「柳生家の正統」について

いわゆる柳生一族について、尾張柳生家を柳生宗家/新陰流宗家とする説(というか尾張家がそう自称してる)がありますが、 これは結構微妙な話の割に、気にする人があまりいないこともあってか、 作家なんかでもそのまま使ってる人が結構いるので、 その辺について書いたのをまとめてみたり。
27

江戸柳生家に伝わってない技法の有無について

神無月久音 @k_hisane

【柳生新陰流で・・ #oshietegoohttp://t.co/msoweDVFfr 金春七郎を調べ直してたら、こんなのが出てきたが、そういや石舟斎は宗矩には全てを伝えてない、ってどこから出てきた話なんじゃろ。家伝書や月之抄を読む限り、普通に宗矩にも全部伝わってるようですが

2013-03-06 18:13:43
神無月久音 @k_hisane

まあ、兵庫助に与えられた伝書と、宗矩・十兵衛が書いた伝書の比較検証をきちんとした訳ではないので、断言はできませんが、宗矩出仕後に考案したという西江水についても普通に家伝書に載ってるので、単に宗矩に印可を与えた後、兵庫助が受けるまでの間に新しく考案した分を追加しただけではという気が

2013-03-06 18:20:03
神無月久音 @k_hisane

というか、さっきの質問でベストアンサーになってる人、結構知識が微妙っぽい感じですが、そういう人に「但馬守の剣術はいま一つで」とか書かれるとは、宗矩も災難で砂。まあ、今に始まったことでもないですが。

2013-03-06 18:26:35
神無月久音 @k_hisane

で、ここまで書いたところで、この辺は案外、魔界転生の影響があるんじゃろか?と思ったり。兵庫助にのみ与えられた(宗矩が知らないことが記された)「石舟斎伝書」が、転生後の宗矩にとって一番の執心事であり、十兵衛が宗矩に勝つ決め手にもなったわけで、結構インパクト強いですし喃。

2013-03-06 18:36:24
神無月久音 @k_hisane

まあ、隆慶先生と津本先生の影響も大きそうですけど、魔界転生が書かれた60年代の時点で、そういう話のベースがあったわけで、この辺、「石舟斎は宗矩に全てを伝えたかどうか?」はいずれきっちり検証しておく必要があるかもです喃。

2013-03-06 18:40:30
神無月久音 @k_hisane

根っこを辿るとそれかも知れんのですが、正傳新陰流でも、影目録とか没滋味とかのことは書いてましたが、尾張家にしか伝わってない技がある、といった記述はなかったような気が。まあ、結論ありきの話というのは同感ですが。@SagamiNoriaki えーと、「正伝新陰流」のせい?

2013-03-06 21:29:57
神無月久音 @k_hisane

まあ、連也か兵庫メインの話では「家伝書は始終不捨書より文章が多いのは実がないからだ」「だから信用できない」とか書いてるので、真に受けるもんじゃないで砂@SagamiNoriaki 江戸柳生と尾張柳生では尾張家の方が具体的に書かれてて信じられるみたいに地の文で書かれてたけど

2013-03-06 21:41:31
神無月久音 @k_hisane

あそこは江戸柳生の存在があるから、自流派の正統性維持のために、余計にその辺にこだわらざるを得ないですしね。難儀な話でアリマス。 @bubunken_web 尾張やぎうってそんなカンジですよね? @sinatonokaze @inuchochin @SagamiNoriaki

2013-03-06 22:06:29
神無月久音 @k_hisane

というか、残ったからこそ江戸と並び称されるようになったというとこでしょうね。武芸小伝でも扱い軽いし、撃剣叢談に至っては記載無しですし。 @sinatonokaze 結局残ったのは尾張柳生@bubunken_web @inuchochin @SagamiNoriaki

2013-03-06 23:33:50
神無月久音 @k_hisane

かに運もいいですが、相応に道統や伝統の護持に尽力したからこそではありますね。当方が現状の宗家は尾張だろうと見るのは、やはりその点ですし @inuchochin 尾張柳生は色々運が良かったですね@sinatonokaze @bubunken_web @SagamiNoriaki

2013-03-06 23:36:32
神無月久音 @k_hisane

そうですね。史実では別に宗矩は兵庫助に遺恨を持ってるわけでもないですし @SagamiNoriaki まあ結局は柳生家が残ったわけだし、泉下の石舟斎も、多分、宗矩も喜んでいるんじゃないですかね?@sinatonokaze @bubunken_web @inuchochin

2013-03-06 23:38:23
神無月久音 @k_hisane

まあ、流派としてのネームバリューは抜群ですし、それでいて残ってるのが尾張だけとなれば、まあクローズアップはされるかなと @SagamiNoriaki 世間的認知はむしろ最近ですよねー@sinatonokaze @bubunken_web @inuchochin

2013-03-06 23:40:24
神無月久音 @k_hisane

それに加え、明治以降、江戸柳生家が放棄した家と流派の責任を背負ってますからね。そこが偉い。 @saraquel2 家と流派を残せてるだけでも苦労が見えますからねー@inuchochin @sinatonokaze @bubunken_web @SagamiNoriaki

2013-03-06 23:41:25
神無月久音 @k_hisane

正味な話、流派を護持しないだけではなく、芳徳寺を無住寺にした時点で、祖先の祭祀という宗家の責任を放棄してるので、その時点で江戸柳生家は自ら宗家たることを放棄したという風に当方は認識してます。芳徳寺の復興資金を出したの、尾張家の人ですしね。

2013-03-06 23:46:00
神無月久音 @k_hisane

なお、江戸柳生家が途中で血脈が途絶えて養子が続いたのは、責任を放棄したのと比べるとまだ許容範囲で砂。子供ができるかどうかは本人の能力や努力でどうこうできない部分でもありますし、大体、養子相続なしなんてしたら、殆どの家が途絶えることになりかねませんしね。

2013-03-06 23:51:38

「結局江戸と尾張のどっちが宗家なの?」

神無月久音 @k_hisane

整理すると、「柳生宗家」は、江戸時代の間は江戸柳生家のことであったが、明治以降、江戸柳生家が自らその責任を放棄したことで、尾張柳生家が宗家に相応しい存在となった、というのが当方の認識でアリマス。流派についても似たようなもんで砂。

2013-03-06 23:54:14
神無月久音 @k_hisane

ただ、現在宗家だからと言って、遡って、江戸時代の間も正統だったのだ、という風に改変するのは戴けなで砂。まあ、正式に宗家を譲り渡されたわけではないので、何かしらの正統性を主張しないといけない都合もあるのでしょうけど。

2013-03-06 23:56:26
神無月久音 @k_hisane

要は、「義務や責任を果たせないなら、それに伴う権利や名声も得られない」という話でアリマス。これは江戸初期の宗矩に比しての兵庫助と、明治以降の尾張柳生家に比しての江戸柳生家、どちらにも適当できる話です。例外は、全然関係ない他者による後世の創作で死後に名声を得た十兵衛くらいですかね。

2013-03-07 00:10:30
神無月久音 @k_hisane

あ、この場合得た名声ってのは、史実上の評価とは別に発生した創作上の名声のことでアリマス。要するに「隻眼の剣豪」とか「公儀隠密」とか「荒木又右衛門の師匠」とか「イシカワ化でドワオ」とか「ぽちゃぽちゃの(以下略)」とかそんなんで「柳生十兵衛って凄いな!」と言われることで砂。

2013-03-07 00:14:13
神無月久音 @k_hisane

今日も都立中央図書館へゴー。「北米剣道大鑑」があったのでざっと読む。剣道史の項目に「柳生家の人々」というのがあり、宗家は宗矩が継ぎ、流派の正統は兵庫助が継いだ、と書いてある。書かれたのは開戦直前の1939年だが、この頃には外部でもこういう認識だったと見ることができそうで砂。

2013-03-21 15:05:54

補足:武士にとっての「家」についてと絡めて

神無月久音 @k_hisane

当時の「家」に対する感覚・価値を掴んでないと、話が理解できないってのはありますしね @sweets_street 家というのは一種の企業体なので、信用が大事なんですよね。 @1059kanri この辺りの意識がわからないと、武士の死生観は非常に硬直的なものになっちゃいますねw

2013-03-09 21:07:23
神無月久音 @k_hisane

当主は一族や家臣に対する責任を持つ、という点が抜けると、妙な話になることがありますね。@sweets_street 家の名誉を守ることで、家が良い扱いを受けて家族や家来も食えるようになりますからね。経営者としての責任があるから、武士は見栄えを大事にするんです @1059kanri

2013-03-09 21:21:31