城・攻城戦(日本)

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東国剣記 @tougoku_kenki

『義久公譜中』『天正四年高原之城被攻時之衆盛』の「次ニ持具之事」中に鍬・かま・のこ・なたなどに混じって「よき(斧の古名)壱ツ」があったり、戦国後期にも斧の類は攻城や普請の道具としては戦場に持ち込まれた感じ。そういうものが不意に襲われた際に武器として使われる可能性も一応0ではない。

2023-10-13 21:26:36
ストライクフォース @kamaeatte

林子平「海国兵談」より、築城と攻城の心得。城の立派な外観で武徳を輝かし太平をもたらすという「見せる城」論や、有事の際の陣屋や寺社での抗戦に言及しているのは興味深い。また横矢については難しく言う者も多いがこれだけのことである、とも書いており、これは軍学諸流派を批判したものともとれる pic.twitter.com/vBqJUzvP73

2023-11-16 20:05:28
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ストライクフォース @kamaeatte

籠城の心得。子平は兵糧米には保存がきく糒がよく、実際に百年以上前の糒を食べてみたが問題なかったと書いている。しかし籠城は一曲輪単位で全滅していくべきというのは柔軟性に欠けるようにも思う。そして安定の石落とし煮え湯と糞尿。(溜池に溜めるのはさすがに不衛生では...)。 pic.twitter.com/6AFyLeGQlt

2023-11-16 20:07:02
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ストライクフォース @kamaeatte

それにしても見せる城とか投石、糞尿や煮え湯をまく、寺社を城外の砦とするなど、ライト層向けの本等でよく見かける諸々は一応「海国兵談」にすべて書かれているので、一応は根拠があったことになる。もちろんこれは江戸後期の太平の世の書物だし、鵜呑みにできないことは言うまでもないのではあるが

2023-11-16 20:08:29
ストライクフォース @kamaeatte

しかし江戸時代の人がこれだけ城内から糞尿をまきたがるのはやはり太平記の強い影響があるんでしょうね

2023-11-16 20:49:54
ストライクフォース @kamaeatte

「城取りの軍事学」の中で西股総生氏は縄張研究の観点から、戦国期の城=民衆の避難所説について、そのような事例はあるものの一般化することはできず、大名側は領民を保護する意識が希薄で、戦国大名の城は「どう考えても非戦闘員を収容するような構造とはなっていない」と指摘されています。

2023-11-25 13:37:42
ストライクフォース @kamaeatte

いわゆる「村の城」についても、どこか目立たない場所に隠れていただけで、実際には城と呼べるようなものではなかったのではないか?とのこと。例外はあるのでしょうが、有事の際に大名や領主が城に領民を避難させていた...というイメージは幻想に近いのではないでしょうか。

2023-11-25 13:45:31
武図書 @take10syo

@kamaeatte 安濃津城では、城下の民を大勢、城内に収容していたそうです。 ……民が離反しない為の「人質」として。 西軍の砲火で多数が犠牲になり、木食上人が報復勧告をする際に、これ以上民を犠牲にするなと交渉材料にしたとも。

2023-11-25 13:49:19
ストライクフォース @kamaeatte

@take10syo そういえば、近世城郭にも人質曲輪があったりするし軍学書でも領民の人質を収容することについて書かれていますね...

2023-11-25 14:22:59
イッヌ クッマ @bw8d3wuDoBXzqUH

@kamaeatte 失礼します。 日本列島は山や森林で満ちているのでわざわざコストを掛けて城を建造するよりも民衆はそこに隠れた方が良いという感じですかね。 城砦は戦闘で有利な場所や交通の要衝を確保する為に建てるのであって戦わずに逃げ散って隠れるだけなら、山や森林に隠れた方が良いという感じでしょうか。

2023-11-25 20:05:22
ストライクフォース @kamaeatte

@bw8d3wuDoBXzqUH そのようなことも書いてありました。城があるような場所(人がよく通る場所)は目立つので、そうではない場所に隠れたのではないか?ということですね。

2023-11-25 20:10:23
黒住和隆 @qEWAU5TVs8A9HIZ

@kamaeatte @bw8d3wuDoBXzqUH 領民にとっても領主の城に避難する利点はあまりない、と西股氏も書いてましたね。 避難できたとしても城域外縁部(=激戦区)にしか入れないし、下手すりゃ城兵に財産もぎ取られるだろうし、と。

2023-11-25 22:51:46
樋口左衛門尉隆晴 @saemonhiguchi

領主と領民はあるていど対等な関係(年貢を払うから、守って貰える)、戦乱とかでそれができなくなると、領民は避難するし、年貢を払わなくなる。で、城下町が形成されると一部の領民は城に逃げるときもあるが、それは領民が戦争に巻き込まれることでもある。

2023-11-25 19:06:23
樋口左衛門尉隆晴 @saemonhiguchi

村の城論は、戦争に関係なさそうな山奥に城類似の施設跡があったり、城の一部に生活痕跡がない曲輪が発見されたりで、「山に籠る」とかいう文書なので出てきた論なんだけど、文字通り「山に籠った」ほうが戦争しているほうから相手にされないので、安全なんだよな。

2023-11-25 19:09:20
樋口左衛門尉隆晴 @saemonhiguchi

なので村の城論に疑義を呈する城郭研究者は少なからずいます。オレもまぁそう考えている。

2023-11-25 19:10:29
にぬいま けじん @taihuu17ame

@kamaeatte 戦争は忌まわしく繰り返すことは愚かだけれど、国が富み兵が強ければこそ得られる平和もある。兵器や要塞を忌み嫌う必要はない。 お城を見て調べてそういう歴史を紐解くのも一興。

2023-11-24 12:25:59
ストライクフォース @kamaeatte

そういえば、「海国兵談」には異国では郭を構えて民を守り郭の外には人家がない、日本にはこの郭がなく、あったとしても民を守ることを重視しておらず、籠城となれば城下の民は捨て置かれる...などとあって、少なくとも林子平は近世城郭の総構を民衆を守るものとは見なしていなかったことがわかる。 twitter.com/kamaeatte/stat…

2023-11-28 18:46:09
東国剣記 @tougoku_kenki

また幕府方の大軍にこういった包囲をされながら長期に渡って耐えた結城城が平城である点に注目してほしいと思います。先日の関城・大宝城などもそうですが北朝方・幕府方という大勢力を相手に一定期間凌ぐ防御力を持った平城というのも戦国以前に存在していたことになります。 twitter.com/tougoku_kenki/…

2023-12-07 21:12:06
東国剣記 @tougoku_kenki

『永享記』等で既に見ていたが、元である『鎌倉持氏記』でも城を攻める幕府方の上杉清方・持朝の指示で千葉・土岐の陣前に十余丈の井楼を二重三重に組ませていた記述があることを確認。櫓のサイズに誇張はあろうにしても、この種の戦術も室町幕府六代義教の時代には既に大規模に行われていたらしい。 pic.twitter.com/WG2bt1aYAr

2023-12-07 20:55:02
樋口左衛門尉隆晴 @saemonhiguchi

南北朝から室町時代にかけての城って、よくわからないんだけど、縄張はどうもしょぼくて(斎藤慎一さんの著作に負うところが大きい)も、作事はそれなりのものがありそうなんですよね。で、それは武器とか軍隊の構造から攻城側の攻撃力がさほどでもないところからきているんじゃないかと。

2023-12-07 21:23:33
樋口左衛門尉隆晴 @saemonhiguchi

で、戦国後半から縄張がすごくなる(とくに境目の城)。これってこのころから急速に攻城側の攻撃力が増すからだと。そしてそれは武器とか軍隊の構造に裏付けられる。

2023-12-07 21:26:16
樋口左衛門尉隆晴 @saemonhiguchi

さらに戦国末期から近世初頭にかけて、城の防御力が優越するようになる。 これって戦争を「攻防二元論」で観た場合は普遍的なものなんですね。

2023-12-07 21:28:00
山本ゾンビ@堺台場シンポ'24どうする? @yamamoto_zombie

@saemonhiguchi 「以降に改変されてない」ってことが、ほぼでもいいから確定戦ことには、南北朝の城の実態がわからんですからね…千早赤阪城塞群の調査の流れがこのまま進めばいつか…😣 まぁ兵力・労働力・経済力・技術者の保有具合などなど考えたら、それほど立派ではないだろうとは思いますけども。

2023-12-08 01:08:36
東国剣記 @tougoku_kenki

北朝相手に二年くらい頑張った関城や室町幕府相手に半年以上籠城した結城城等、茨城県内だけでも南北朝~室町に大勢力を迎え撃ってそれなりの期間耐えた平城がありますね。よほど湿地や川などをうまく生かしたり当時なりに巧みな縄張りがなされていたんでしょうか。

2023-12-06 01:02:23
東国剣記 @tougoku_kenki

関城には攻め落とすために掘られた坑道が残り、結城城は軍記によっては攻城のための大櫓が築かれたとある。平城であってもそうした特別な方法で攻めないと落ちないと考えられた模様。

2023-12-06 01:03:54
樋口左衛門尉隆晴 @saemonhiguchi

南北朝時代から平城あるし、近世城郭も山城あるし、けっきょく戦域や支配した土地の地勢に左右されるだけでしょ。 twitter.com/TA5vWI4SfJVHCG…

2023-12-05 23:59:02
佐々木 司 @TA5vWI4SfJVHCGa

日本式城郭は山城がベースにあって、平城でも山城を平山城を経て平地に作成したような推移があるので、結果的に稜堡式のような性質を獲得したところがありますね。 中世西欧の主流の集中式城郭は古代ローマの都市城壁の影響が強く、カーテンウォールは高さがあり厚みがあまりないタイプのものなので、 twitter.com/rUyaCVtIiRxgC9…

2023-12-05 06:47:11
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