作品とコンセプトと説明
「批評家」の物言いのステレオタイプとして(勝手に)使用させて貰いました。元のツイートの発言者と同時デビュー同い年の別の美術批評家に対してマッタク同じことを言ったことがあったので。RT @n291 水野さん→批評家の言葉という判断は早計だったかも…心情的にはまったく同意。
2012-05-30 08:35:25ただし「ツイート」自体だけではなく発言者の肩書きまでを利用したのは、確かにちょっと「ルール違反」気味ではありましたね。。 @n291
2012-05-30 08:35:47製作だけではなく作品を言語化するのも技術。当たり前である。しかしそれはコンセプトを説明して説得するためのプレゼン技術だけの意味では断じてない。なぜならば作者が自作を語る言葉とは、それ自体が「作品」を形成するものとしても働くからだ。
2012-05-30 08:37:13作品に対して作者は特別なポジションに置かれる。作者にしか知り得ない制作にまつわる実話というものは当然ある。しかし「作品」とは作者自身も知りえないものをも含むものなのだ。それを語る作者は観客とさして変わらぬ位置にあるのかもしれない。
2012-05-30 08:37:47しかし作品のどのような側面について語った言葉でも、作者が自作について語った言葉は「作者の言葉」として作品に対して機能する。いや自作についての言葉だけではない。まったく別の事象について語った言葉が、自作についての「作者の言葉」として解釈されることだってままあるのだ。
2012-05-30 08:38:26作品についての言葉は「作品」を形成する。なかでも作者の言葉は「特別」として扱われる。当然、作者だからこそ「口にしてはいけないもの」も出てくる。それは単純に作品のプレゼンの場だけではない。プライベートを含むその作者の一生を通してのことなのだ。
2012-05-30 08:40:35だから作者が自作についての説明を頑なに拒むことも「作品を語る技術」のひとつなのである。敢えて嘘をついて「ただのバカ」を装うのももちろん「技術」だ。「作品を見る」とは、それを「読む」ことでもある。
2012-05-30 08:42:56にも関わらず観客が作者に対して手っ取り早く「コンセプト」の説明を求める一番の理由は、要するに時間の節約なのだ。コンペの応募に作品説明を求められるのはその典型だろう。しかしそれは決して常態ではない。むしろ一回の試験で全人格を判断するような特殊の場として理解すべきだろう。
2012-05-30 08:43:27作品を作者の「コンセプト」を具現化したものとして見る者には、所詮それだけのものにしか見えまい。作品解釈の美術史的プロットへの一元化も、作者にプレゼンをもとめる風潮も、作品を「それだけのもの」に矮小化してしまう危険性を孕むことを見るものは充分自覚すべきだろう。
2012-05-30 08:44:13@n291 ギャラリー山口の展示、懐かしい。最初の個展でした。フレームの問題を扱うのに字義どおりのフレームを作って撮影したというのは、あまり気付いてもらえなかったことですが。
2012-05-30 09:03:30@n291 さきほどの何人かの人がツイートしていた作品の説明の話ともつながりますが、自分の思い入れみたいなものは、ほとんどだれも読み取ってくれないという当たり前のことを学んだのもこの最初の展示でした。レヴューには逆に説明しすぎだということを書かれたような気もしますが。
2012-05-30 09:10:04昨日の昼の一連のツイートが拡散している(そして今も拡散し続けている)おり、大体反応も理解できた。言っておくが、そもそも私のツイートは、作家一般を指しておらず、美術教育についての話。ツイート辿っていただければわかると思いますが、文脈もそういう文脈で発せられている。
2012-05-30 10:20:00作家や作品一般にまで話を敷衍させれば、話はもっと複雑なのは当たり前。一方、教育には図式化も必要であり(伝達のエコノミーとして)、単純な図式が嫌なら、自ずとそれに抵抗するはず。勘のいい奴は、単純な図式化に抵抗して、自ずから突破する。それはそれで望ましい効果。
2012-05-30 10:27:11@seiichitsuchiya 外出前でゆっくりお話ができなくて申し訳ありませんが、わたしの発言に限っては、「美術教育」が、それでいいのかな?との疑問から発端しております。たしかに拡散も招いていますが。では暫し失礼いたします。
2012-05-30 10:30:16だいたいツイッター上で、単純な図式化はアウトで、複雑な議論しなきゃだめなの? 単純なバカの話が嫌だと思うなら、リムーブすりゃいいじゃん。
2012-05-30 10:44:35そして、嫌ならフォロー外してと言ってるそばからフォロワーが増えていき、ツイートは拡散していく……。ツイッターというアーキテクチャでは仕方がないが、どうしたもんかね。
2012-05-30 10:56:09今晩はgrooveでライブしますから、みなさん遊びにきてくださいね。 変なツイート拾わないで、実際に会いにいらしてくださいな。
2012-05-30 11:22:24つぶやきは所詮つぶやきなので見るだけのもんだぜ。そこから教えをもらおうとか、議論しようとか意味ないんだぜ!ワイルドだぜー。 そんなことよりも原発のこととかすごくいっぱい情報が廻っているので、情報収集に特化してるツイッターを利用して、良いよい未来を想像したいです。
2012-05-30 11:27:29僕はプレゼン主義には反対だけど、おおいに作品に就いて観客も作家も語ればよいと思う。賛否もおおいに語ればよい。併しどうも作家に語りを求めたりすることイコール「プレゼン強請」として考えてしまうツイートが散見されるのは遺憾である。そう誤解してしまう批評家や作家が多く居ると云う事実。
2012-05-30 11:52:39それが美術批評家の「プレゼン強請」に対しての美術家の「黙秘権」と云うような形での安易な二項対立になってしまっているとがっかりだよね。そもそもそう云った風な物言いの前提を疑わないで議論して居る美術批評家や美術家は、それこそつまらないものしか創って居ないんだろうね。
2012-05-30 11:58:49そもそも観客に作品に対する疑問や意見や説明を求められる迄もなく判り易く纏まった作品や、五秒で割り切れてしまう作品、理解しきれてしまう作品と云うのこそ、私は「プレゼンアート」と呼んで批判しています。幾ら判り易く説明し尽くしても解釈が閉ざされず、拡がっていく作品を創りたいしみたいね。
2012-05-30 12:05:00寧ろ、作者に色々訊きたくなったり、疑問や意見をいいたくなったりするだけでも、その「作品」は何かの可能性があると判断した方が良いと思う。何も感じない、若しくは簡単な説明を訊いただけでああそうですかと割り切れてしまう作品は、駄目だよ。
2012-05-30 12:09:56