日本の学校教育と技術論

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「作文教育に対する疑問

問題Ⅰ.社会生活において必要とされる文章能力がいかなるものかという議論がない

問題Ⅱ.作文教育は、小学校、中学校、高校、大学の各段階で必要ではないか

問題Ⅲ.小学校から大学までの作文教育には一貫した思想が必要ではないか

問題Ⅳ.作文が言語技術教育のための手段であるとすれば、もっと言語技術を教育するための技術が論議されて良いのではないか。」

我が国における作文教育の問題点
慶松 勝太郎
https://doi.org/10.24660/lecgsa.9.0_1

作文の歴史

昭和初期における表現指導を重視した綴方教育の展開に関する研究 -実践内容・方法を中心に-
http://hdl.handle.net/2065/00057050

「綴り方で論争が生じたのは 1913 年の芦田恵之助の「隋意選題方式」の提唱によるものであった。「隋意選題方式」は児童が自由に課題を取材し、子ども自身の言葉で書いていくものであり、友納友次郎の「練習目的論」の課題方式と正面から対立した。「隋意選題方式」では、綴り方は実用ではなく、「人格修養」を目的とし、教師は「児童の心を涵養すべし」とされた。
「子供らしい」「ありのままの真実を綴る」作文が鈴木三重吉により提唱され、鈴木が創刊した雑誌『赤い鳥』に多くの投稿が集まった」

我が国における作文教育の問題点
Questions on the Composition Training in Japan
慶松 勝太郎
https://doi.org/10.24660/lecgsa.9.0_1

「1910年代から芦田恵之助らによって主張されたこの綴り方観には、生活教育を目的とし、かつ、児童をとりまく社会にも目を向けさせようとする主張があった。田上新吾著書『生命の綴り方教授』(目黒書店1921年)では、この書物の中で初めて「生活指導」という用語が初めて使われたとされる
生活綴方教育実践とは、子どもに自己の生活をありのままに文章表現することを促して、文章表現指導と並行して、自己の生活の見方、考え方、感じ方、行動の仕方を指導して、生き方の探求を促す指導をすること」
http://portal.dl.saga-u.ac.jp/handle/123456789/119415

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