レイ・ラングトン論文受容10年史
第一の違和感は「ジェンダー」という社会種が「パフォーマティブ」というところなのかな。「ジェンダーについての言説」が「パフォーマティブ」なら言説の性質としてわかる気がする。だけど「ジェンダー」種が「パフォーマティブ」と言われると変に思えるのがひとつのハードルだと感じる。
2020-07-31 18:08:21第二の違和感は、「ジェンダー」についての言説が遂行的であることから、「ジェンダー」が行為のなかで構築される、は導けない点だろうか。第三に、この「行為のなかで構築される」の行為は発語内行為のようなやつなのか、行為一般なのかも分からない。分からない点が明晰になってきてうれしい。
2020-07-31 18:08:22三木さんが読むバトラー解説は、哲学者のみならず、バトラーに卒論とかで触れたり、ジェンダー論をやろうとする芸術学系のひとにも役立ち、めちゃくちゃ需要があると思うので編集者さんはすぐにアポイントメントをとった方がいい。
2020-07-31 18:12:03@deinotaton 私もわかっているのか心許ないですが、単に言説が遂行的であるというより、いろいろな遂行的発話のなかでもとりわけ「当該のものを構築するタイプの遂行的発話」みたいに考えられているのではないかな、と思いながらいろいろなひとの文章を読んでいます。そういう発話自体はサールにもありますよね。
2020-07-31 19:15:22@nayuta_miki 整理していただき「当該のものを構築するタイプの遂行的発話」があるはよくわかりました。別の点でバトラーの『ジェンダートラブル』第三章だと、発話以外のふるまいや装い、行為一般も構築できるっぽく読めたのでかなり強そうな主張に思えています。三木さんに解説本を書いて欲しくなってきました。
2020-07-31 19:21:05ジュディス・バトラーの主張全然分からないが、読んでると、ケタケタと性愛規範を笑ってる感じは好き。でもバトラー引用する人はとてもきまじめであまりケタケタ笑ってないので、もっとディオニソス的な哄笑を語ってほしい。
2020-08-04 01:19:02✄- - - - - - キ リ ト リ - - - - - ✄
江口さんに「画像の意味」と「使用の意味」がよく分からんと言われ、確かに画像に内在的にありそうな意味と、その都度の画像提示の意味と、二つの違う意味として区別できるとどううれしいか、というのは都度説明すべきことだな、と再確認した。
2020-09-13 18:40:37✄- - - - - - キ リ ト リ - - - - - ✄
Langtonの"Speech Acts and Unspeakable Acts"という論文を読んでいて、なんだか泣きそうになってしまいました。オースティンの発語内行為の特徴づけを手がかりに、社会的マジョリティには可能な発語内行為が社会的マイノリティには不可能になる条件を検討したりする論文。
2020-09-03 22:12:14全体としてはマキノンのポルノグラフィティ批判を、オースティンを参照しつつ補強する感じの論文です。
2020-09-03 22:12:15今更ですけど「ポルノグラフィ」が「ポルノグラフィティ」になってました。(iPhoneの予測変換で、「ぽるのぐらふぃ」を変換しようとすると、「ポルノグラフィティ」のほうが先に来るんです…) twitter.com/nayuta_miki/st…
2020-09-04 19:34:56オースティンは発語内行為の成立に慣習が関わるとしていたけれど、慣習はマジョリティには利用可能だがマイノリティには利用不可能なことがあり、例えば他のあらゆる条件を満たしてもその社会の慣習によっては、同性同士の結婚式での宣誓は異性同士の場合と同様の発語内行為をもたらさないことがある、
2020-09-03 22:18:01みたいな話も途中で触れられていて、 どうして私はオースティンを読んだときにきちんとそういうことを考えながら読まなかったのだろう(もしかしたら多くの読者が意識していたのかもしれないけど、私は素通りしていた)とも、思いました。
2020-09-03 22:18:01江口聡さんがこの論文を批判的に紹介していたのを知りました。ただ、Langtonさんはポルノグラフィの害を制度や慣習のレベルで捉えようとして発語内行為の話をしているのに対し、江口さんは個々の加害者の振る舞いへの影響という個人レベルの話で捉えていて(もしくはそう捉えるべきだと考えていて)、 twitter.com/nayuta_miki/st…
2020-09-04 08:26:46その結果としてLangtonさんが発語内行為と発語媒介行為を混同しているのではないかというコメントなどが生じているような印象です。silencingについても、Langtonさんがある種の発語内行為を成立不能にする慣習の制定・強化をおこなう発語内行為がポルノグラフィティによってなされているのではないか
2020-09-04 08:26:46という話をしているのに対し、江口さんは「仮にそうだとしたら個々の加害者の悪さが指摘できなくなるのではないか」という話をしていて、前者が慣習そのものの悪さの話をしているのに対し、後者は既存の慣習を所与としたときの個々の行為の悪さの話をしていそう。
2020-09-04 08:26:47むろん個別の事件のレベルでの加害者の責任も問える枠組みでないとダメなのですが、他方でLangtonさんが執拗に統計をあげるあたりからしても、該当論文の狙いはもっと大きな、社会的制度・慣習レベルでの歪みを言語行為論的に語る枠組みの提示のはずで、ちょっと話がすれ違って見えました。
2020-09-04 08:26:47Langtonさんの狙いを私が正しく理解しているなら、まさに制度や慣習をターゲットにしているがゆえに、Langtonさんは混同どころか、意識的に、かつ一貫して、発語内行為の話をし続けているのではないかと思います。そうした発語内行為が現にあるのかないのかといったレベルでの批判は可能にせよ。
2020-09-04 08:32:57silencingに関しても、単にそれを引き起こすというのではなく、発語内的silencingを構成するのはある種の発語内行為に関わる慣習における偏りであると指摘したうえで、そうした偏った慣習を制定するには別の発語内行為が必要で…、という流れで話しているのではないかな、と。
2020-09-04 08:32:57「言語の慣習は倫理的慣習とは違う」という批判についても、それはLangtonさんも同意しそうだなと感じました。言われているのは、ある種の発語内行為を女性に不可能にする言語慣習の存在で、そして(それとは別仕立てで)そのような慣習は自由の毀損になるから倫理的にも悪い、という議論なのでは。
2020-09-04 08:43:39そして肝心のその言語慣習の話については、「そんな社会的慣習が現実に広く存在するとは思えないが」の一言で済まされていて、それが「現実に広く存在する」と指摘するためにこそ元論文では執拗に統計データが語られていたのではないかな、と怪訝に思いました。
2020-09-04 08:43:40最後の方の「『ノー』を『ノー』と理解して暴行を加えることと『ノー』を『イエス』と理解して暴行を加えること」の違いについても、「ノー」を「イエス」と理解させてしまう慣習の問題を不問にしたうえで語るから、さも後者が前者に比べて弱い話みたいになっているのではないかな、と思いました。
2020-09-04 08:43:40