「柳生家の正統」について

いわゆる柳生一族について、尾張柳生家を柳生宗家/新陰流宗家とする説(というか尾張家がそう自称してる)がありますが、 これは結構微妙な話の割に、気にする人があまりいないこともあってか、 作家なんかでもそのまま使ってる人が結構いるので、 その辺について書いたのをまとめてみたり。
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神無月久音 @k_hisane

まさしくそこで砂。江戸期に入って社会が安定したことと、儒教的価値観の浸透によって、その視点が薄れた結果、江戸期の感覚で戦国以前を捉えて、当時の行動を「武士らしくない振舞い」と断じられることも @sweets_street 栄えさせてくれない殿様には用はない@1059kanri

2013-03-09 21:35:02
神無月久音 @k_hisane

今の話、宗矩と兵庫助の件で、どちらが本家を継いだのか、みたいな話が出るのは、こういう家に対する当時の価値観を知らない人が多いからなんでしょうかねー。所領を取り返して、さあ、これから、というところで、家放り出して廻国修行してる兵庫助が本家当主なわけなかろうに

2013-03-09 21:37:31
神無月久音 @k_hisane

「嫡流の血を引いてるから、兵庫助が正統」っていうのは儒教的な考え方ですし、戦国期の石舟斎、及び、柳生家の家臣たちがその考え方だったかというと怪しいところで砂。実際、家が没落した際、石舟斎が書いた妻宛の遺書で、名前が挙がってるのは宗矩(と出家した次男)ですし。

2013-03-09 21:41:13
神無月久音 @k_hisane

そうです。正味な話、尾張柳生正統説が世間で言われるようになったのって、当方が知る限り、「正傳新陰流」以降ですし、もしかして厳長先生の創作なんじゃないかとすら @masaeiyamagata 近代の人が江戸中期以降のフィルターを通して江戸初期の出来事を考えているってことですかね

2013-03-09 22:02:20
神無月久音 @k_hisane

というか、多少言い方キツいですけど、尾張柳生家が柳生宗家とか言ってる人って、歴史に興味なくて、知識もないんじゃないの、と思ったり。まあ、平成の現在だけで話をするなら、尾張柳生家を宗家と言ってもいいとは思いますが、江戸時代当時は違うだろと。

2013-03-09 22:17:48
神無月久音 @k_hisane

新陰流正統については、石舟斎が本当に正統なのか、という問題に加えて、そもそも正統なんて概念が伊勢守にあったのか、という話もあるので、現在についても尾張柳生家が正統なのかというと結構微妙で砂。まあ、「柳生系の新陰流の宗家」というなら問題ないですが。

2013-03-09 22:22:24
神無月久音 @k_hisane

まあ、江戸柳生家の縁の人も反論してませんし喃。反論するメリットがない以上、わからなくもないですが、誰も文句言わないから尾張柳生家の主張が通ってるってのはありま砂。 @SagamiNoriaki 尾張家が流派の正統と思ってしまうのは、正伝新陰流以降は仕方ないかもです。

2013-03-09 22:25:23
神無月久音 @k_hisane

そういや結果から見て判断云々でもう一つ思い出しましたが、兵庫助が石舟斎から新陰流の正統を受け継いで云々という話ですが、あれ、よく考えたら、そんなもんを継がすつもりがあるなら、加藤家に仕官させたりしないんじゃないのと。九州ですよ、九州。下手すりゃ一生の別れですよ。石舟斎も爺なのに

2014-02-07 01:24:31
神無月久音 @k_hisane

たまたま石舟斎が死ぬ前に、家中で騒ぎ起こして退転した訳ですが、もし、普通に仕え続けたり、兵庫助が帰ってくる前に石舟斎が死んでたら、影目録とかそのまんま宗矩が保管してたんじゃなかろうか。そう思うと、やっぱ尾張柳生正統説に絡む伝承ってのは、厳長先生の創作部分がかなりあるなあと思う次第

2014-02-07 01:28:05
神無月久音 @k_hisane

大体、血筋が直系だから本家とか、反証がどれだけあると思ってるのかしらん。当の石舟斎本人から加藤家に仕官に出されてる時点で、既に扱いとしては分家でしょうに。その辺踏まえると、やっぱ影目録って、単に孫に甘い爺さんが、自分の形見にくれてやっただけなんじゃないかという気がしなくもない。

2014-02-07 01:33:25
神無月久音 @k_hisane

あと、今更な話ではあるけど、「江戸柳生と尾張柳生」っていう呼称は、尾張家側から見た表現な訳ですし喃。宗矩からすれば、自分とこが本家な訳ですから、自家を「江戸柳生」なんて言うはずないんで砂。その意味では、これは武道史上の用語と言った方がいいのかもで砂。

2014-02-07 01:50:29

おまけ:「柳生の大太刀」について

神無月久音 @k_hisane

今、ふと思ったが、この「柳生の宝刀(大天狗正家)」(http://t.co/TJRUsH8fsL)が本物なら、「(柳生)新陰流正統の証」として知られる柳生の大太刀(出雲守永則)より、こっちの方が真の意味での「柳生家の宝刀」だったのではなかろうか。

2013-03-04 02:36:36
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神無月久音 @k_hisane

刀剣としての格で言っても、「最上大業物十三工の業物である正家と、少なくとも「懐宝剣尺」内には見当たらない永則では、前者の方が格段に上ですし、正家には逸話として「石舟斎が一刀石を割った時の刀」なんてのがあるので、柳生家の縁としても段違いですし喃。

2013-03-04 02:41:12
神無月久音 @k_hisane

単純に解釈すると、この正家が石舟斎の佩刀で、宗矩がそれを継ぎ、兵庫助が受けたのは、その後、手元に残ってた太刀ということになるような。その意味では、「柳生の大太刀」が正統云々の意味を持つのは、尾張柳生家のみの話になるんじゃなかろうか。

2013-03-04 02:46:45
神無月久音 @k_hisane

まあ、そもそも兵庫助の新陰流正統継承っての自体が怪しいので、この辺でどうこう言う程でもないのかもですが。新陰流正統を示す霊剣って割には幕末に献上してるわけですし喃。

2013-03-04 02:50:50
神無月久音 @k_hisane

その辺もあって、「なんでこの大太刀が(柳生)新陰流の正統の証ってなってるの?」という疑問があるので砂。ぶっちゃけ単に石舟斎からの形見分けだったのではと。 @has_k80 打刀主体の流派で、なぜ室町中期から戦国初期の徒歩武者の武器である大太刀(野太刀)が正統を示すのか、謎です

2013-03-04 03:05:10
神無月久音 @k_hisane

です。この場合、「正統を示すための道具」なわけですから、その決定基準の内実はどうあれ、世間的に「この銘ならこのくらいの格」という認識が通っているかどうかがポイントかなーと。 @baritsu そこが「格」たる所以ですね@SagamiNoriaki

2013-03-04 03:07:12
神無月久音 @k_hisane

正宗の銘が珍重され出したのが秀吉の頃からと言いますし、刀が褒美として出回るようになってることから見ても、格付自体は何かしらあったのではなかろうかと @SagamiNoriaki 江戸初期には、まだそういうステイタスができてなかった可能性がないかなあと

2013-03-04 03:10:18