「タラントンの喩え」をどう読むか ~ キリスト教の反デフレ的側面
@kuroseventeen キリスト教は聖書を教典とした「解釈」の方法のひとつであり、教典そのものを勝手に(あるいは字義通り)解釈したものを「キリスト教」と呼ぶのはおかしいということですか?(同じ新約聖書を教典としているから「イスラム教」ともいえるよね、と)
2011-01-10 01:08:20@night_in_tunisi そういう意味じゃなかったのか。定義だけなら、wikipediaと大差ないです。うちの、はどうでもよいのね。まあ、長いけど読んでください。
2011-01-10 01:12:06@kuroseventeen 津西さんの「そのまま」は執筆当時の価値観ではなく、新訳を字面通り受け取り、尚且つそれを「キリスト教」の教義なり倫理観と仮定するなら、って意味じゃないですか。
2011-01-10 01:13:08@WARE_bluefield 「今」と仮定するなら今の「キリスト教」はデフレ脱却を支持してる、って証拠を出せばいいだけだと思うんですけど。
2011-01-10 01:16:32@ad_s_c そういう意味ならマタイ書は今のキリスト教の影響を及ぼしているでしょうね。で、キリスト教の影響のあるものを「キリスト教」に還元していいの?って話なんですけど。
2011-01-10 01:18:09初期キリスト教はユダヤ教の一分派だったみたいな歴史的事実と、新約の成立過程の曖昧さみたいな話と、近代キリスト教の聖書の解釈論、に分けて考えれば、津西さんは「近代キリスト教の聖書の解釈論」の話をしてると思うの。
2011-01-10 01:19:36@rionaoki お疲れ様ですw 僕も先程議論を追わせていただきました。くろさんのロジックは間違っているけれど、いいたいことはなんとなくわかる気がします。 @night_in_tunisi
2011-01-10 01:21:00@kuroseventeen 本人寝ちゃったみたいですが、別に「今の「キリスト教」はデフレ脱却を支持してる」って言いたいんじゃないと思うのです。単にテキストの解釈レベルでのお遊びだと思うのですが。
2011-01-10 01:25:38@ad_s_c うちはマタイ25章にはそもそもそんな意味はないよ、ってことを伝えたかったのですが。そう解釈してはダメとはどこにも書いてないです。
2011-01-10 01:29:08@kuroseventeen まあそうなんですが、新約聖書は、ノストラダムスの予言ほどなんでも解釈あり、ってほどの抽象度が高いテキストではないでしょう。その上で、津西さんはノストラダムス解読レベルのお遊びだったと思うのですが。
2011-01-10 01:30:38@WARE_bluefield だから、今、としてその文章がそう読めるってのには最初から何の反対もしてない、って明言してるんですけど。
2011-01-10 01:31:59@kazemachiroman なんか不思議な方ですね。マタイに書いてある→キリスト教にはとある側面がある、を否定されるとキリスト教について何も語れなくなりますが…。コーランにこう書いてあるが実際のイスラムは違うなんていう主張と似ています。 @night_in_tunisi
2011-01-10 01:33:12@kuroseventeen うーん、なら「書かれた当時は今のようなキリスト教がなかった」みたいなツッコミを入れるのが理解できない。
2011-01-10 01:33:22藤原不比等らが国史を捏造したからと言って、そのテキストを解釈したり解釈の歴史歴経緯を参考にして、日本の文化論を語っても良いでしょう。「捏造だから『日本』を語るな」ってツッコミは変じゃない?
2011-01-10 01:36:50@rionaoki ロジックとしては不整合あるんだけれど、マタイ伝を聖典として「解釈」そのものがキリスト教の各宗派だから、キリスト教として参照するならその解釈ごと参照しないとね、ということかな、と。 @night_in_tunisi
2011-01-10 01:38:35