人格攻撃・差別・連帯について。

人は多様であり、立場も違えば、価値観も異なる。その場合に対立が個人同士というのではなくて、その属性なり価値観なりを否定するということが起こりえる。そしてそれが相互性が崩れた状態で個人対集団あるいは集団対集団という形であれば、差別や人格攻撃となりうる。このような事態を減らす、そして個人同士の連帯を深めるためには何ができるのか?を基にした会話を纏めてみました。
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瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

カテゴリに個人を従属させるのをやめる為の運動行為ならば実践レベルでそれをまず示さなければ誰も納得しないのは自明。カテゴリを取っ払おうと提唱している立場の人が運動内部・外部、あるいはその運動に熱心・無関心、若い・年取ってる、などのカテゴリ意識から抜け出せないのでは支持は得られない。

2011-06-17 11:03:30
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

それで、その支持を得られない原因を外部要因に容易に転嫁して、外部の人間が理解していないから悪いんだ、という考えから抜け出せない限り、いつまでもカテゴリ分類の幽霊に亡霊に付きまとわれることになる。運動外部に支持される為には少なくとも外部者との対話方法を工夫した方がいい。

2011-06-17 11:06:32
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

外部者に対してけんか腰になっても何にも生産的な結果は起きない。むしろ反対でも賛成でもなかった人がその暴力性や攻撃性を再認識することで反対派に代わる場合のリスクの方が大きいということを考えた方がいい、目的達成する為の最善手を尽くすべきで、それは外部にこそ開かれた公正な対話が必要。

2011-06-17 11:10:20
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

けんか腰の相手には誰も心を開いたりしない、むしろ頑なになるだけ、果たしてその対話法でどれほど内部でない人々の共感を得られただろうか、」どれほど社会の理解が得られたのであろうか?そこは冷静に振り返ってみる必要があるのではないだろうか?

2011-06-17 11:14:32
あうらゆうま @aurasoul

同じ怒りを抱いてる人が、賛同するんですよね。 RT @yutakioka けんか腰の相手には誰も心を開いたりしない、むしろ頑なになるだけ

2011-06-17 11:15:19
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

ええ、そう思います。しかし、それでは全く目的からは程遠いですよね。同じ怒りを抱いていない人々にも考えてもらえるようにならなければいつまでも連帯も理解も生まれないですよね。RT @aurasoul 同じ怒りを抱いてる人が、賛同するんですよね。

2011-06-17 11:17:30
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

科学的価値とは異なって、運動やデモが成功するために必要なのは、その主張自体の正当性だけではなくて、結局それに対して、その運動やデモに参加しないような一般的な人の印象や感情そして共感をどのように変えていくことができるかが鍵になる、一般の人=外部者との連帯を欠いた運動はいずれ滅びる。

2011-06-17 11:29:56
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

外部との連帯できない原因を他者転嫁するだけでは孤立し、その孤立への不満から内部対立が生まれ、内部すら統一できなくなれば、内部の中に外部が生まれまたそれをお互い他者扱いすることで求心力も失うことになる。それは極端な話、日本赤軍やあさま山荘事件などの末路を考えれば明らか。

2011-06-17 11:33:43
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

多少の暴力性は適応的である場合がある。しかし、暴力的すぎるものは自然淘汰される。それはサルの群れなどの研究からも明らかになっている。ボスは必ずしも一番力が強いものでも暴力的なものでもなかったりする、そこそこの暴力性はあるが、他者との対話能力や共感能力に優れるものであったりする。

2011-06-17 11:35:54
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

私は原発賛成/反対どちらのデモが行われるにしても、それが語りかけるのは誰なのか?自分たちの内部の自己満足に終わらないようにする為にはどう連携をとっていくか、そちらの方により時間と労力を割くべきだと思う。単にスローガンを掲げても一般の人にとっては雑音でしかないかもしれないので。

2011-06-17 11:39:52
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

運動や政治活動に印象や感情、それらに熱心でない人の共感も非常に大切、例えは非常に悪いが、なぜあれほどヒトラーが支持を得られたのかは運動や政治活動を考える際に考慮に値する。ヒトラーはユダヤ人への敵愾心という印象を操作した。そしてその印象を正当化するための理論を持ち出した。

2011-06-17 12:43:35
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

印象により、認知バイアスがかかっている一般の人々のその印象の整合性への欲求を満たし、見事に、印象操作、共感を形成することに成功した。理論は過ちであるにもかかわらず。この例からもわかるように理論以前に印象やイメージは政治運動には重要な役割を演じるということがわかる。

2011-06-17 12:44:08
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

いくら正しい理論を持ち出したところで差別主義者が差別をやめないのはなぜだろうか?当然経済的利益や既得権もある。しかし差別対象への根拠なき嫌悪感や悪印象という感情的要素も非常に大きいのではないかと思う。だから、私は政治運動や活動について考える場合にここを出発点にすべきだと思う。

2011-06-17 12:47:11
kazutomi @kazutomi

@yutakioka それは多分、十分に正しくないからだと思います。

2011-06-17 12:50:53
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

もちろん初めから世間の共感を出発点などにせず、世間と妥協せずその価値に気が付くまで待つあるいは世間を啓蒙するというのも一つの方法だとは思う、しかしそれは私には時間がかかりすぎるような気がしてまた現に何らかの被害を受けている人を一刻も早く救済する方法としては即効性に欠ける気がする。

2011-06-17 12:54:36
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

たしかに、その可能性はありますよね。例えば社会的レベルでは正しくても生物学的レベルでは正しくないという場合はあり得ますね。RT @kazutomi それは多分、十分に正しくないからだと思います。

2011-06-17 12:56:00
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

その場合はそうですね。「嗜好性」と「差別」は明確に異なると思います。RT @bobbygetshome 「差別」という現象が、実に本能的な「好き嫌い」に端を発しているならば。論理や圧力を用いて、「ビーマン嫌い」の「ピーマン嫌いを治す」ことは普通に考えて不可能でしょう。

2011-06-17 12:57:09
ひとりひっきーの黔驢くろやん@休眠中なう @Brackuroyan

知識を持たない人間に対しては印象やイメージによる活動が有効だという事を歴史が証明している……逆に言えば、手っ取り早い判断材料が印象とイメージしか齎されない事が問題か QT @yutakioka: (前略)理論以前に印象やイメージは政治運動には重要な役割を演じるということがわかる。

2011-06-17 12:57:36
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

例えば、黒人差別を考えてもわかることですが、生まれながらに白人が黒人嫌いなわけではありません。RT @bobbygetshome また、こうした「嗜好性」の発露が「差別」という現象ならば、ここに対してなんらかの抑圧や介入を行う事は、果たして是か非か?という話も出てくるでしょう。

2011-06-17 12:58:25
ひとりひっきーの黔驢くろやん@休眠中なう @Brackuroyan

あ、そっか。長期的な解決方法だけだと、今を苦しんでいる人が助けれないか…… QT @yutakioka: (前略)しかしそれは私には時間がかかりすぎるような気がしてまた現に何らかの被害を受けている人を一刻も早く救済する方法としては即効性に欠ける気がする。

2011-06-17 13:00:20
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

両方の思考が必要ですが、今被害を受けている一人を救うことと、10年後に十人の人を救うこととどちらにより重点を置くのか?という問題に定式化できるのかもしれない。私はより前者に価値を置いている。しかし後者に価値を置く人がいてもそれは方法論の違いなのでそれもまた尊重されるべきと思う。

2011-06-17 13:02:20
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

また、そもそも世間を”啓蒙”するということがはたして可能なのか?あるいはそこに上下関係が発生しているのではないか?とも考えると一般の人の共感、印象、価値観を基に対話を公正性・相互性を確保しながら行う=正義を守り行うことが肝要だと思う。私は”一般の人”の常識や道徳心を信頼している。

2011-06-17 13:05:55
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

補足しますと、嗜好性といってもそれは先天的なものと後天的なものがありますよね。そして差別が後天的な「嗜好性」=社会的学習にあたるということを主張しているのです。RT @bobbygetshome 「生まれながらか否か」は「嗜好か否か」の別にはならないと思いますが。

2011-06-17 13:08:36
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

常識や道徳心、これらの集団的無意識は、結局は個人の意識の総体に過ぎないわけで、これらのものは流動的でいつでも同一の概念に収まっているわけではない。例えばこれらが示唆する意識を芸術なり対話なりにより変えていければ、少しずつより「リベラル化された常識」を構築することは可能だと思う。

2011-06-17 13:12:53
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

いや、正にそういう問題です。行動主義心理学者が考えるようには簡単にはいきませんね。RT @bobbygetshome とすると「ヒッチコックの鳥」を見て以来、鶏肉が食べられなくなった人を、どうやって食べられるようにするかという次元の話ですから、相当に難題ですね。

2011-06-17 13:16:22
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