「関ヶ原の戦いは誇張されている」…としたら、誰が何のために「話を盛った」んだろう?

6月2日に、司馬遼太郎原作で岡田准一が石田三成、役所広司が徳川家康を演じた「関ヶ原」が地上波放送されます。それはそれとして、関ヶ原は近年の研究で、有名なエピソードのいくつかが「創作。史実ではない」と言われるようになってきました。その研究とは別に「じゃあそういう話は、なぜ、どのように創作されてきたのか?」というところも、議論になりますよね。
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リンク 古上織蛍の日々の泡沫(うたかた) 神屋宗湛と石田三成について - 古上織蛍の日々の泡沫(うたかた) ☆ 総目次に戻る☆ ☆戦国時代 考察等(考察・関ヶ原の合戦、大河ドラマ感想、石田三成、その他) 目次に戻る 天正十五年正月、豊臣秀吉は博多の豪商、神屋宗湛(一五五一-一六三五)を茶会に招くことになります。この秀吉と宗湛の面会の設定は、博多商人との繋がりを重視する、(宗湛と親しい)堺商人津田(天王寺屋)宗及と石田三成のはたらきかけによるものでした。宗湛は、招きに応じてまず大阪の宗及を訪ねます。 以下、武野要子『西日本人物誌[9] 神屋宗湛』西日本新聞社、1998年の記述を紹介します。(ページ数は、上記書籍の
古上織蛍 @koueorihotaru

また、伊達政宗が大崎・葛西の旧領への転封を命じられた時に見せた三成の気遣いについては、下記で説明した。↓ koueorihotaru.hatenadiary.com/entry/2017/01/…

2019-05-30 00:20:24
リンク 古上織蛍の日々の泡沫(うたかた) 伊達政宗と石田三成について(3)~石田三成、伊達政宗を気遣う - 古上織蛍の日々の泡沫(うたかた) ☆古上織蛍の日々の泡沫(うたかた) 総目次 に戻る ☆戦国時代 考察等(考察・関ヶ原の合戦、大河ドラマ感想、石田三成、その他) 目次に戻る ※前回、前々回のエントリーです。↓ koueorihotaru.hatenadiary.com koueorihotaru.hatenadiary.com 天正十九(1591)年、奥州で起こった大崎・葛西の一揆の始末をするために六月、石田三成は奥州への派遣を命じられます。そして、 「八月上旬には一揆も壊滅し、九月に入ると、出羽米沢の伊達政宗が、一揆を起こした大崎・葛西
古上織蛍 @koueorihotaru

石田三成と伊達政宗といえばワインパーティーとか。↓ koueorihotaru.hatenadiary.com/entry/2015/01/…

2019-05-30 00:21:45
リンク 古上織蛍の日々の泡沫(うたかた) 伊達政宗と石田三成について(2) - 古上織蛍の日々の泡沫(うたかた) ☆古上織蛍の日々の泡沫(うたかた) 総目次 に戻る ☆戦国時代 考察等(考察・関ヶ原の合戦、大河ドラマ感想、石田三成、その他) 目次に戻る 前回の続きです。(前回のエントリー→)伊達政宗と石田三成について(1) (以下の家康の私婚違約事件の経緯については、白川亨『石田三成の生涯』新人物往来社、1995年 p202~203を参照しました。) 秀吉が慶長3(1598)年8月18日に亡くなった後、早くも家康は専断を始めます。それまで秀吉の許可を得ない大名同士の婚姻は、大名同士の勝手な同盟になるため、掟で禁止され
古上織蛍 @koueorihotaru

小早川秀秋の九州入国に気配りをする石田三成とか。↓ koueorihotaru.hatenadiary.com/entry/2017/05/…

2019-05-30 00:26:04
リンク 古上織蛍の日々の泡沫(うたかた) 小早川秀秋の九州入国に気配りをする石田三成 - 古上織蛍の日々の泡沫(うたかた) ☆ 総目次に戻る☆ ☆戦国時代 考察等(考察・関ヶ原の合戦、大河ドラマ感想、石田三成、その他) 目次に戻る ※関連エントリーです。↓ koueorihotaru.hatenadiary.com 石田三成と小早川秀秋の仲については、関ヶ原の戦いで秀秋が西軍を裏切ったことから、仲が悪いのが当然のように考えられていましたが、調べてみても、実のところ三成と秀秋の接点というのは薄いだけで、仲が良いとか悪いとかいう事はないのではないかと思われます。 その中で、三成と秀秋に関係するものとして、また中野等氏の『石田三成伝
古上織蛍 @koueorihotaru

ただ、三成の「気遣い」って「執事」的なんですよね。職務に忠実というか。「豊臣家の執事たる者、この程度のことが出来なくてどうします?」みたいな。

2019-05-30 00:27:45
ドンじょぶお @urakkun26

@koueorihotaru 司馬版「関ヶ原」ではそういう解釈でしたが江戸時代の逸話にルーツがあったのですか。

2019-05-30 04:26:52
古上織蛍 @koueorihotaru

@urakkun26 逸話というか「戸田左門覚書」「慶長見聞書」「落穂集」などがそういう書き方をしているという事です。これらの記述は、(三成が家康の敵に回った)関ヶ原合戦後のフィルターを通して「編集」されていると考えられます。

2019-05-30 06:36:27
bookroad @bookroad1

@koueorihotaru @urakkun26 もし「関ヶ原は実情より盛られている」という近年の研究が正しいなら、その後の江戸期の「盛り方」を、ストーリーテラー的な何かとして再評価してもいいと思う twitter.com/koueorihotaru/…

2019-05-30 06:42:21
ドンじょぶお @urakkun26

@bookroad1 @koueorihotaru 盛られているのもそうですが、「事実の様に語られて来た伝説を既に知っている者」という視座から現代人は降りる事が出来ないのが現実なんでしょう…戒が無ければ破戒も無いという「自由」の持つ矛盾みたいなものですね。

2019-05-30 06:52:02
古上織蛍 @koueorihotaru

@bookroad1 @urakkun26 私は未読ですが『関ヶ原合戦を読む―慶長軍記 翻刻・解説』という本があるようです。『慶長軍記』とは関ヶ原合戦について語られた最初の作品らしいですね。その成り立ちや内容を見れば「物語としての関ヶ原合戦」がいかに形成されたかを見ることができるかとは思います。読んでみようかな。ただ高い。

2019-05-30 06:54:43
bookroad @bookroad1

@urakkun26 @koueorihotaru 嘘かまことか、江戸幕府(松平定信?)が「藩の由来を、公式に記録として出せ」と諸大名に命じた所…「関ヶ原で何をしたか」はやっぱり注目点なので「うちは最初から徳川様に忠義だった…そうだな!(ギロリ)」「当時は何も活躍なし?いや、あのネ、書きようがあるだろ書きようが」みたいになった説…

2019-05-30 06:58:37
ドンじょぶお @urakkun26

@koueorihotaru @bookroad1 如何にしても伝説が形成されたかという物語を解体するのも歴史理解には有効なアプローチですね…専門家による比定が熟してしない一次史料を手探りするより勉強になりそうです。

2019-05-30 07:01:40
bookroad @bookroad1

@urakkun26 @koueorihotaru 磯田道史が司馬遼太郎の「関ヶ原」を、「この部分の元ネタは○○で、…はそこの記述通りだが、XXは司馬の追加。それはこんな意図があったのだろう」と分析する文章を書いてて面白かったです。 ここに少し画像あり togetter.com/li/986379

2019-05-30 07:06:27
まとめ 「司馬遼太郎はどういう風に、シロウトをだましてきたのか?」(※褒め言葉) ホントはタイトル「司馬遼太郎作品の史実と創作部分」みたいな穏健なのも考えたのだけどね…冗談抜きで、ホントに『作家』司馬遼太郎への称賛として「シロートをだましてるなあ」と。それはシロート代表の当方が認定する。 そのへんのことをいろいろと。 301134 pv 1869 391 users 476
ドンじょぶお @urakkun26

@bookroad1 @koueorihotaru 七将襲撃メンバーや9月15日の合戦参加武将すら完全確定していない理由の一つでしょうね。

2019-05-30 07:06:52
古上織蛍 @koueorihotaru

@bookroad1 @urakkun26 寛永18(1641)年10月,島津家の系図や文書を幕府に提出せよという幕府の指示に対して,島津氏が提出した「御厚恩記」という書物があり、それには、秀吉死後、家康のおかげで5万石加増という御恩を得ました、という事実と異なる(加増決定は五大老連署によるもの)御恩を受けた報告をしています。

2019-05-30 07:08:31
古上織蛍 @koueorihotaru

@bookroad1 @urakkun26 詳細は、以下参照。↓ koueorihotaru.hatenadiary.com/entry/2018/11/… 大名家が幕府に提出する文書は「我が家は家康公からこれだけ恩を受けた。これだけ徳川家の天下取りのために貢献した」とPRする文書になるのはある意味当たり前です。PRの過程で「盛る事」になるわけですね。

2019-05-30 07:12:34
リンク 古上織蛍の日々の泡沫(うたかた) 島津義弘と石田三成について⑥-泗川の戦い、五万石の加増 - 古上織蛍の日々の泡沫(うたかた) ☆ 総目次に戻る☆ ☆戦国時代 考察等(考察・関ヶ原の合戦、大河ドラマ感想、石田三成、その他) 目次に戻る ※ 前回のエントリーの続きです。↓ koueorihotaru.hatenadiary.com 慶長三(1598)年十月一日、島津軍は泗川新城の戦で明軍を打ち破り、討ちとった数三万八千七百十七人という大勝利を得ます。(*1) 十月八日、五大老から派遣された日本からの使者徳永寿昌、宮木豊盛が泗川新城に到着、諸将に和議を結んで撤兵することを伝えます。これは慶長三(1598)年、八月十八日に豊臣秀吉が死去
ドンじょぶお @urakkun26

@bookroad1 @koueorihotaru 普通小説にはネタ元や出典は付けないですからね…小説やゲーム等の物語がオーソドックスな歴史の入り口の一つでありそこでの刷り込みを棄却できない人や勉強がそこで止まった人が一定以上居るというのが現状でしょう。

2019-05-30 07:15:13
bookroad @bookroad1

@koueorihotaru @urakkun26 それぞれの藩の祐筆?なのかな、担当者の苦労は察するにあまりある。三谷幸喜「笑の大学」「ラヂオの時間」やウディ・アレンの「ブロードウェイと銃弾」みたいになっちゃったんじゃないかな。 youtube.com/watch?v=BS8SvW…

2019-05-30 07:15:25
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古上織蛍 @koueorihotaru

@urakkun26 @bookroad1 七将襲撃事件は少なくとも片桐且元・小出秀政は徳川方についていますので「七将」ではないでしょう。「私婚違約事件」で煮え湯を呑まされた徳川派の挽回策という側面が高く一触即発で一歩先に「天下分け目の戦い」が始まっていた可能性もあります。「プレ関ヶ原の戦い」と見るべきでしょう。

2019-05-30 07:19:29
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