城・攻城戦(日本)

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樋口左衛門尉隆晴 @saemonhiguchi

つーことです。 ただし攻城側の火力が強いと、逆に集中的な火力を浴びることになる。なので関ヶ原後の徳川系城郭では内枡形が多くなる。さらに付け加えると戦国期の内枡形と徳川城郭の内枡形は別物。 twitter.com/kamaeatte/stat…

2023-12-08 21:23:21
ストライクフォース @kamaeatte

織豊系城郭の特徴である嘴状虎口(外枡形虎口)は出撃性に優れる、という話に今まで実感が湧かなかったが、安土城の黒鉄門を見て何となくわかってきた。外側に張り出した櫓台や石塁から火力で周囲を制圧でき、その間に外側の門までにじり寄った逆襲部隊が機を見て出撃できる利点があるということらしい pic.twitter.com/Qb1J1ycZrH

2023-12-08 20:36:51
樋口左衛門尉隆晴 @saemonhiguchi

突出した陣地や戦線は敵の集中をうけやすいというのも軍事の普遍的要素ですね。 ちなみにヴォーバンの稜堡式築城は幾何学によってそうした突出部も他の突出部から掩護されるようになっている。

2023-12-08 21:35:57
東国剣記 @tougoku_kenki

南北朝時代の軍忠状では攻城側が槍傷突傷を負うケースはあるにしても戦国期とは違い量は多くない辺り、高所や防御施設にとりついてきた敵を長物で突く、突き落とす戦術もさほど行われていなかったようにも見受けられます。攻め方守り方も戦国ほど洗練されてはいなかったんじゃないかと。

2023-12-07 21:48:12
東国剣記 @tougoku_kenki

『太平記』にも防御施設から槍薙刀を突き出すのは一応記述があり、ヤリの初見とされる軍忠状も大光寺館という城館を攻めた際の負傷なので、この時代から既に城方の防御に使われていたのは間違いないです。ただ城攻めの際圧倒的に受けることが多い矢傷に比べると微量と言っていい程度になります。

2023-12-07 21:54:35
東国剣記 @tougoku_kenki

先日の「鉾」による突き傷も「河曲口」という所での合戦になるが、やはり宇津峰城に関連した城館関係ということらしい。どこまで防御施設が絡んだかはわからないが。 twitter.com/tougoku_kenki/… pic.twitter.com/5TBwPRF5nx

2023-12-07 23:17:18
東国剣記 @tougoku_kenki

文和二年『佐原宗連軍忠状』では当時普及してきた鑓で突かれたと思われる傷に関して「小鬢以”鉾”被築(突)」と「鉾」という言葉を持ち出してきている。袋状のソケット式が鉾(矛)で柄に差し込む茎式なのが鑓などという分類はあくまで後世の認識だと改めて思い知らされる。

2023-12-06 20:48:18
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土塁

某研究者 @boukenkyuu

@kerpanen @Ryu_mai001 ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F… >土塁の法面に、草を植えて繁殖させることで土塁崩壊を防いだ。芝を植えたものを芝土居(しばどい、しばどゐ)といい、積土に芝を混ぜ叩き固めたものもある。植えられる草は芝だけでなく、ジャノヒゲ、小笹、熊笹、竹なども植えられた[1][2]。

2021-04-27 17:51:09
某研究者 @boukenkyuu

@kerpanen @Ryu_mai001 大阪冬の陣図の真田丸の土塁は緑色だから WIKIPEDIAにある様な 芝等の草が植えられている表現が成されていると言う事なのだろうか pic.twitter.com/MKAPK1PKkV

2021-04-27 17:59:01
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市村弘(梅本弘 または ローガン梅本) @kerpanen

@boukenkyuu @Ryu_mai001 やはり土が剥き出しでは崩れやすかったのではないでしょうか。 土は崩れないけど、摑むとすぐに抜けちゃって、しかも滑る「草を生やす」と言うのが理想ですよね。 そうそう都合よく行ったのか、そうできたのか、その辺がわからないところです。

2021-04-27 20:55:14
某研究者 @boukenkyuu

@kerpanen @Ryu_mai001 japan-castle.website/oshiro-lesson/… 芝を植えた芝土井は 崩れ難く60度迄傾斜させられるが 芝は掴まれない様に 定期的に短く刈っていたと言う事だろうか

2021-04-27 21:35:53
市村弘(梅本弘 または ローガン梅本) @kerpanen

@boukenkyuu @Ryu_mai001 わかりやすい、貴重な資料のご紹介、ありがとうございます。伸びた芝を刈ると言っても、剪定鋏のようなものがなかったとすると、たいへん手間のかかる作業だったでしょうね。そもそも足場が急斜面で滑りやすく作ってあるわけですから。

2021-04-28 05:25:02
某研究者 @boukenkyuu

@kerpanen @Ryu_mai001 scn-net.ne.jp/~yanya/rennjyo… 粘土がむき出しの たたき土井だったとされる小田原城の土塁も 今は草が生えているが 草は芝土井同様に 短く刈っていたのだろうか

2021-04-27 21:54:50
市村弘(梅本弘 または ローガン梅本) @kerpanen

@boukenkyuu @Ryu_mai001 切岸をどういう風に管理して、どんな状態に保っていたのか、今まで考えたこともありませんでしたが、自分で登ってみると疑問と興味が湧いて来ますね。

2021-04-28 05:17:25
某研究者 @boukenkyuu

pinterest.jp/pin/3436106465… twitter.com/boukenkyuu/sta… 一方で秋夜長物語絵巻の土塁だと 草は明確には描かれないと言う事なのかだが

2021-04-27 20:34:36
某研究者 @boukenkyuu

秋夜長物語の土塁は平面的だから 版築土塁の可能性も有るのだろうか 此れは草は 生えないと言う事なのかだが

2021-04-27 23:38:26
某研究者 @boukenkyuu

ameblo.jp/chouzetu-mypac… 7世紀の鬼ノ城だと 復元された版築土塀が有るが 草は生えてないと言う事だろうか

2021-04-27 23:42:17
某研究者 @boukenkyuu

pinterest.jp/pin/3436106465… 小田原城の粘土がむき出しとされる土塁も 草が描かれている絵も有ると言う事だろうか

2021-04-28 09:46:59
某研究者 @boukenkyuu

長篠合戦の信長・徳川軍の土塁だと 合戦時に草は無いと言う事だろうか

2021-04-28 12:49:39
某研究者 @boukenkyuu

下は 秋夜長物語絵巻の土塁を参考に描かれていると言う事なのかだが pic.twitter.com/beBsovrYBg

2021-04-28 13:02:50
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某研究者 @boukenkyuu

津軽屏風の大垣城の土塁は緑色では無いし 土が出ているたたき土井の可能性も有るのかだが 櫓のみ石垣が有ると言う事なのかだが pic.twitter.com/rIPxt0ld64

2021-05-02 18:47:52
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某研究者 @boukenkyuu

pinterest.jp/pin/3436106465… 朝鮮軍陣図屏風の土塁は 緑色で描かれるから 芝土居の可能性も有るのかだが

2021-05-02 19:01:42
ストライクフォース @kamaeatte

寛正四年(1464年)成立の就弓馬儀大概聞書には「どての広さ五尺なく候へば、弓いられず候也」とある。残っている土塁の用途を考えるうえで参考になるかも?

2023-07-03 19:57:33

ビジュアル再現 村上城 @vr_murakamijo

国会図書館のデジタルアーカイブで「築城記」が見られるんだが、「サク木」の記述を踏まえて立体化すると右側のような感じになる。縦材の密度は「瀬波郡絵図」を参考に作ってるのと同じでいいみたいだが、横材は4本渡すとある。 dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid… pic.twitter.com/iKvNNGlY1n

2021-04-29 15:02:45
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ビジュアル再現 村上城 @vr_murakamijo

かといって「築城記」と同様の工法にこだわるかというとそうでもない気がする。地域による違いもあるだろうし、防御上の優先度によって、同じ城でも場所により工法が違うこともあろう。…ということで、当面は「一応の説明がつく程度に適当につくっとく」しかないか。(いつもの適当なパターンだが)

2021-04-29 15:13:03
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