「織田信長は結局の所、天下統一のグランド・デザインを持ってたのか」問題再論~まとめ管理人氏を中心に
- gryphonjapan
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なんでtogetter.com/li/1208188のタイトルに「再論」とつくかというと、過去に類似テーマがあるからでごわす チェースト togetter.com/li/731133 togetter.com/li/646228 togetter.com/li/913212
2018-03-13 11:13:44あとひとつあったんだっけ。 これが一番直接的に、今回togetter.com/li/1208188のまとめテーマと近似しています 信長など「天下人」は日本統治を、京都で『押し付け』られた?との仮説 - Togetter togetter.com/li/771062
2018-03-13 11:23:54戦国ちょっといい話・悪い話まとめ というブログの管理人でございます。 iiwarui.blog90.fc2.com 主にブログ更新のお知らせとか戦国時代のこととかそれ以外のこととかつぶやきます。
僕の感じている天下人の意識の流れ ・織田信長「社会的常識やルールはちゃんと守ろう。偉い人ほどきちんとしよう」 ↓ ・豊臣秀吉「俺がルールだ!」 ↓ ・徳川家康「社会的常識やルールはちゃんと守ろう。偉い人ほどきちんとしよう」
2018-03-09 12:19:53@1059kanri この前提で信長と家康はどういうところが革新的だったのか、という論立てたほうが良いですよね。二人ともガチガチの保守派が、やむにやまれず改革する羽目になった人たちですし。
2018-03-09 12:23:01呉座先生の新著で、人斬りっぷりが話題になっていますが、黒嶋敏先生の新著での切れ味も凄いのでこちらも是非読んでほしい。このあたりとかもう、ゾクゾクしませんか?w 秀吉の武威、信長の武威 - 平凡社 heibonsha.co.jp/book/b341816.h… pic.twitter.com/FWEV1wTA0N
2018-03-11 14:28:09@1059kanri 秀吉政権自身は政策を体系化した訳でも、明文化したわけでもないんですね。だから、「体系化されていない。明文化されていない。だから×」という反論は容易な訳だし、そういう批判は正直誰でもできるし、実際過去からずっと批判されている。だから黒嶋先生のも従来からある批判の焼き直しに過ぎない。
2018-03-11 14:32:49@koueorihotaru 行き当たりばったりの方針に過ぎない、という部分に、「惣無事論」「豊臣平和令論」からの有効な反論は今まで存在していないと思います。そもそも「豊臣平和令」論は、「秀吉による体系的、明示的な平和政策が存在した」というものでしたし
2018-03-11 14:38:51@1059kanri 「行き当たりばったりの方針に過ぎん」vs「いや何百年かぶりの全国統一政権を作る以上何らかのグランドデザインがあったはず」ですかね。体系的・明示的な平和政策が存在したか?なら×でしょう。体系的・統一的な平和政策を行う意思があったかという話なら彼らの行動を見てどう考えるかという話です。
2018-03-11 14:47:50織田信長は戦国大名レベルの改革も行っておらず、ここから「極端に保守的だった」「いや戦争ばかりで改革の暇がなかった」と意見が別れていましたが、当時としてもかなり大切な財政、行政機構も、権力の肝の司法の仕組みすら未発達で、昨今では本気で軍事以外考えてなかった可能性が指摘されるという
2018-03-11 23:28:57信長については、現在でも何がやりたかったか能く解らず、それ故にいろんな妄想が付託されやすいキャラクターなのですが、面白いのは信長の生きていた当時でも、周辺の人間含めて信長が、自身や世の中をどうしたいのか能く解ってないフシがあるという所でw
2018-03-11 23:43:50信長は京を支配したのに、そこから上がってくる大量の裁判案件の審議に非常に消極的で、なおかつ判決にも統一基準がほとんどなく、まるでやる気を感じさせない有様で、こんな実態を見ていれば明智光秀が「俺のほうがうまくやれるわ」と思っても仕方なかったでしょう
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