【シューニャリアーナ・フーガ】因果を超えた私たちのユーティリティのための
- L_O_Nihilum
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止まったリアル空間の中に動き得るバーチャル空間をパッケージングするように、切り取られたリアル時間の中に、その範囲内で流れ得るバーチャル時間をパッケージングする。トータルパッケージのリアライズ。@L_O_Nihilum
2012-10-22 01:08:12@youme2525 「創作」ですね。リアルという世を経たバーチャル先の{リアル/アンリアル}フレームのパッケージの生成、実現即ち済民。そしてそのできたパッケージは差延するがゆえにまたその対象の実体を欠き、ええっと…(その先が分かるんだけど長ったらしい)続きへるぷみー!
2012-10-22 01:11:51@youme2525 闇というよりかは非ですけど・・・///まあ、していないという意味での闇なら全然間違っていないような?
2012-10-22 01:19:57@youme2525 ライプニッツ的世界に於いては、そうであるが…(例えば、三島由紀夫が腹切りで死んだが、それが必然であったわけで、投身自殺するというのは可能世界だ、と考えるような)。しかし、現実的にも投身が起りえた、とは言える。
2012-10-22 01:27:34一般てのは自分の思うまさに一般であり、事実として「一般」が「そうでない」こともあれば、事実「そうである」こともあるし、それらと関係なく他者の思う一般とは「乖離」することは良くある。つまり私はこれがこう一般に思われていると認識しているという意思の表明を意味するそのものだな。
2012-10-22 01:33:00起こった結果が見る人によって様々な見え方をし、他の起こり得た結果を夢想させたならば、そのパッケージはリアライズできているといえます。誰にでも同じ見えたとしたら、それはバーチャルな虚偽パッケージといえます。リアルなものがどこからも同じに見えるのはあり得ない@L_O_Nihilum
2012-10-22 01:33:32@youme2525 その通り。では、対象a、物自体、イデアはありえない、といえるのか。対象そのものが無いとまでは、そこからは導けない。無論、そのことを前提とし動的になるフレームを決めつけるつもりもない。
2012-10-22 01:36:27@youme2525 「同じように見えるような物」というよりは「見え方は違っていても(また違うようにできているものでも)、その中で、最終的にそれを超えて実在する実体」。それは存在しない、と言えるか。認識の根拠かつ存在の根拠なるものは、存在しないでしょうか。
2012-10-22 01:41:25その祈りは――そんな祈りが叶うとすれば、それは時間干渉なんてレベルじゃない!その存在は、一つ上の領域にシフトして、ただの概念に成り果ててしまった。@L_O_Nihilum
2012-10-22 01:46:09因果律そのものに対する反逆だ!始まりも、終わりもなくなった。どこにも痕跡は残されない。もう誰もそれを認識できないし、それもまた、誰にも干渉できない。@L_O_Nihilum
2012-10-22 01:50:20