渋沢敬三記念事業シンポジウム「戦時戦後史の立会人 渋沢敬三」(2012年9月15日開催)まとめ
深井・吉野説を批判するものとして山口和雄「敬三の経済活動」(渋沢敬三伝記刊行会『渋沢敬三 下』、1981年)取り上げられています。 #keizo50
2012-09-15 15:53:27戦時中央銀行死滅論への批判も登場。伊藤修「戦時金融再編成」『金融経済』203、204号(1983、84年) #keizo50
2012-09-15 15:55:29敬三の金融論を評価もあらわれています。たとえば、戦時下の金融調節機能、またそのような市場調節機能の執行責任者としての敬三という評価なども。 #keizo50
2012-09-15 15:58:02伊藤先生。最近「戦後ハイパーインフレーションと中央銀行」というタイトルの論文を最近公刊なさったそうです。#keizo50
2012-09-15 16:24:08浅井先生。戦後のイチマダ時代をどう評価するか、という問題がある。誰が財産税の発起人だったのか突き詰めるのは武田先生は水掛け論というが、自分としてはそこが歴史の面白さとも思う。 #keizo50
2012-09-15 16:26:26浅井先生。インフレに対する考え方。石橋湛山はインフレはコントロールできる、敬三・大内先生はインフレはコントロールできない。 #keizo50
2012-09-15 16:28:57会場からです。由井先生。財産税というのはたいへんなこと。これは富裕層、進歩的と思われていた人々から「そんなものはありえない」と非難ごうごうだったようです。敬三でなければできなかったことではないか。敬三は自分の家も物納、他の人をもってしては実現不可能だったのでは #keizo50
2012-09-15 16:33:14当財団木村研究部長が挙手。敬三33回忌にも参加している。①帝国銀行の合併をどう評価したらよいのか、そこを敬三はどうしてOKしたのか知りたい。②50年代研究からすると、日本の国際社会への復帰に関して敬三をどう評価するか、③戦前戦中戦後の財界を結びつけた評価 #keizo50
2012-09-15 16:38:11武田先生 ①よくわからない。②東京銀行、外国為替業務を重要視していたように思われる。③財界人に関してはそのような視点で考えてこなかった。財閥中心として財界をみると三井・住友は実権のない名家、三菱の3代目4代目、安田は外の人に代わっていく。敗戦のせいか、個別事情? #keizo50
2012-09-15 16:41:50伊藤先生。敬三はペシミスティックなエピキュリアン。キャパシティは大きいひとだったようにみえる。帝国銀行に関しては「やってもいい」というキャパシティの範囲に収まる問題だったのではないか。 #keizo50
2012-09-15 16:44:03伊藤先生。40年体制論、戦後の間接金融体制論として帝国銀行を考えるのか、戦時に特有のものとして考えるのか? という問題もあるのではないか。 #keizo50
2012-09-15 16:44:31渋沢理事長。このようなすばらしいセミナーをありがとうございます。33回忌でもセミナーを行いました。財産税に関して、そのときも出てきました。吉野さんと谷村さんが登壇していただきました。#keizo50
2012-09-15 16:47:04ここでシンポジウムは終了。総合司会の井上館長より最後のご挨拶を申しあげております。本日が敬三記念事業のキックオフイベントです。没後50年にあたる来年に向けてこれからいろいろ計画しています。 #keizo50
2012-09-15 16:50:09最後に沢敬三記念事業特設ウェブサイト http://t.co/Z2UAytaK を会場にお越しの皆さんにご紹介して、本日のイベントを終了いたしました。 #keizo50
2012-09-15 16:52:03渋沢敬三記念事業シンポジウム「戦時戦後史の立会人 渋沢敬三」にお越し頂いた皆様、Ustream中継をご覧いただいた皆様、本日はありがとうございました。Ustで配信した内容はアーカイブし、こちらでご覧いただけます→ http://t.co/F6SCwfOF
2012-09-15 18:06:27