信長など「天下人」は日本統治を、京都で『押し付け』られた?との仮説

戦国時代における「天下人」とはなんぞや?というのは、言葉の定義や王権論、史料研究も含めて結構ホットな話題のようです。そんな話題の中で、むしろ京都の貴族や朝廷は、純朴?な将軍候補や地方武士が上洛すると「統治の責任」を巧みに押し付ける…そんな構造だったのではないか…という話が盛り上がりました。読んで面白かったのでまとめさせてもらいます。
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179@擁護派 @yougoha

浅井とか朝倉とか武田とか、あのへんに信長が一切合切容赦しなかったのも、本気で朝廷と幕府を支えるつもりで上洛したのに、それをしっちゃかめっちゃかにした(少なくとも信長はそう思ってる)連中に対して「少し……頭冷やそうか」状態になっちゃったのかも

2015-01-17 00:26:57
まとめ管理人 @1059kanri

@nonomaru116 それだけ日本の国家運営を、近世は公家ではどうにもならないレベルに高度化させたということなのでしょうね。

2015-01-17 00:29:41
ののまる @nonomaru116

@1059kanri そうすると、革命第一世代空中分解以降、政権を切り盛りした岩倉具視の突出ぶりが改めて感じられるわけでw

2015-01-17 00:33:56
179@擁護派 @yougoha

この「天下人なんてなりたいもんじゃない」説で朝廷の深淵度が増してしまった

2015-01-17 00:34:57
179@擁護派 @yougoha

いやーでも面白いよこれ。なんか色々辻褄合う

2015-01-17 00:35:45
まとめ管理人 @1059kanri

@nonomaru116 岩倉は公家の限界をきちんと認識していて、その上で新しい状況に朝廷はどう変革するのがベストか、という事を常に考えていた感じですね。そういう意味では変な私欲がないので、没落しても人が付いていった感じです

2015-01-17 00:40:28
179@擁護派 @yougoha

めぼしい有力者見つけては「がんばれ♥ がんばれ♥」ってやってる朝廷を想像してしまった

2015-01-17 00:44:01
Gryphon(INVISIBLE暫定的再起動 m-dojo) @gryphonjapan

「信長など「天下人」は日本統治を、京都で『押し付け』られた?との仮説」 togetter.com/li/771062 に追加したい書評を思い出したので、引用する。 『信長の政略 信長は中世をどこまで破壊したか』 谷口克広 (学研) booklog.kinokuniya.co.jp/kato/archives/…

2015-01-22 08:22:20
リンク booklog.kinokuniya.co.jp 文芸評論家・加藤弘一の書評ブログ : 『信長の政略 信長は中世をどこまで破壊したか』 谷口克広 (学研) 『2052 今後40年のグローバル予測』 ランダース (日経BP社) 紀伊國屋書店BookLog プロの読み手による書評ブログ。書評本来の意味である「書籍の評価・批評」をお届けします。
Gryphon(INVISIBLE暫定的再起動 m-dojo) @gryphonjapan

対朝廷政策については幕末の勤王思想家は信長を勤王家の先達と評価し、明治8年の建勲神社創建にいたるが、勤王家という見方は田中義成『織田時代史』によって学説として確立され、第二次大戦期まで信長観を支配することになる。 @gryphonjapan

2015-01-22 08:23:16
Gryphon(INVISIBLE暫定的再起動 m-dojo) @gryphonjapan

「ところが敗戦後、信長を中世を終わらせた革命家として評価する見方が浮上し、信長は天皇制否定したとする安良城盛昭の説まで出てくる。  1970年代には以下の三つの論考が出揃い、今日の信長論の基礎が出来あがった。」 @gryphonjapan

2015-01-22 08:24:06
Gryphon(INVISIBLE暫定的再起動 m-dojo) @gryphonjapan

「朝廷に対しては「一歩離れてこれを操縦」したとする朝尾直弘「『将軍権力』の創出」(1970-4) 朝廷とは対立・緊張関係だとした奥野高廣「織田政権の基本路線」(1976) 信長は中世から離脱できず、朝廷に対しては公武協調政策をとったとする脇田修「統一権力と朝廷」(1977)」

2015-01-22 08:24:44
Gryphon(INVISIBLE暫定的再起動 m-dojo) @gryphonjapan

1990年代に入ると2の立場を先鋭化した論があらわれた。今谷明の『戦国大名と天皇』と『信長と天皇』である。馬揃えは朝廷に対する武力威嚇だったとか、三職推任が本能寺の変の原因だったとする見方は今谷の本で世に広まった。本書の副題が「信長は中世をどこまで破壊したか」となっている(後略)

2015-01-22 08:26:45
Gryphon(INVISIBLE暫定的再起動 m-dojo) @gryphonjapan

1990年代に入ると2の立場を先鋭化した論があらわれた。今谷明の『戦国大名と天皇』と『信長と天皇』である。馬揃えは朝廷に対する武力威嚇だったとか、三職推任が本能寺の変の原因だったとする見方は今谷の本で世に広まった。本書の副題が「信長は中世をどこまで破壊したか」となっている(後略)

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