NHKハートネットTV 2012年10月22日:シリーズ貧困拡大社会「相次ぐ若者の過労死」
19:和哉さんは西垣さんの一人息子。幼い頃から、働きながら、女手ひとつで、育て上げた。和哉さんは地元のコンピュータ関連の専門学校に進学。成績は常にトップクラスだった。
2012-11-02 11:16:0720:西垣さん「勉強をしていたときのノートが残っていますね。自分がやろうと思ったことに関しては、完璧にやりとげる。そういうタイプの子でしたね。」
2012-11-02 11:16:1321:西垣さん「パソコンのことに関しては、本当に好きで、『オカン、おれ、関東に行かしてくれ。こっちの会社の方が大きな仕事ができる。また神戸に帰ってくるから。なんとか関東に行かしてくれ』と言いましたね。」
2012-11-02 11:16:1922:2002年4月、就職難の時代。和哉さんが就職したのは従業員1000人を超える、大手電機メーカーの子会社(神奈川県・川崎)でした。同期入社74人の中で極めて優秀で面倒見もよかったという和哉さん。いったいどうして死に追い込まれたのでしょうか。
2012-11-02 11:16:2624:串尾さん「(和哉さんは)結構最初の方の、まだ経験が浅いプロジェクトの中でもそれなりの役割っていうのを最初から任されるような。私から言えば、私自身がまだ未熟だったんで、うらやましいなと思うぐらいの仕事ぶりでした」
2012-11-02 11:16:4125:和哉さんはシステムエンジニア(SE)としてコンピュータソフトの設計や構築をしていた。仕事は親会社の下請け作業が中心。入社2年目に大きなプロジェクトに投入され、納期に間に合わせるよう、追い立てられた。
2012-11-02 11:16:4726:特に厳しい環境に置かれたのが、2003年、開始を間近に控えた地上デジタル放送のプロジェクト。和哉さんが配属されたのはTV局内のシステムを新たに構築する分野。納期は6か月だった。
2012-11-02 11:16:5327:さらに、顧客からの度重なるシステム変更が、忙しさに追い打ちをかけた。システムを変えるには、それまで汲み上げたプログラムを一から作り直さなければならない。それでも納期を伸ばすことは許されなかった。
2012-11-02 11:17:0029:木谷さん「さいの河原じゃないですけど、石を載っけてて、出来上がったと思ったら、バーンって崩されて、みたいな、そういうノリですよ。」
2012-11-02 11:17:1430:木谷さん「でも納期が変わらないから、仕事はやらなきゃいけない、だから長時間労働しなきゃいけない。そうなると、やっぱり精神的に追い込まれていっちゃうかな、と思うんですね」
2012-11-02 11:17:2132:(記録)この日は朝9:00から翌朝(8:30)まで、連続23時間半勤務30分後(9:00)には、再び勤務に戻り、(21:54まで)二日間で36時間以上働いている。
2012-11-02 11:17:3433:和哉さんの会社が労働者側と結んでいた協定書(時間外労働・休日労働に関する協定届)では、連続勤務は21時間まで。しかし実際は長時間労働をいとわない雰囲気が広がっていたという。
2012-11-02 11:17:4234:串尾さん「いま言われている作業が終わらないんだったら、徹夜してでもいいから明日までに終わらせろ、そういう乱暴な指示が飛ぶことがありました。ずっと働き続けて、ほとんど寝ずに、そのまま次の日も働くことをやっていました。」
2012-11-02 11:17:4735:和哉さんたちを追い詰めたのは長時間労働だけではない。職場環境も劣悪だったという。作業場は都内の雑居ビル。900平方メートルのフロアに200人以上が詰め込まれ、人の熱気で息が苦しいほどだった。
2012-11-02 11:17:5436:国が安全衛生上事務づけている休憩室など、休むためのスペースもなかった。そのため、自分の席で食事を済ませたり、机につっぷして仮眠をとることもしばしばだった。―木谷さん「とにかく帰りたい、布団で寝たいでござるって感じですね」
2012-11-02 11:18:0037:過酷な労働環境で心身ともに追い込まれていった和哉さんたち。それでも周囲を取り巻く雇用環境を考えれば、辞めることは難しかったと言います。
2012-11-02 11:18:0738:串尾さん「『辞めればいいじゃん』って言われたら、確かにそうかもね、って。ただ、ここを辞めて次、いいところがあるという保証はどこにもないですからね」
2012-11-02 11:18:1339:串尾さん「とくに新人で、1年2年しかまだ仕事をしたことがない人間が、そういう選択肢をとることは、当たり前に考えてリスクが高いですからね。『いま、そうするわけにはいかない』というのが、その当時の私たちの考えだったと思います。」
2012-11-02 11:18:1940:母親思いの和哉さんにとっても、せっかくつかんだ正社員の地位を手放すという選択肢はなかった。デジタル放送の仕事がようやく一段落する頃、和哉さんの体に異変が起きていた。気分の落ち込みが激しくなり、心療内科を受診。「不安・抑うつ神経症」と診断された。
2012-11-02 11:18:2641:和哉さんは休職することになった。同期の串尾さんと木谷さんも不眠からうつ状態に陥り、相次いで休職に追い込まれた。入社2年目の冬のことだった。
2012-11-02 11:18:3342:菊池「本当は世の中、まじめだったら報われなくてはいけないのが、理想的な社会だと思うのだけれど、まじめなゆえに、なかなか自分自身、辞めるとか、投げ出す、ということに、敗北感があったり、親御さんには心配かけたくないとか、重なった気がしました。すごく悲しいですね」
2012-11-02 11:18:40