【シューニャリアーナ哲学】評価と基軸その④
- L_O_Nihilum
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で、多分そこはKnmさんも僕も享有してて(つまり共通点であって)、 A.それを一定の基軸の上で論じてこそ享有できる とするのがKnmさんで、 B.一定の基軸で論じることはできないから個々から出てくる【世界観】を見、それぞれの<よさ>を知る とするのが僕という違いがあるのだと想う。
2013-09-29 22:06:33…もしパラダイム(仕事)の差異だったら、通約不可能ってことになっちゃうからそうは言わないで置く。
2013-09-29 22:07:23そう基軸を立てて評価すればまあそういう風に見えなくもないけど当の文化がそのように扱われてたか分からん、ていう時に、 「その基軸に立てた論説によって継承」するのがKnmさんで、 「どう扱われてたか、どう作られてきたのか個々の内的事情を見よう」とするのが私
2013-09-29 22:08:49@L_O_Nihilum だからこそ一定まで肥大した文化はアカデミズムを持つんですって。その中で今までに生成された評価軸と作品に対するプライオリティの設定を行うわけですな。
2013-09-29 22:09:27推論で後天的に解ってくるのは基軸などないんだってことだった。 でも、逆にそれが立てらんないぞってことに気づいてから、個々の作品や創作形態を見ていくことで、一つ一つを見るように集中してみたら、案外すとんと落ちる考えが作りやすくなった。だから、基軸に囚われるのはやめる方を選んだ。
2013-09-29 22:10:35@knm_mtym_2 そのアカデミズムが疎外を生み続けたからカオスラウンジのような間違いが生まれ今に至っているのに、今だになんらかの工学論じみたものにしてしまうことを是とするのならば、僕はそこに疑問を感じ得ません。その基軸が危ないと思ったから、そうではない論を探してるのです。
2013-09-29 22:11:41だから、文化研究論とか、美学とか藝術学とか、どれも僕の身に合わなかった。 享受論と僕は言うけれど、これは要は「ただの」哲学だし、どこに位置付けられるものでもない。解ってるのはただ、消費の他者領域ってことだけ。
2013-09-29 22:12:34僕の喋ってる事を一種の文化研究論とか社会学とか美学とかで照らし合わせることはできかれ、それらのなんらかであると思う人も多いわけだが、僕はそのどれでもない、とはっきり想ってる。それらの考えに引っ張ってもらうこともある。でもどっちかというとそれらのスマブラだ。
2013-09-29 22:13:24現代哲学の世界でも似た人がいて、この人僕は面白いと思ってるのが、ゲオルグ・ジンメルと言う人。この人みんなにしっかりとした軸足が無かったって言われて嫌煙される節があったけど、その学自体の芯は通っていた。 だから言われている、「ジンメルは過度的現象だった」と。
2013-09-29 22:14:54『一定まで肥大した文化はアカデミズムを持つ』この言い方は修正して理解したい。文化がアカデミズムを持つんじゃなくて、文化に勝手にアカデミズムを立てる人たちがいるだけ。文化自身はそれを何とも思ってない部分もあるし、気にしてる人もいるし、いずれにせよアカデミズムと直接関係ない。
2013-09-29 22:17:37文化が、アカデミズムを持とうとするのか?
否。
持たない分化も持ちたがらない文化もいっぱいいる。
じゃあ、「伝統」は生まれないか。
そんなことはない。
時代が過ぎてきゃ勝手にセンスデータが積み重なる。
沢山出来たネタから、新たなネタの発想も思いつく。
いつだって、重要なものを引き継ぐ事は出来る
@L_O_Nihilum アカデミズムが疎外を生むのは事実です。では基軸を持たない評論ならば疎外を生まないのかといえばそれは違うと思います。基軸を持たない評論の場合、作品やそれを取り巻く空気感という部分への共感に依拠する部分が多く、別の世代、文化圏の者への疎外を生むのでは?
2013-09-29 22:18:27一度そのアカデミズムが立つと、その目線に縛られた目線しかできなくなる。いくらアカデミズムが更新しても、アカデミズムであること自体は変わらないから、その大きな物語は保持されていく。大きな物語の凋落なんて嘘だと思うよ。だってその物語をせっせと作って横流ししてんのがアカデミだから。
2013-09-29 22:19:00@knm_mtym_2 ではその空気感とは何であったかを探すことが出来る。鑑賞した、その結果が出た、sかしそれが空気感への依存がみられた(そもそもそれがそのようにみられる根拠が必要ですが)、ではその空気感とは何で、向こうと対話をしたらこのような差異が出てきた、と差異が抽出できる。
2013-09-29 22:20:55@knm_mtym_2 そこで生まれる差異のために対話を行っていくのだと思います。昨今のまとめの際も、お互いの好みの違いが、また評価方法の違いという観点の差異を生むべく依拠しているモノに近づくために、好みの違いを話し合ったはず。アレと同じことをより広く繰り返すことになります。
2013-09-29 22:22:18絶対的な基軸、というからには、その他文化圏への疎外が生まれない、とアカデミズムが自信を持ってることの証じゃなかろか。そして、それが世界的な言語ゲームになるからこそ享有可能となる。つまり翻訳可能なものとして理解されるわけだ。
2013-09-29 22:23:28ただそのように理解されて出てきたアカデミズム的な文化形式が、いつのまにかわれは対象ではなくそれ自体だと言わんばかりに前に出てくる(例えば某MTさんのように、俺の文化こそはオタクだみたいに)。で、それとは違う細かい事象が現場で出ているのに対して鈍感になる。
2013-09-29 22:24:36てかそれこそ、「別の世代、文化圏への者への疎外」を生む、「作品を取り巻く空気感と言う部分への共感」、だとは考えないのかな?と思う。 その「空気感」がたまたまアカデミックな体系で言語化され支えられたかに見えてるだけ。それも一種のデータに過ぎない。
2013-09-29 22:25:38(それはそのアカデミックな創作によってできたものの良し悪しの問題とは別だゾ。てか、そのようなアカデミックな視座を持たない人からすれば、そのようなアカデミーが生んだ思想由来の藝術や創作も別の強度を発生して見えるわけだよね?そこで、享受論的疎外、および差異が見いだされるのですよ)
2013-09-29 22:26:40この話するのにドゥルーズ引っ張ったらとてもいいだろうなあ、って思ってるけど、ドゥルーズの思想解ってるようで全然わかってないと思ってるんで、引っ張らんでおく。
2013-09-29 22:27:15@L_O_Nihilum 対話を行うと言ってもそれは、自分としゅ―にゃん氏という個人間だから出来る事ですよ?同じ事を無数の別の世代や文化圏に所属する人間一人ひとりに行う事は出来ないよ。だからこそ「完全ではなくても一定レベルまでなら確実に伝達できる」アカデミズムが今もあるんです。
2013-09-29 22:28:17噺戻すけど、そのような軋轢の経験を、その場で見てきたから、てかひとりのニコ厨かつひとりの同人創作の享受者、ゲームのアニメの映画のetcetc…の享受者として、見てきたから、基軸立てると危ないな、っていう風に思ってるから、今この信念を抱いているんです。
2013-09-29 22:28:34根っこにある大目的が違うのかもしれない。自分は文化の存続と継承を第一義においているのだが、しゅ―にゃん氏はおそらく、継承云々は抜きにして、その時代での生の感覚込みで正確に捉える事を重視している。
2013-09-29 22:29:42