戦国時代「下克上」は確かに多かったけど「マジ反社」のレッテルも張られるので皆、その回避に必死~という話。
戦国ちょっといい話・悪い話まとめ というブログの管理人でございます。 iiwarui.blog90.fc2.com 主にブログ更新のお知らせとか戦国時代のこととかそれ以外のこととかつぶやきます。
@fUD5JDGnFkp4Lv5 実は「下剋上」という言葉も当時、その相手に対するかなりひどいレッテルで、その「下剋上」をする側は極力周りから下剋上と見られないよう、最新の注意と配慮をしていた、というのが実態だったようですね。信長なんかも大変に神経を使っています
2021-05-30 00:23:16戦国時代を「下剋上の世」という考え方はまだまだ根強いですが、同時代的にはどうも「下剋上」は恐ろしく反社会的な行為として認識されていたらしく、故に「下剋上をした」と認識されると、社会的信頼が喪失するような状況になったらしいのですね。なので、例え実質的な下剋上であっても、それを
2021-05-30 00:32:11する側はそれが「下剋上である」と見られないよう非常に注意し、様々に配慮したことが伺えます。「露骨な下剋上と認識された」例としては斎藤道三が居ますが、彼はそのため周辺大名から強く警戒され、また国内も上手く纏めることは出来ませんでした。その位「下剋上」にはデメリットが有ったわけです
2021-05-30 00:32:11結果として、下剋上と呼んで良いような現象が全国的に進行した事と、だからと言って下剋上行為が社会的に肯定されていたかどうかというのは、全くの別問題なのですね。
2021-05-30 01:06:58@1059kanri 家康や元就みたいに国衆から上位権力から認められて大名になるのも非常に稀ですからね 単純に実力があるからのし上がるという世界ではないですし
2021-05-30 00:34:21@kumadayo1973 「自分は最後まで忠誠を尽くしたが、仕形のないことだった」という形に、周辺を納得させられるかどうか、という事ですね。
2021-05-30 00:34:49下剋上というのは、身分や階級の存在こそが世の中を安定させると考える「権威主義」を根底から覆すものですから、当時は反社会的行為と認識されていたのもうなずけます。 twitter.com/1059kanri/stat…
2021-05-30 00:38:04@1059kanri 将軍や守護と言う権威の価値が低下したので、余計に自力で大義名分を作らなくてはいけなくなった、とも言われてますね。
2021-05-30 00:38:47@1059kanri 実力だけの世界なら浅井は大名になれますし 権威と武力は二つ揃って本来の力を発揮する感じなんですよね
2021-05-30 00:40:00実際に「下剋上」にあたるという例って稀有ですよね、 とりあえずより上位の権威を立てることはする twitter.com/1059kanri/stat…
2021-05-30 00:40:08@sekigaharanifu 「実力」というものは、逆に言えばそれより強い実力のある者が現れれば、それに滅ぼされても文句は言えない、という事ですからね
2021-05-30 00:43:18だから信長は尾張の安定、という大義名分の確立に腐心したという事でもありますよな。 twitter.com/1059kanri/stat…
2021-05-30 00:43:51@1059kanri 龍造寺>主家にほぼ皆殺しにされたからしゃーない 津軽>討伐されずに近隣豪族併呑しまくり 宇喜多>直家の采配おそるべし 横瀬由良>主家に暗殺されそうになったんだから認められるやろ
2021-05-30 00:57:17@kouchi85 昨今では宇喜田は、そもそも浦上氏の有力な「同盟国衆」であったと言われたりしていまして、だとすると本当に下剋上でもなんでも無いという
2021-05-30 01:01:29@1059kanri 本能寺の変の後に誰も光秀に協力してくれなかったのって、当時のそういう価値観によるところもあるんですかね。
2021-05-30 01:05:18