山本義隆著「福島の原発事故をめぐって いくつか学び考えたこと」のポイントまとめ~原発問題が俯瞰できる!
- nusubito_hana
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45.実際、関西電力美浜原発の1991年の重大事故(海や大気中に放射線を直接大量放出)ではECCSは自動では作動せず、ベテランの作業員がとっさの判断で手動させた。
2012-01-02 00:30:1646.米国原子力規制委員会についても「多様な企業が商業的に原子力発電を行っている現状では有効な安全規制ができるか疑わしい。マークⅠ型格納容器の評価計画が目指していたのはこれら発電所が運転を続けていくのに十分な安全を“立証”することで真の安全性を公正に評価することでなかった」
2012-01-02 00:49:1247.ここからは「科学技術幻想とその破綻~一六世紀文化革命」に入ります。まず、科学技術(科学と技術ではない)とは、「客観的法則として表される科学理論の生産実践への意識的適用としての技術」であり、それを発明したがゆえに西欧近代に生まれた文化が、現在では世界を席巻するに至っている。
2012-01-02 17:17:0148.今日科学技術は個人の日常生活から国家間の国際政治に至るまで巨大な力を有している。現在の科学技術の「隆盛」は通常は17世紀科学革命と言われる西ヨーロッパの文化的変動にはじまる。【重要】それ以前のヨーロッパでは哲学神学文学すべての世界で『技術は自然に及ばない』と考えられていた
2012-01-02 17:21:3249.キリスト教世界である12世紀のギヨーム曰く「全ての技は、創造主の技か、自然の技か、自然を模倣する職人の技のいずれか」であり「創造主の作品が完全である」のにひきかえ「人間の作品は不完全である」
2012-01-02 17:24:3650.同時代のサン・ビクトル修道院のフーゴーは「業(わざ)には三種類あり、神の業、自然存在の業、自然存在の業を模倣する技術者の業がそれである」そのさい、「技術」が作るものは「まがい」であり自然に劣る不完全なものとしている。
2012-01-02 17:27:4251.中世文学の傑作、13世紀中期の『薔薇物語』にも「<技芸>は自然の前にひざまずいて猿のように<自然>を真似る」が「決して<自然>には到達できない」と記されている。(人間は神はもとより、自然にも及ばぬ存在であるというのが当時の一般認識だったということですね。現在と真逆です)
2012-01-02 17:30:5452.こうした(人の技術は自然に劣る)状況が大きく変化したのがルネサンス期。http://t.co/ahSAjweXまず、中世キリスト教社会では異端と見做され日影に追いやられていた魔術思想やヘルメス主義http://t.co/fAu9KxlSが公然と語られはじめた。
2012-01-02 17:35:2253.(時代背景補:当時はギリシャローマなどの古代人の叡智の方が中世よりも優れていたと考えられており、学問といえば(現実世界ではなく)古代文書の翻訳が盛んに行われていた。13cのスコラ哲学もその後の人文主義も魔術の書であるヘルメス文書もこうした意識状況の中で見出された)
2012-01-02 17:46:2854.ヘルメス文書「人間は神的な生き物であって他の地上の生き物などに比べられるべきではなく、上なる方、天に住み神々と呼ばれる者にこそ比べられるべき。あるいは敢えて真理を語らざるをえないとすれば真の意味での人間は神々より上ですらありうる。いや力の点では両者はすくなくとも対等」
2012-01-02 17:49:4055.叡智は神と人間にだけ与えられているがゆえに人間は偉大であり、人は神のレベルにまで高められるというその思想は、宇宙における人間の役割にたいするそれまでの見方を決定的に変えるものであり、人間解放(人間中心)というルネサンス人のエートスに強烈に訴えかけるものだった。
2012-01-02 17:51:0656.(前後しますが53の補足:選ばれし者にのみ古代からひそかに伝えられてきたその知識を探りあて、その技術を習得すれば、古代の賢者に近づき、卓越した能力を身につけることでできると信じられていた。←例えばヘルメス文書・・・山本義隆氏「磁力と重力の発見」からの引用です。)
2012-01-02 17:54:0457.ヘルメス文書に影響を受けたフィレンツェのピコは『人間の尊厳』において「人間は偉大な奇蹟であり」「人間は望むものを持ち、欲するものになることが許される」と宣言している。(つまり、もはや人間は神と同等、あるいは上といった認識が徐々に拡大していった)
2012-01-02 17:57:5358.(補足:ピコらにヘルメス文書の翻訳を命じたのはフィレンツェのメディチ家の始祖コジモ・デ・メディチ。十字軍遠征でイスラムから富を掠奪し力をつけた商人(金貸し)や新興都市市民が王の力を凌駕し、物欲や性欲などの欲望を増大させ、それを正当化したのがルネサンス=人間の欲望肯定)
2012-01-02 18:01:4759.そしてルネサンス後期、魔術は「自然魔術」と進化。それは、それまでの魔術と異なりデーモン(悪魔)に頼ることなく、「自然の法則」に随順することによって秘められた自然の「力」を行使しうるという可能性を公然と語りはじめた。自然を行使する・・・近代科学技術思想の先駆と言える。
2012-01-02 18:05:5260.そして(大学では相変わらず古代文書とにらめっこしてる中)自然魔術師や職人・技術者達は、実験による試行錯誤を自然認識あるいは自然力の技術的使役のノウハウの開発にとって有効な方法として提唱した。◎しかし、それでも彼らは自然に対する畏怖の念を中世から受け継いでいた。
2012-01-02 18:09:1861.ドイツの自然魔術師アグリッパ「自然魔術は全ての自然的、天体的事物の力を熟慮しその秩序を注意深く研究・・・自然の秘められた力を知ろうとするもの。こうして驚くべき奇蹟が技術によってでなく自然によって起こる。技術は自然に対して下僕のように仕えることでこれらの事物に働きかける」
2012-01-02 18:13:1562.同時代の技術者ビリングッチョも「技術は自然に比べて極めて非力で、自然を模倣しようとして自然に従うのであるが、事物にたいして外側から表面的に作用するにすぎない」(人間は神と同等か上位だが、技術は自然の足下にも及ばないという謙虚さ・・・畏怖の念がまだ残っていた)
2012-01-02 18:18:2363.そして、この時代に自然魔術や技術者や職人は、自身が開発し蓄積してきた技術ノウハウをおりから出現した印刷出版によって公開していった。⇒「一六世紀文化革命」(現在のように科学技術が国家主導で独占され隠蔽されていくのは17世紀から)
2012-01-02 18:21:4064.次の変化はそれまで手仕事を蔑み、論証技術に長け、専ら古代文献の釈義に明け暮れていたエリート知識人のうちに、職人や魔術師に担われてきた知のあり方の有用性を認めるものが出現したときに始まった。こうして文書偏重・論証優位の知から技術にも関心を寄せ経験をも重視する知へと視座が転換
2012-01-02 18:26:1065.それ以前のどの文明においても思弁的な論証知と技術的な経験知は存在していたが、それらは互いに疎遠であった。この時代にひとりヨーロッパ文明だけがこの両者を結合させるのに成功した。
2012-01-02 18:28:4566.その代表がガリレオの実験。自然界には存在しない真空を論証によって想定したもので、独自の実験装置をも考案したという意味で、思弁と経験を結合するはじめての仮説検証型の実験であったと言える。
2012-01-02 18:33:0867.ガリレオは人為的に構成された理想化状況(真空)で精密な観測を行なうという職人的技芸と、抽象的概念を操作するスコラ的論証技術を結合させたのである。
2012-01-02 18:35:4268.ガリレオの実験の意義についてカント曰く「理性は一定不変の法則にしたがう理性判断の諸原理を携えて先導し、自然を強要して自分の問いに答えさせねばならない」「自然から教えられるためではあるが、理性は生徒の資格ではなくて本式の裁判官の資格を帯びる」→人間が上位に立った自覚が鮮明
2012-01-02 18:39:2469.フランシスペーコン「自然の秘密もまた、その道を進んでゆくとによりも、技術によって苦しめられるとき、よりいっそうその正体を現す」ボイル「私が元素の混合によって生ずると言われている諸物体そのものを試験し、それを拷問にかけてその構成原理を白状させるために忍耐強く努力したとき」
2012-01-02 18:42:43