足利二代将軍よしあきらちゃんによる中世格差講座

大河ドラマ「平清盛」を楽しむために、平安時代の官位とそれによる格差、その後の武家官位の変遷について解説
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足利義詮 @asijaga2nd

【河内源氏あるある】平家の公達や摂関家の人と話をしていると、官位の感覚の違いに「これが格差社会か…」と黄昏る時がある http://t.co/rCaRgLMi

2012-01-09 11:44:04
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足利義詮 @asijaga2nd

というわけで、今日は格差社会もとい官位の話をしようと思うんだ(・∀・)

2012-01-09 11:45:25
足利義詮 @asijaga2nd

官位って上から下までどの位あるか知ってますか?一番上は正一位なのは大体見ての通り。で、下はと言うとまず少初位と大初位っていうのがある。このあたりは本当に下級で、地方の一番地位が低い雑用役人の身分だった。

2012-01-09 11:54:57
足利義詮 @asijaga2nd

その上に従八位下・従八位上・正八位下…ってあって、どんどん身分が高くなるんだ。

2012-01-09 11:58:03
足利義詮 @asijaga2nd

で、この八位から六位までのグルーブが、下級貴族グループ。陰陽師とか学者とか、医者とか、色々現場で仕事する人たち。初期の武士もココが居場所なのです。

2012-01-09 12:05:09
足利義詮 @asijaga2nd

基本的に一部の例外を除いたら、このグループには「昇殿」が許されません。「昇殿」っていうのは天皇が日常生活を送っている禁中に立ち入って、天皇や上級貴族とお仕事すること。住む世界が違うんですよね。

2012-01-09 12:07:43
足利義詮 @asijaga2nd

昇殿を認められた人のことを「殿上人」といい、そうでない人を「地下(じげ)人」といいます。はい、格差来たよ!

2012-01-09 12:10:45
足利義詮 @asijaga2nd

保元物語・平治物語なんか読みますと、このあたりの格差が非常に明確に表現されています。

2012-01-09 12:12:48
足利義詮 @asijaga2nd

(保元物語には昇進を許されるのが嬉しくて、無断で階上に上がってしまう義朝公がいますね。あれ大河でやるのかなあ)

2012-01-09 12:20:36
足利義詮 @asijaga2nd

この殿上人と地下人の間の壁は、とにかく分厚い。生まれつき上級貴族に生まれた人は、もう元服と同時に殿上に上がって、スイスイ官位を登れますけど、地下人の子は地下人、よっぽど何かあって帝から昇殿宣旨を賜らない限り、殿上には上がれないんです。

2012-01-09 12:25:02
足利義詮 @asijaga2nd

で、清盛公はというと、この元服と同時に昇殿が許される組でした。お父上が帝に重用されていらしたのが大きいのかな。摂関家と帝の仲が良くないと、時折帝が自身の手足を作るために、こういうことなさることがよくありますね。

2012-01-09 12:28:44
足利義詮 @asijaga2nd

で、源氏はと言うとですね…我が先祖ながら色々DQN気質が災いして、出世からは遠ざかり、義朝公が頑張ったことでようやく、頼朝公が元服と同時に昇殿する快挙を果たしました!

2012-01-09 12:31:00
足利義詮 @asijaga2nd

(平家に邪魔された><的なことを、後の時代言ったりもしましたが、単純に親族で殺し合いしたり、喧嘩にかまけて仕事しなかったり、盗賊一歩手前な真似してたから、出世出来なかっただけです)

2012-01-09 12:34:07
足利義詮 @asijaga2nd

頼朝公が坂東で特別な存在になったのは、ずばりココなのです。流人とはいえ、彼は殿上人、坂東武者はみんな地下人かそれ以下。

2012-01-09 12:36:35
足利義詮 @asijaga2nd

まあ、平家には殿上人がゴロゴロいるんですけど…。でも、そんな殿上の平家をぶん殴りたいと思っている人たちにとって、同じ殿上人の頼朝公を担ぐことは、非常に利にかなっていたのです。

2012-01-09 12:40:37
足利義詮 @asijaga2nd

(承前)というわけで。平家は武士のくせに貴族のような暮らしをしているって認識は間違いなのです。平家は武門の家ですが、あくまで貴族。それは源氏も同じです。スタートが低い地位だったけれど、元から貴族なのです。

2012-01-09 13:01:01
足利義詮 @asijaga2nd

さっきも言ったように、貴族だって下級貴族がいるのです。末端で働く貴族達は、武門の家だけでなく、デスクワーク派にもいっぱいいたのです。例えばそう、藤原信西とか大江広元とかね。源平合戦の時代期というのは、この末端で働く実務官僚たちの下克上という側面もあります。

2012-01-09 13:01:37
足利義詮 @asijaga2nd

さて、なんやかんやあって、平家のように下級貴族から太政大臣にまで上り詰める人間が出てくる時代になりましたが、ここで鎌倉時代がやってきます。武士の時代ですね。

2012-01-09 13:03:51
足利義詮 @asijaga2nd

しかし、武士の時代だからといって、坂東の地下人が殿上人になれると思ったら、大間違いDA☆

2012-01-09 13:05:06
足利義詮 @asijaga2nd

鎌倉幕府は色々あって(検閲)将軍家は三代で断絶し、京都から将軍を呼んで執権がそれを担ぐ執権政治がスタートすることになります。

2012-01-09 13:07:17
足利義詮 @asijaga2nd

この執権職なんですが、官位は思いがけないほど低いんですよ。えーと、確か得宗でさえ従四位上が上限。大体従五位上からそれくらいです。

2012-01-09 13:10:06
足利義詮 @asijaga2nd

得宗がそのくらいなんですから、空気が読めるかどうかが生命線になる鎌倉幕府御家人・御内人の皆様に、それ以上の官位持ってる人間なんかいません。

2012-01-09 13:11:25
足利義詮 @asijaga2nd

鎌倉御家人にとって、昇殿とは、異世界に登る階段のことであった、とも言えます。この時は、まだね。

2012-01-09 13:15:33
足利義詮 @asijaga2nd

だから、新田さんが倒幕前は無位無官の「新田小太郎貞義」でも、それは珍しいことではないんです。

2012-01-09 13:18:01
足利義詮 @asijaga2nd

そんな武士の官位事情にとって、大きな転機は、執権北条氏の滅亡、そして建武新政でした。

2012-01-09 13:19:10