「幕末、刀は銃に破れた」のか?

幕末もので、「刀で立ち向かった幕府側が、維新勢力側の銃に破れる」という話はよくありますが、 では実際のところ、刀が銃に破れたのは、本当に幕末になってからだったのか?という点について あれこれと書いたのをまとめてみました。結構色々話が飛んでるのはご容赦ください。 ■追記:幕末に剣術が隆盛した件については、もうちょい補足してもいいかなー、と思ったので、その辺追記してまとめました。 続きを読む
176
神無月久音 @k_hisane

というか、戦争のあり方自体が完全に違ってるわけですし喃。 @sadasaku この時期になると飛距離が長い武器の数の時代になっていたようですね。

2012-10-30 18:23:07
神無月久音 @k_hisane

話の種が、イメージ的なものであるという意味では同じといえるかもで砂。 @baritsu その象徴としての物言いが、「旧弊な封建体制が近代に敗れた。わ~い」とする人たちと「古来の技法、伝統が失われて日本人の体も…」な人たち両方に使われるのが面白い所です

2012-10-30 18:26:21

ここで一旦一区切りして、次の話に

神無月久音 @k_hisane

昨日書いた「幕末、刀は銃に破れたというのはイメージで、実際には戦国時代の時点で無理は認識されていた」という話について、もういっこ補足。

2012-11-01 04:07:05
神無月久音 @k_hisane

なにかというと、「刀じゃ銃に勝てないのは分かってたなら、なんで実践剣術が流行ったの?」というお話でアリマス。銃の方が強いってのが認識されてたなら、なんで剣術なんかしてたのよ?ということで砂。

2012-11-01 04:09:28
神無月久音 @k_hisane

この辺、ざっくり言ってしまうと、”「銃を使うような戦になんてならないだろう」と高を括ってた”というとこでアリマス。つまり、想定していた「実戦」が、刀で話が済む程度のものだったからこそ、「剣術を習おう」となったと。

2012-11-01 04:15:28
神無月久音 @k_hisane

これについては、講武所ができた当時の旗本達のゆるみっぷりや、指南役達に対する批判文なんかを見てると、色々見えてきま砂。この辺はまた明日にでも書いてみますか喃。

2012-11-01 04:18:51
神無月久音 @k_hisane

昨日の話の続き。「幕府も武芸者も、”刀じゃ銃には勝てない”ってわかってたなら、なんで剣術が流行ったのか」について、「銃を使うようなことになどならないだろう」と高をくくってたから、と書きましたが、理由としてもう一個あるんで砂。

2012-11-01 23:59:33
神無月久音 @k_hisane

それは何かというと、旗本「銃とかカッコ悪いし疲れるからヤダ(超訳)」ということでアリマス。その辺、安政五年(1858)頃の銃隊調練場の惨状について、講武所掛の目付が上げた文書がその雰囲気を表してるかと。

2012-11-02 00:05:10
神無月久音 @k_hisane

『当今の模様にては年月を経候とも、実用御用立ち候ものに数多教育相遂げ見据えもこれなき儀と相聞こえ、もつとも稽古罷り出候ものその向きにより候ては御役前、名目のためにのみ出席、あるいは御番入り等の廉を差し含み、成業の心掛けは差し置き、多少の日数ただただ出席いたし候までにて(続く)

2012-11-02 00:08:51
神無月久音 @k_hisane

(続き)頭取等の手前、品よく取り繕い候ものもこれあるにや相聞こえ候。講武所において、諸組御役前稽古の儀は、弓・砲検分し、年限り仰せ出され候趣もこえあり候えども、とかく他場所出役または老若病者など多く、はかばかしき稽古もこれなきやにて(続く)

2012-11-02 00:13:47
神無月久音 @k_hisane

(続き)諸組与力、同心等は当番前後、諸加番日前後など相除き出席つかまつり候事ゆえ、僅かに一月のうち三,四日ならでは出席つかまつり難き様子にこれあり。一通り砲器取廻し等呑み込み候のみにては余術は勿論、銃陣一隊の変形自在を得候まで相進み候ものも、さまで多人数にはこれなき趣』

2012-11-02 00:16:41
神無月久音 @k_hisane

訳すと「今のままじゃやるだけ無駄。役に立つ奴なんか出そうにない。サボったり、就職のために顔だけ出したりする奴とかばっかで、月に3・4日くらいしか出てこねえし、大体、銃の扱いだけじゃなく、銃隊として動けるようにならないと意味ねーのに、そこまで届いた奴なんか殆どいねえ」てなとこで砂

2012-11-02 00:24:24
神無月久音 @k_hisane

で、じゃあ銃を嫌がってた連中が何してたのというと、これが剣弓槍に向かってたというわけで砂。弓術師範の小笠原鐘次郎のところには、一日で二百人以上も入門者が来たという話もありますし。

2012-11-02 00:27:43
神無月久音 @k_hisane

それでやってたことが「ほうろく調練」といって、鎧兜を着、馬に乗り、敵味方に分かれて戦うのですが、勝敗条件が「相手側の兜につけたほうろく(素焼の土鍋)を全部割ったら勝ち」という、「なにそれ風雲たけし城の最終戦?」というシロモノだったりするので、「え?これギャグ?」とでも言うしか。

2012-11-02 00:31:09
神無月久音 @k_hisane

ちなみにこのほうろく調練、やってる最中に馬から落ちて、甲冑の重さで潰れて即死した旗本が出たことで、なんとなく気まずくなってやめたそうです。

2012-11-02 00:33:35
神無月久音 @k_hisane

銃や弓がこんな塩梅だったわけですが、じゃあ剣はどうよ?というと、これもまたひどい有様だったようで、さっきの銃についての報告書から4年後の文久二年(1862)、講武所そのものに対する建議書が挙げられてるのでそちらを紹介をば。

2012-11-02 00:37:57
神無月久音 @k_hisane

「そもそも講武所は弓馬槍砲をはじめとして柔術などに至るまで、武名を関するの技術、この局に包羅せざるはこれなく、貴賎貧富に拘らず武技を演習せしめ、年数千両の費えを厭はせられず下々を教誨督責したまふ御仁恵、あたかも慈母のその児を撫育するが如く、その恩愛、感佩余りあることに御座候(続く

2012-11-02 00:45:03
神無月久音 @k_hisane

(続き)然りといえども、当今の形勢にては労して効なく、たとへ幾十年の久しきを経るとも絶えて人才生育の道御座なく候。実備の見込み相立ち申さず、全くこれ上下情を通ぜざるの因りていたすところに御座候」

2012-11-02 00:47:46
神無月久音 @k_hisane

割と平易な文なので訳すまでもない感じですが、「こんなもんやるだけ金の無駄だし、時間の無駄。戦の役に立たねーよ」と、まあばっさりで砂。ちなみにこれ、建議人は「砲術書取調べ掛」とあり、講武所内からの建白書の様子。一説には「これ書いたの勝海舟じゃね?」と言われてるそうですが。

2012-11-02 00:51:37
神無月久音 @k_hisane

で、この建白書では「だからこういう改革をするべき」と提案が続くのですが、その途中で講武所の師範役に矛先が行くので砂。これまた直球この上ない文書なので、こちらも引用をば。

2012-11-02 00:55:03
神無月久音 @k_hisane

「古法、古式に拘泥し、井底蛙の見を以って一家の流を固守し、或いはままその不便知れども、一時の私利を失わんことを憂いてここにこれを改むること能わず。これ全く昇平の弊風、怯夫の習い、畢竟国家を顧みざるの罪逃るべきにあらず。故に断然興廃すべきの条々、左件の如くに御座候(続く)」

2012-11-02 00:59:39
神無月久音 @k_hisane

「(続き)一、弓術及び流幣馬術を廃すること。一、門地ある士、文武を兼備し、将官たる道を勉めずして、僅かに刀槍及び歩卒演習の賎技に偏ること。一、講武の局に俗吏を絶つべきこと」

2012-11-02 01:08:16
神無月久音 @k_hisane

直球ドストレートで砂。「講武所にいる師範連中は、自分の流派の事しか考えてない。自分たちの武術が、実際には役に立たないであろうことを知っているくせに、私利私欲のためにそれを改めようとしない。実に救い難い。故に、改革案を列挙する」

2012-11-02 01:13:57
神無月久音 @k_hisane

「弓術と馬術は役に立たんから潰せ。②旗本に剣や槍、あと銃を直接稽古させてどうする。指揮官にするように鍛えろよ。③自流派の勢力拡大のために来てるような奴は叩き出せ」

2012-11-02 01:15:06