デリダの「差延」を理解してみる
- L_O_Nihilum
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形あるものはいつか変わってしまう。なら形なきものは? そのままあり続けるのか、消えゆくのか。それともいつか変わってしまうのかしら?
2012-10-05 20:42:13例えば概念は不変、だろうか。不変、だとして、それは概念そのものが不変なんだろうか。例えば「愛」という概念がある。が、これは「恋」とも翻訳される。(エロースやアガペー、等と)…友情、とも訳される(フィーリアが特に)…「愛」の概念が内部から変化している。
2012-10-05 21:03:08扨。ところが「愛」という言葉を。「Love」を。「Agape-」を。こいつらを口に出したとき、いやその口に出される前にこの生きてきた言葉と言うやつを一つ、抱いてみたときに。それで何故か、帰ってきている、変化してしまいなくなったはずの懐かしいものが、戻ってきたような気がする。
2012-10-05 21:04:17その「戻ってきたもの」って、なんだろう。それは、「戻ってくる」くらいだから、変化などしていない、と言いたいものだが。
2012-10-05 21:04:36…言葉はずれてぶれていき、変動していく。その運動作用を、人は「差延」などと呼ぶ。死んでしまったかのように漂う、死後の言葉の生を、人は「幽霊」になぞらえる。
2012-10-05 21:05:16では、幽霊は死、なのか?言葉はすでに死んだもの? …では、「生きてきた言葉」「生きている言葉」って何だろうか?いや、そもそも言葉とは概念とイコールではあるまい?
2012-10-05 21:05:55言葉とは儚き妖精のようなもの。つたわる?つたわらない?とどく?とどかない?とどくことがこおる…とどこおるの?つたえられる?おねがい、つたわって?…どきどき、どきどき。儚き言葉たちを、私たちは大切にせずにいられようか。
2012-10-05 21:09:34私たちの言葉にはいいものがあるではないか。言葉は届く。しかし届く時に差延する。さて。
2012-10-05 21:45:56言葉は放たれ、聴こえ、書かれ、そして読まれる。しかしそれは凍っている。伝わる言葉は滞っている。それがデリダの言いたいことだと思う。
2012-10-05 21:47:44で、カタチなきモノは不変なのか?
・・・ていう問い。
・・・言葉や伝えるもの、つまり「滞る」ものを一切使わずそれが実証できる、ってんなら、それは多分不変なんでしょうな。うん。
不変かどうかは知らんが普遍なのは間違いないよ(笑)