長音符の使用は、どこまで遡れるか?
ご教示ありがとうございます。大変参考になりました。QT @okjma 該当箇所は http://t.co/tLdFE0m (沼本克明『日本漢字音の歴史的研究』p.1017による)。実際の使用例は今お示しできるものがありませんが、長かったり短かったり、という感じだったと思います。
2011-08-30 01:30:37当方カナの綴りを「割って」読むという概念自体初めて知ったほど不勉強でありました故、たいへん勉強になりました。重ねてのご教示ありがとうございます。 @okjma
2011-08-30 05:49:54長音符「ー」の使用例を探して、1670年刊の山脇道円『阿蘭陀流外科書』(外題:『外科良方』) http://t.co/BhbhJsZ に辿り着いた(やや疑問は残るが)。17世紀の初期蘭方医学書は書写期不明の写本としてのみ伝わるものが多いが、これは版本としては最古の部類だと思う。
2011-08-30 20:25:56版本での長音符使用例として、より確実に思われるのは、1765年『紅毛談』 http://t.co/CoMZgGW 1767年『外科訓蒙図彙』 http://t.co/M3zvFac (通商考より古い1684年刊『紅毛外科療治集』1696年刊『阿蘭陀外科指南』は未見のため不明)
2011-08-30 20:30:541771年『和蘭訳文畧艸稿』には、「其ノ引呼スル者ハ字下ニ竪点ーヲ添フ(中略)是訳家嘗テ此例アリ」 http://t.co/0ljghQb の記述がある(ただし書写年不明)。「訳家嘗テ此例アリ」という認識。他にも発音を表記する工夫が解説されていて面白い。
2011-08-30 20:42:011788年『蘭学階梯』では、横書き中の長音符に縦書きと同じものを用いていることが見られる http://t.co/zLumjVB 。このスタイルは結構後まで続いたが、横書き型の長音符の初期使用例はまだ見つけていない。
2011-08-30 20:45:31ヴォルフガング・ミヒェル「初期紅毛流外科と儒医向井元升について」 日本医史学雑誌、第56巻第3号(2010年9月)pp. 367-385. http://t.co/vlHX9e0
2011-08-30 20:58:00この「横書き」は「1行1字詰めの縦書き」と区別できないんじゃないかと愚考。横倒しの長音符は江戸末か明治初じゃないかと予想するんですが。 @2SC1815J 1788年『蘭学階梯』では、横書き中の長音符に縦書きと同じものを用いていることが見られる
2011-08-30 21:16:41@uakira2 右横書きなら素直に「1行1字詰めの縦書き」と思ったのですが、左横書きでも縦棒なのがちょっと面白く感じたもので。1857年『訓点和蘭文典』 http://t.co/gtNijh3 のように行送り方向まで左から右にしている例もあるくらいで、辞書類は面白いですね。
2011-08-30 21:40:57日本語の書記方向は深いですよね。どう見てもこれは左横書きだろっていう『表説物理学』(明三九)に、縦方向の長音符と横方向の長音符が混在してるのを見かけたこと http://t.co/Q9sy1fy がありました。 @2SC1815J
2011-08-30 21:52:44きめうきめう! RT @uakira2: 日本語の書記方向は深いですよね。どう見てもこれは左横書きだろっていう『表説物理学』(明三九)に、縦方向の長音符と横方向の長音符が混在してるのを見かけたこと http://t.co/uwqBEZo がありました。
2011-08-30 22:05:53ここ数日で、これまでの人生で目にした数を超える「南蛮」「紅毛」の文字を摂取した気がする。カレーを温めて、カレー南蛮を食べよう。
2011-08-30 22:30:42第二章
『和蘭風説書集成』上下を借覧。1692元禄五年風説書其一に「ホーゴドイチ」例有り(年番通詞楢林新右衛門・加福善兵衛)。但このHoog Duitschは1698元禄十一年風説書では「ホウコドイチ」(年番通詞馬田市郎兵衛・岩瀬徳兵衛)。その後暫く長音符は途絶。
2011-10-09 20:23:30次に長音符が現れるのは1771明和八年風説書「デーネマルカ之船」云々。一方で同年新カピタンの名を「アヽレント・ウヱルレム・ヘイト」と繰り返し符号優先で記述(年番通詞今村源右衛門・名村元次郎)。翌1772安永元年風説書には「シベーリ国」の例あり(年番通詞吉雄幸左衛門・吉雄作次郎)。
2011-10-09 20:29:04また暫く長音符が消え、次は1797寛政九年風説書。「デーネマルコ」「スエーデン」の用例有り(年番通詞名村多吉郎・本木庄左衛門)。この後はほぼ途切れずに長音符が使われている。
2011-10-09 20:32:43風説書原本が唯一現存するこの1797寛政九年の内容については、杉田玄白の日記、寛政九年七月十二日の條に「トルコ戦ヒスウエーテン・コストも乱ルヽよし申上」などと記されているのが見えるのだという(風説書集成66-67頁)。
2011-10-09 20:37:36このあたり http://t.co/2jOxxWug の @2SC1815J さんの話にリンクするような状況に見えるところが、興味深い。
2011-10-09 20:38:51和蘭風説書の翻刻としては『大日本古文書 幕末外国関係文書』の方が変体仮名を多く活字化するなど気合いが入っていたように思うけど、肝心の1700年前後の風説書が大日本古文書に採られてたかどうか、本木昌造に関係が薄い箇所をほとんど見てない己、さっぱり憶えてないよ。
2011-10-09 20:42:35.@uakira2 さんご指摘の1797(寛政9)年の和蘭風説書、原本の写真版 http://t.co/9MTVIHQj を見ると確かに「デーネマルコ」「スヱーデン」と長音符が確認できる(翻刻は http://t.co/3EruK6no )。1692年の風説書も写真で見てみたい。
2011-10-10 00:30:241670(寛文10)年刊の山脇道円『阿蘭陀流外科書』(外題:『外科良方』) http://t.co/2rr9K2oF に見られる「ソツヒリマアー」はオランダ語のsublimaat(昇汞)だろうと気付いて、これは長音符の使用例であるとの確信が深まった。 @2SC1815J
2011-10-10 22:00:34(山脇道円『阿蘭陀流外科書』目録 http://t.co/2rr9K2oF の「ヘレスヒタル」はprecipitat(沈殿物)「ソツヒリマアー」はsublimaat(昇汞)「ラフメント」はlavement(洗薬)と推測。)
2011-10-10 22:02:301649年に来日したカスパル・シャムベルゲルの治療法について資料が残され始めるのが1650年。長音符の使用例を紅毛流外科(カスパル流外科)関係に求めて、山脇道円『阿蘭陀流外科書』(1670年刊)まで追えたが、写本や手書き資料であれば1650年あたりまで遡れるのかもしれない。
2011-10-10 22:05:11さらに遡って、1555年に再来日したルイス・デ・アルメイダによる南蛮流外科関係の資料には、長音符の使用は見られないだろうか? 例えば山本玄仙『万外集要』(1619年刊)や沢野忠庵『南蛮流外科書』などを確認してみたいが未見。
2011-10-10 22:07:51