内部被曝は“何シーベルト”という形で評価できるのか?児玉龍彦氏の発言・論文をめぐるやり取りなど
- hijijikiki
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4児玉氏紹介文3では近年のゲノム分析の急速な発展により、染色体や遺伝子の異常を見出すことにより新たな方法で病因特定が可能になりつつあることを示す。チェルノ甲状腺癌では内部被曝による染色体異常の立証に近づいている。疫学やEBM的発想でなく放射線の病因特定が可能になりつつある。
2011-09-30 08:42:255線量の多寡を調べることが重要でないというわけではない。線量の多いことがそのまま発症要因でない。病因となる核種によって挙動が大いに異なり総線量で知れることに限界があるが、総線量が多いと内部被曝の可能性が高くなるのは確か。だから線量を対策の基礎とするのはそれなりの意義がある。
2011-09-30 08:43:296以上は内部被曝の危険性について、疫学と線量評価を論拠にそれを否定しようとしてきた古いタイプの医学にとっては脅威。なお、疫学と線量評価への依存があやしいということは広島・長崎の疫学やチェルノの被害の疫学による楽観論の基礎に加害者側の被害過小評価があるという論点と補強しあう。
2011-09-30 08:44:377疫学ベースの内部被曝過小評価が崩れると、過小評価をめぐる論点は他の方向へ移動する。その一つは「不安」論、もう一つは「差別」論。これらは科学コミュにケーション論の問題であるとともに、心理、倫理、政治、精神文化の問題。自然科学の領域から人文社会科学や公共哲学の領域に移行。
2011-09-30 08:45:458児玉氏の「逆システム論」には「不安」論や「差別」論に関わる論点も準備されていると思うが、ここでは私なりの理解を示す。まず、内部被曝を重視すると人々の不安が増幅するのでよくないという議論がある。しかし、真実を理解しできるだけの対策をとり生活支援することこそ最大の不安対策では?
2011-09-30 08:47:199真実を隠して「健康に影響はない」と言い住民の「不安を取り去る」のが専門家の最大の任務と放射線の多くの専門家たちは考え横並びにその主張をしてきた。しかし強制避難、家畜処分、作物廃棄など次々と不安を証す事柄が出て来て「安心」論が信用されなくなり不安が増幅されたというのが実情。
2011-09-30 08:48:0910リスクを過小評価し対策をとらないことは、地域住民の無力感を強める。ともにリスクと取り組み克服していくための対策をとることが汚染による困難と闘う気力をもたらす。政府・自治体・専門家・マスコミが「安全」論によって対策を軽視することが絶望感を招き、やり場のない怒りをかき立ててきた。
2011-09-30 08:49:1711次に放射線の健康被害の可能性を示すことが差別に手を貸すという論がある。が、生産地の住民も危うい食物は食べたくない。消費者に害を及ぼすような生産物を流通させたくないという生産者は多い。それによる不利益は補償するのが当然。消費者が納得する基準による広範な検査と情報開示を行うべき。
2011-09-30 08:51:1912信頼できる流通を確保するのが生産者消費者双方の利益。相互信頼が差別をなくす方向に作用。被害がありうるかどうか隠されていると思うと疑心暗鬼になり差別誘引の要因。情報を隠すことで差別を防げるというのは幻想。情報開示により自由討議と公共心の活性化を図るべき。(以上で区切りです)
2011-09-30 08:51:43この続きは、トゥギャリ:「内部被曝について:島薗進氏 @Shimazono の児玉龍彦氏発言・論文へのコメント・やり取りなど」 http://togetter.com/li/196554 にまとめました。
関連する島薗進氏についてのまとめ
なぜ放射能安全論/慎重論に分かれるのか? 宗教学者・島薗進の考察「因果関係が特定できなくても可能性が高いので対策はとるべき、それは科学者専権ではない市民参加の領域というのが対策派」 http://t.co/ezn92LcV
2011-09-29 13:23:58