amenitydry先生らによる某法哲学会功利主義祭潜入記
- eguchi1965
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たぶん他者危害原則を植え込まれた自己利益最大化型人間になるよう教育するんじゃないでしょうか。個人の利益と社会の利益は制度的に一致するようにして。
2011-11-13 11:14:12小松先生はベンタム教育論に対する偏見を払拭することには成功している。しかしベンタムの教育論はやはり理想的すぎて、実現可能なものではないと。学生裁判怖いんですけど。
2011-11-13 11:27:57@gunma_jirou わかりました。簡単なメモというかノートで申し訳ありませんが、午後も似たようなことを続けていきたいと思います。
2011-11-13 12:37:50午後は人が大分増えそうだな。そりゃそうか。功利主義で安藤馨先生の発表だからな。そして、目の前にいるおじいさん、「長尾先生」と呼ばれていた・・・ごくり。
2011-11-13 12:43:57功利主義と統治の関係への整理。まず正義。ある行為の道徳的許容可能性、その行為の要求充足、その行為の強制の許容可能性。これを制度の評価に転換するために、次のテーゼが必要になる。正義にかなった制度を創設・維持しその要求に従うことが、 正義が我々に要求する義務。
2011-11-13 12:52:24そもそも統治の理論とは何ぞ。扱うのは、功利主義が包括的規範理論として統治にも当てはまるのか、それとも部分的理論として、統治にこそ当てはまるのか。次に功利主義は統治制度をどのように評価するのか問題。
2011-11-13 12:54:39不偏性からの批判と要求しすぎという批判。部分的なら法理論としてなら可能とあう応答。包括的なら、間接的功利主義(諸個人の偏りこそが福利の増進につながる)と全員がある規則に従えば、という規則功利主義。法理論としての功利主義だけを積極的に受容する必要性はなく包括理論は部分理論も認める。
2011-11-13 13:01:20理想的ならどうなるか、を論じる道徳理論は、我々に実際の行動に指示を与えないので無用の長物なので、この方針を拒絶。とりあえず功利主義は包括的理論であるがゆえに、統治にも適用できるという立場をとる。
2011-11-13 13:04:03正義に叶う制度とは、それを促進維持してその要求に従うことが正義に叶うような制度という立場をとる。これが正義テーゼ。でもこれは功利主義的には認めることが出来ないので、このテーゼを修正する必要があると。
2011-11-13 13:07:48正義に叶う制度とは、その制度の維持と服従が、最適意思決定方式に属する制度だと。ヘアの二層理論のようなモデル。
2011-11-13 13:10:02規範のモデルは、もとある規範にしたがえという自然犯型モデルと法にしたがえという法廷犯型モデルはどちらも難点あり。事態当為モデルが妥当。例えば「太郎が次郎を殴るべきである」という事態が成立することを目指すべきという規範モデル。
2011-11-13 13:16:44正不正は事態ではなく行為の評価ではないのか。台風は違法だとか言うのは馬鹿げてるので、行為者能力説を取るのが妥当。全能者でも無理なので、当該行為を行う能力を持つ人だけが名宛人という感じでいいのだろうか。
2011-11-13 13:20:32