明治維新黎明期の政治家人物像…歴史ifを絡めながら。
- 24mizushima
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昨日の龍馬が死んでなかったらという妄想小噺の流れで、明治初期の権力闘争を振り返ってみたのだが、廃藩クーデターまでの政治権力って本当に空白状態だなあと実感した。
2012-02-17 22:09:29このサイト(http://t.co/NA51USkx)が太政官制時代の官職がまとめられていて分かりやすいのだが、当初参議に選ばれたのが副島種臣と前原一誠だけで正直ビックリした(すぐ後に大久保利通と広沢真臣も追加される)。維新の功労者を排除して公家だけで政治やろうとしてたわけだ。
2012-02-17 22:13:00副島さんは我がアイコンの人の因縁の相手(台湾出兵めぐって論争→井上と渋沢が下野)ということで記憶に残っているが、前原さんは大村の後任となるも路線違っていじけちゃった人というイメージしかない。
2012-02-17 22:18:08で、廃藩クーデターまでに参議になったのを挙げると、副島種臣(肥)、前原一誠(長)、大久保利通(薩)、広沢真臣(長)、佐々木高行(土)、斎藤利行(土)、木戸孝允(長)、大隈重信(肥)、西郷隆盛(薩)、板垣退助(土)といった具合。
2012-02-17 22:25:32廃藩クーデターまでの複雑な経緯はここでは割愛する。詳しくはWikipediaでも読んでくれ。→http://t.co/byehTzVa 要は西郷引き入れたのはええけども、どう考えても地雷でした、本当にありがとうございましたということです。
2012-02-17 22:38:56廃藩後は、参議を西郷・木戸・板垣・大隈と薩長土肥が分け合い、省ポストは重要な大蔵卿を大久保(大輔を井上馨)、工部大輔を伊藤、兵部大輔を山縣、開拓次官を黒田と薩長で独占。肥も多く、外務卿副島、司法卿江藤、文部卿大木。土はゼロで後藤が左院議長。http://t.co/5Gdupo1l
2012-02-17 22:50:14まあ、正直なところ、板垣と後藤の次に挙がるのって佐々木高行だからな。その次が福岡孝悌とか。吉田東洋門下の上士連中、いわゆる「新おこぜ組」のメンバーですな。
2012-02-17 22:59:34@bn2islander 確かに勝や榎本、大鳥、渋沢といい思いしてますね。この辺りは幕臣でも才あれば登用するという木戸さんの方針だったかと記憶してますね。
2012-02-17 23:04:30@lion_sixteen あまり話題になってないエントリーがあるのですが、これを見ると、明治新政府の土台の多くの部分は、旧幕臣が担っていたのかなあと http://t.co/qDtNmGjU
2012-02-17 23:06:22@lion_sixteen 「オーストラリア開拓ぜよー」とか言ってるところしか思い浮かばんです。いや、これも創作に毒されているんでしょうが。
2012-02-17 23:08:23さっき省のポストで肥が多かったのは、この事務仕事ができるやつが多かったからだ。大隈はもちろん、副島、江藤、大木といかにも秀才肌の人間が起用される。長州も伊藤、山縣、井上ともに槍働きではなく、雑務とかでのし上がってきた連中ばかりだ。
2012-02-17 23:09:17今bn2さんに指摘していただいた幕臣の起用というのも、結局やつらは使える官僚組織だからだと思う。特に外交官とかは圧倒的に旧幕臣が多かったはずだ。
2012-02-17 23:11:59みんなこれから話そうと思っていることを先回りしてる気がするが、まあそうなんだ。龍馬が活躍するとしたら開拓使あたりなんじゃねーのと思ったりもする。実際、海援隊は開拓業務も将来の構想に持ってたらしいからな。
2012-02-17 23:14:30