盾にも言えることで、後々ある程度の寸法の決まりはあったことはそうですけど、それは当然のことながら、使いやすい寸法などに収束していたでしょう。

2023-06-30 13:05:51
Amictica sal vitae.(新アカウント) @boots_fleck1

みんみんぜみ先生も、こうおっしゃってますね。 twitter.com/inuchochin/sta…

2023-06-30 13:05:52
みんみんぜみ @inuchochin

これは単純に感想ですが、結構実態に近いと思います。そもそも盾(手盾、置盾)は使い捨てですし、戦国期から江戸初期の兵法流派でも盾は奥の手や敵が手盾を使ってきた場合の対処としてしか出てきません(室町戦国時代の基礎的な知識と室町〜江戸の武術伝書を結構読んだ上での感想) twitter.com/wantan_tabetai…

2023-06-30 08:34:22
Amictica sal vitae.(新アカウント) @boots_fleck1

なお、手盾については、古墳時代の軍隊、それ以後の軍隊、平安時代の律令制軍団などの様子も考える必要があり、それ以降の武士たちの活躍する時代に移行していく中で、楯扱いも受け継がれながら変化したと考えるべきかもしれません。

2023-06-30 13:05:53
東国剣記 @tougoku_kenki

『延慶本平家物語』にも同じ出来事の説明として「楯を載せて甲とし、楯を浮べて筏として、」がありますね。

2023-06-30 19:23:11

一枚楯

某研究者 @boukenkyuu

pinterest.jp/pin/3436106465… 太平記だと野伏が山で一枚楯を利用している場面も有るが 縦長は垣楯と同様なので 持楯程の地形対応性は無いと言う事なのかだが

2021-07-03 23:33:53
某研究者 @boukenkyuu

野伏も険しい山だと 持盾を利用する可能性も有るのかだが

2021-07-04 09:54:04
某研究者 @boukenkyuu

cubeaki.dip.jp/taiheiki/taihe… >楠木は元来勇気無双の上智謀第一也ければ、一枚楯の軽々としたるを五六百帖はがせて、板の端に懸金と壷とを打て、敵の駆んとする時は、此楯の懸金を懸、城の掻楯の如く一二町が程につき並べて、透間より散々に射させ、敵引けば究竟の懸武者を五百余騎勝て、

2021-07-04 11:21:09
某研究者 @boukenkyuu

>同時にばつと駆させける間、防手の上杉・畠山が五万余騎、楠木が五百余騎に被揉立て五条河原へ引退く。   楠木正成の連結式一枚盾だと乗馬突撃も防げるが 畳楯より機動性が高いと言う事なのかだが

2021-07-04 11:22:20
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