元亀元年10月(別伝に永禄12年5月)、殿が金谷に出かけた時、大井川の向こうに山懸殿がいると知って使者をたてたら、こちらの人数が少ないと見て急襲。この時忠勝が同行していて、金谷の撤退戦が発生。急報を受けた大須賀・榊原が救援に向かいなんとか切り抜けた。 #榊メモ
2013-05-12 18:02:11元亀元年10月、先年降伏したはずの天方城が再び兵をあげて、これを討つ。大須賀殿と共に先陣、二ノ曲輪まで攻め込む。城主は降伏。ちなみに永禄12年の時の天方城攻めも天野殿、大久保忠世殿と一緒に先陣してた。 #榊メモ
2013-05-12 18:11:33元亀三年、武田の遠州への進入。まず様子を見に出た忠勝と大久保忠世殿と内藤信成殿の隊が敵と遭遇、忠勝がしんがりで、これが一言坂の戦い。なお大久保忠佐もその時いたらしいw #榊メモ
2013-05-12 18:18:49で、その後が三方原の戦い。この時は先手の先鋒。改正じゃない三河後風土記によると、戦いを開始したのは大久保忠佐殿と柴田康忠殿らしい。先陣は酒井隊と石川隊。 #榊メモ
2013-05-12 18:24:21康政は戦っていたところ、竹尾殿が走ってきて殿はすでに退いたと言われ、殿を追いかけてその警護。浜松城まで送った後、旗を立ててばらばらと落ち延びてくる兵を集め、西島へ移動。武田が浜松城を攻めた場合に背後から襲おうと思っていたけれど、そうはならなかった。 #榊メモ
2013-05-12 18:28:59酒井様の太鼓の話は残念ながらなしです。武田が慎重になったところ、殿は大久保忠世に命じて夜襲をかけさせた。これが犀ヶ崖の戦い。一方榊原もまとめた兵とともに夜襲をかけていて、勝頼殿の陣近くを襲撃したらしい。 #榊メモ
2013-05-12 18:31:33家伝には、浜松に武田が押し寄せてきたら、母と妹を殺して屋敷に火を放つようにという話が載っているけれど、この時まだ結婚してないと見ていいんですか? #榊メモ
2013-05-12 18:34:06ここで元亀おわり。そういえば家伝に姉川の時に浅井の伏兵が本陣を襲ったけど榊原の寄騎のひとりがだいかつやくしたよ!ってのがあったけ……榊原隊から離れてさぼってたの?(違) #榊メモ
2013-05-12 18:43:44天正は長篠城攻めからスタート。長篠城攻めは、大須賀殿と忠勝と一緒でいつもの旗本先手組。この時武田信繁殿が遠州國森に現れ、大須賀殿とこれと戦う。穴山梅雪殿が救援に向かうけれど、つく前にすみやかに撤退。長篠城も陥落、徳川方となり奥平殿が入ることに。 #榊メモ
2013-05-12 19:59:39天正2年、犬居城攻略のために布陣するも、河川の増水で撤退を決めたところを天野殿真田昌幸殿などに襲われる。味方が撤退するのを助けて天野殿の軍に横槍を入れ、忠世殿と水野忠重殿と共にしんがり戦。 #榊メモ
2013-05-12 20:23:08次、光明城攻め。忠勝と先陣。康政は仁王門に押し寄せて奮闘。殿が本陣を移し後ろから城に攻め入るって殿、自分でやってるの(時々あるけど)。 #榊メモ
2013-05-12 20:38:42七月諏訪原城攻め。康政さきがけしてこれをやぶる、って書いてあるけど、あれ、これしばらくかかってるよね包囲してから。確か陥落は八月。そのあと小山城を攻めるけれど、勝頼殿が後詰めに大井川まで出てきて、それを避けるために撤退。また大須賀殿と一緒に先駆。 #榊メモ
2013-05-12 20:49:07年末に長いこと籠城していた二俣城がやっと開城。この時は大久保忠世殿といっしょに襲撃。御系図からひろってるから間がとんでますが、二俣城のまわりに砦いっぱいつくってかこんでました。 #榊メモ
2013-05-12 20:52:56天正四年、犬居城攻めリベンジ。石川鳥居平岩本多榊原、粉骨をつくして強戦。総力戦だなー。そして天正五年の記事がないけれど、この年他でなにかあったっけ。 #榊メモ
2013-05-12 20:57:59天正六年、駿河田中城攻め。この時榊原家中の鈴木藤九郎重友が一番のり。中根が田中の一本槍と称され高名あり。両名は特に殿の御前に召された。余談だけど一本槍ってどれだけ仕事したのって七本槍を見つつ思う。 #榊メモ
2013-05-12 21:09:24