子供向けの作文ドリルの指導方法、作文の教育について思うこと
- marianna_ave
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仕事絡みのツイートしたくないけど、ちょっとだけ。子供向けの作文ドリルに「ぼくはAの絵を見てBが面白いと思いました。理由はCだからです」というパターンが紹介されていた。で、これはあんまりだと思った。(続く)
2010-08-28 11:12:45(承前)気持ちや感想に「理由」は要らない。あるいは、それを単純な理由に言語化して、封じ込めるべきではない、と言う方がいいだろうか。私なら絵をもう一度じっと見させることから始めるし、自分ならどう描くかを話し合う。視点を複数持たせることで、世界と深く付き合えると思うから。(続く)
2010-08-28 11:17:05(承前)紋切り型の作文が不要だとは言わない。でも、それは計算力のついていない子供に電卓を与えてしまうようなものであって、「すぐに答えが出ない状態」で起きている奇跡のようなものを、黙殺することにしかならないだろう。(続く)
2010-08-28 11:18:50(承前)理由が必要なのは、複数の視点が可能になるときだ。対象を深く味わう作業でもあるし、あるいは説得が必要なケースでもある。「ぼくはAの絵を見てBが面白いと思いました。理由はCだからです」というパターンを教え込むのは、他者との関係がきちんと作られていないと、ほとんど意味がない。
2010-08-28 11:22:12と、S研ゼミに対して揚げ足取りのツイートをしてみたのだが、よく考えたらこうした教材はN研でもYO塚でもあるんだよなあ。K文式やY学院の五拾五段階テスト(←私が作った・汗)も、じつはそう。でも、こうしたパターンは、帰結を覚え込ませるためにあるのではない。
2010-08-28 11:28:18理由を訊かれたから答えてしまう、のかもしれない。と言うか。「教える」の世界なのねー、と思った。そんなにも教える必要あるの?作文、「文章を書く」ってことは、『書けない』『書くことがわからない』ってのも含めて『書く』なんだよ。わからないから教えるってのが、私は"わからない"。
2010-08-28 11:33:53教育の前提となるキーワードは「多様性」あるいは「複数性」。自分の内側にも、外側にも。自分でないものに出会い、自分を見失う作業。この先に初めて「自立」や「個性」が来る。でも日本の教育現場で言う「個性」って、最初から自明だったものを囲い込んでいるだけにしか思えないんだよな。
2010-08-28 11:34:48教師として耳が痛いけど、まったく同感。RT @marianna_ave: 理由を訊かれたから答えてしまう、のかもしれない。と言うか。「教える」の世界なのねー、と思った。そんなにも教える必要あるの?… http://bit.ly/bOObDy
2010-08-28 11:36:17私は自分の文章を直されるのが嫌い。記述の書式的なこと(文頭で一文字空けるなど)や誤字脱字は別として。私の詩や俳句を添削されたら、それは私の作品ではない。でも、「ここをこうしたら良くなるから」と直される。そういうのは私が自分で「直したいから直す」ものでは。
2010-08-28 11:37:36昨今のBIZ塾やコンサル部ログで、その弊害が具現化されていると感じます。もはや現場・職人に新人を育てる余裕がなく世代間の溝が広がっているようです。協働の概念も崩壊しているのでは。 @wizardrylife さん
2010-08-28 11:39:46教えてもらいたがりも多い気がします RT @wizardrylife: 教師として耳が痛いけど、まったく同感。RT 理由を訊かれたから答えてしまう、のかもしれない。と言うか。「教える」の世界なのねー、と思った。そんなにも教える必要… http://bit.ly/bOObDy
2010-08-28 11:45:48@marianna_ave あ、私もそうなんですよ。で、編集さんが優秀だといじられないように過剰に身構えてしまうという悪循環が……。
2010-08-28 11:47:15それが小さいころから教え込まれた処世術なんじゃないかな?RT @marianna_ave: 教えてもらいたがりも多い気がします RT @うぃざ: 教師として耳が痛い… RT 理由を訊かれたから答えてしまう、のかもしれない… http://bit.ly/bOObDy
2010-08-28 11:48:49多分。媚で質問しちゃいけないと思う。 RT @wizardrylife: それが小さいころから教え込まれた処世術なんじゃないかな?RT 教えてもらいたがりも多い気がします RT @うぃざ: 教師として耳が痛い… RT 理由を訊かれたから… http://bit.ly/bOObDy
2010-08-28 11:50:57@wizardrylife 一連の教材の話を拝見しました。小学校教育は結構「言語の海」に子供を投げ落とすことに無自覚ですよね。もっと大人になって、例えば現象学を知り言葉以前の感覚について考えたりするんですが、それをなぜ言葉の拙い子供のころにできなかったのか、という疑問はあります。
2010-08-28 11:51:43@wizardrylife 私は授業でそれやられて嫌でした<文章添削>好意的な指導だろうけど、私は不要だと思います。それならむしろ、「あと10作品書いてこい」って言われたい。10でも20でも書く。
2010-08-28 11:52:25子どもの質問の意図がわからずに、言葉だけで反射的に教えようとする大人もいる。面白いなーと思う。私が聞くだけで、その子がどんなイメージを脳裏に描いているのかさまざまな想像が可能なのに、教える側が固定観念で教えようとする。「教えなきゃ」、で。
2010-08-28 12:00:11いっそのこと、本人に調べさせたらいいのに。って、学齢にもよるか。いや、何歳だろうと出来るよ。『疑問』に答えないという教え方もあっていいと思うんだ。
2010-08-28 12:03:45@marianna_ave 子供が自分の発する言葉を誤解して覚えてる可能性だって無数にあるはずですしねぇ。人の親には想像力が必要だと思いますわー
2010-08-28 12:03:55@marianna_ave 僕の父や僕に色々教えてくれた(という言い方をしますが)人は、辞書の引き方とものの調べ方さえ教えれば、基本はそれで十分って言いますね。
2010-08-28 12:08:56「子ども」と書くと、まるで私の子ども、誰かの子ども、のように所有格を想像されてしまうのかな。私はそういう区別をしないのだ。誰でもいいんだ、私の文脈では。誰でもいい。いつでもいい。私自身かもしれない。
2010-08-28 12:19:15そもそも私は「親として」「教師として」のような立場を持って、語っていない。私はむしろ、学ぶ立場にいるんだ。ずっと。
2010-08-28 12:20:43