江戸時代の「悪代官」の実像~むしろ年貢を甘くして叱られた? ut_kenさんのツイートから
- gryphonjapan
- 77951
- 120
- 29
- 10
江戸時代スレ、今夜に吉宗政権前期の経済政策の続きを何とか投下しよう。個人的に吉宗最大の失敗と思ってるし、負の影響力がでかかったのになぜかあまり語られない、貨幣流通量の急激な縮小による「デフレ」問題
2015-12-06 13:38:20しかし、江戸時代の歴史を見てると、~の改革とかそういうの、大抵表現に対する弾圧がセット(歌舞伎が野郎歌舞伎のみになったり、浮世絵のその時代の本当の技術を知りたければ春画を見るしかない、とかそのへんの理由)なんで、なんでコイツら歴史上で改革者にしないといかんのだろ。って思った。
2015-12-06 12:55:37まあ自分のAAスレで解説連載してるのですけど、当時の社会とかの事情もありますので。身分に応じた生活をするべきとか、中世~戦国の以来の風俗の矯正やら、儒教やらなにやらによる教化やら @MIBkai なんでコイツら歴史上で改革者にしないといかんのだろ。って思った
2015-12-06 13:47:18あと個人的には、現在はむしろ、いわゆる三大改革の見直しを通り越しての過小評価(&田沼時代とかの過大評価)の方がむしろ問題ですねえ。吉宗とか松平定信って、行政や訴訟、民生、災害対策などの合理化・改善もでかかったのに、最近はその辺がやたら無視されてる@MIBkai
2015-12-06 13:50:37twitter.com/fossilecosyste… 倹約路線が近年は評判が悪い徳川吉宗も、こんなアホみたいになんでも切り詰めろなんて言わず、オーバーワーク状態の勘定奉行所は増員し、資金不足で業務に支障が出ていた代官の運営資金も増額するなど、金を与えるべきところにはちゃんと増額していた
2015-12-06 14:11:26徳川吉宗は緊縮路線といっても、行政や防災などに必要なところに対してはむしろ増額しているし、仕事をしている人材にはそれに応じての活動資金や報酬などを与えている。
2015-12-06 14:14:42吉宗政権初期の代官の問題と解決。五代将軍綱吉の時代に地元との癒着を避けるために、中央から期間を限定して派遣してするように代官制度を改革したが、その後もなぜか代官の使い込みや負債といった問題が頻発した
2015-12-06 14:30:21それで調べてみると、代官の個人的な欲のためでなく、そもそも統治のために幕府から与えられる資金が少なすぎる、村々から集められなかった年貢の建て替えなどが主因だった。なので吉宗は、代官の活動資金を増額してこうした問題は大きく減った。
2015-12-06 14:35:36吉宗にしても、こうして代官が正常な仕事をするようになれば、年貢もきっちり集まるという結果が出る(綱吉から吉宗までの代官の不正問題というのは、水戸黄門とかによくあるのではなく、幕府への年貢の滞納問題が主だった)ことを見越してのことだった。
2015-12-06 14:38:15水戸黄門とかのイメージだと、(少なくとも幕府の)代官の不正というのは、私利私欲のために百姓から年貢を取り立てるというのが多いが、綱吉から吉宗の時代に問題になったのは「現地の百姓と癒着して年貢取り立てを甘くする」というのだった。また暴政をすると幕府に訴えられ、処罰される。
2015-12-06 14:57:26元禄ぐらいまでは成長時期だったけど、享保ぐらいになると頭打ちになって幕府の収入もだんだん悪くなるわけで、だから代官の胸突き八丁で税収が増減し不正の温床になりかねない検見法をやめ、一定税率を適用する定免法が導入されたわけねw twitter.com/ut_ken/status/…
2015-12-06 15:21:02吉宗の方針の一つとして、年貢を集めるのを増やすために、代官の取り立てを厳しくさせた。たとえば、統治が厳しすぎると百姓から訴えられた代官を解任はしたが、それまでなら解任したままなのを、また別の土地の代官に任命した。
2015-12-06 15:00:49ただこの年貢増徴路線は九代将軍家重の際にピークを迎えるが、その後は再び下降路線。代官も、幕府から与えられる資金にそれほど余裕がない上に、苛政をすると百姓から幕府に訴え出られるので、時代劇的イメージと違い幕府と百姓の板挟みであまり無茶ができない。また民生に勤めて慕われた代官も多い
2015-12-06 15:03:30うちの故郷のちかくにも、「年貢負けてくれて、いい代官だったお」ってことで神様としてまつってる神社あったわ。 江戸代官や名主の民生思想は、やっぱり儒教の教養なんだろうか、ほかの自然発生的思想なのか・・・ @ut_ken
2015-12-06 15:58:03司馬遼太郎を参考ってのもまた微妙でしょうけど、江戸幕府直轄地の代官は他と比較すると「民を慈しむ」的思考があり、穏やかな統治だった、と書いてあったな。将軍家のメンツや優位性もあっただろうけど「メンツがあるから過酷な統治はできない」という発想自体、世の中少ないし @ut_ken
2015-12-06 16:08:29@ut_ken @gryphonjapan なるほど、地方交付税交付金が足んないよ〜!>< って話だったんですねえ。田口計とか鹿内孝が愛らしく思えてきました。
2015-12-06 16:09:03でも「先祖代々土着した名家、旧家こそ、その地域のためにやれるんだ」と「癒着やしがらみや地元利権のない派遣官僚こそ、清潔公正な政治が出来る」というのは前近代の統治としては永遠のテーマではあるよなあ。 江川英達は先祖代々だからこその名代官。 @777ume777 @ut_ken
2015-12-06 16:14:38“ 吉宗は、政権前期において、貨幣政策で大きなミスをしでかしている。それが、「金銀貨の品質向上改鋳の強行」だ。>1の私見では、吉宗政権全般をみわたしても最大のミスだ。” / “【綱吉・白石・吉宗 他】やる夫たちと学ぶ江戸時代 そ…” htn.to/msQEJy
2015-12-07 20:07:21余談 「享保・寛政の改革(=徳川吉宗&松平定信)は、見直しがすぎて過小評価されているのではないか」
前提として
・基本的な一般イメージでは、ふたりは名君、二大改革は立派
・ただ近年、「そうでもないんじゃ?」という異論が出てきて、それは定信の政敵・田沼意次の再評価にもつながっている。
・しかし、その見直しが行き過ぎて、田沼が過大評価、吉宗・定信が過小評価されているのではないか…
という話
実はこの部分 @ut_ken さんにもう少し聞いてみたいのだけど、時間のあるときに。吉宗もそうだが「松平定信評価」は、大きく二派に分かれて..「江戸時代の「悪代官」の実像~むしろ年貢を甘くして叱られた? ut_kenさん..」 togetter.com/li/909770#c234…
2015-12-09 08:14:42松平定信-その功罪を、あらためて考える - Togetterまとめ togetter.com/li/614050 @togetter_jpさんから
2015-12-09 08:21:12