miyayou さんの「論理的な文章」とお薦め書籍に関するつぶやき
理論的で構造のしっかりした文章を自分で書こうとすると、筆が止まるかうまくいかずカオスが生まれる。 @miyayou さんの文章はなんか、ご自身が意図した内容、勢い、強さがそのまま文章になっているように感じる。俺もこんな風に文章書けるようになりたいなあ。尊敬してます。
2010-06-16 10:29:17自分が論理的な文章を書くときは論理を計算して書いているので、論理的に自然に見えるのかもしれません。そういった論理を文章で生成するには、普段からある程度、論理的思考をすることが前提となるかと思います。@lye
2010-06-16 12:46:53一番大切なのは自分の中でその論理が血肉となっている一方で、逆に冷たく客観視できていることです。文章だけで、というのは難しいかと思います。というのも、論理というのは、その人が内部に持つ様々なものと衝突することが多いからです。 @lye_
2010-06-16 12:47:33!! 正反対の2つの意味に取れてしまった。論理記述のワナにはまってしまいそうですw RT @miyayou: 論理的思考を受け入れるというのは、繊細な感性の人ほど簡単なことではないかと思います。 @lye_
2010-06-16 13:31:46すいません。未熟...簡単ではない、ということです。>< RT @zerohime: !! 正反対の2つの意味に取れてしまった。論理記述のワナにはまってしまいそうですw RT 論理的思考を受け入れるというのは、繊細な感性の人ほど簡単なことではないかと思います。 @lye_
2010-06-16 13:36:41そういった意味で数学者・科学者・哲学者・芸術家は、それぞれ個性のある論理的文章を書きます。自分の先生は、デカルト「方法序説」 ポアンカレ「科学と方法」 ゲーテ「ヘルマンとドロテーア」 ヴォルター・ベンヤミン ジャン・コクトー です。 @lye_
2010-06-16 12:50:34岩波文庫から出版されている ヴォルター・ベンヤミン 「暴力批判論」「ボードレール」という評論集は、詩的なロジックが折り畳まれていてお薦めです。誰にでも、というわけではないですが、共鳴できる人には魔力を持つでしょう。それが、ベンヤミンの魅力。天才が文章の地平を開く。
2010-06-16 12:57:36ただ論理というものは、文章で表現するには、適したものではないというジレンマがあります。論理だけなら、論理記号やプログラムの方が余計なものがなくエレガントに表現できる。 @lye_
2010-06-16 13:23:56にもかかわらず、論理を文章で貫く意味があるのは、論理というあまりに簡素で自律的なワイアフレームに対して、それと真っ向から対立するウエットな世界の事象を衝突させることで、論理でも世界でもない、新しい何かが、それこそ人間の文章という何かが生まれるところにあるのです。 @lye_
2010-06-16 13:31:36