言語・数学と科学・物理について
「数式としては書けるけど,よく考えてみると意味がわからない」っていうのは,理論物理学者さんへの取材ではよく聞く台詞だ。
2012-12-27 00:19:15@ayafuruta 数式の解釈はいろいろあり得る.同じ連立一次方程式が鶴亀算を表したり,直線の交点の座標を表したりする.そしてそれは,鶴亀算も直線の交点も本質的には同じものの違った見え方であることを我々に教えてくれる.数式とはそういうものだ.
2012-12-27 00:23:52数学が自然現象と対応しているという保証は実はどこにもないのだが,数学で語ることによる成功体験があまりに強烈なので,そこんとこはとかく忘れがち>自分。
2012-12-27 00:27:21それはその通りだと思いますが(だからこそ数学を使うわけですが),ある数学を選んで自然を記述すると,それを選んだことによって切り捨てられる部分は常にある。それは物理(だけではないが)にとっては重要な点かもしれないわけで,そのことは自覚しておいた方がいいよ,という話ではないかと。
2012-12-27 00:36:43あ,物理と数学の話になっちゃったけど,これ,もとは(自然)言語によって人間の思考はどう影響されるか,という話でした。
2012-12-27 00:44:32数学と物理、あるいは、「言語・数学と、数学以外の科学」と言った方がよいかもしれませんが、昨日、これらの関係について思うところをつぶやきました。
2012-12-27 18:06:02たしかに数学と物理の関係は深いし、昔は一人の人が両方の研究をしていたこともあるし、非常に成功している関係だと言えるでしょう。
2012-12-27 18:06:19怒られるかもしれませんが、端的に言ってしまうと、数学者は、言葉を厳格に扱う鍛錬をしていますが、現実世界がどうなっているかよく知らない。この一言に尽きると思います。
2012-12-27 18:07:07理論物理に関わっている数学者と話をすると、現実に近いモデルと、あまりリアリティのないモデルとの区別がついていない、ものの大きさを知らない、理論の守備範囲を知らない、他の理論がどうなっているか知らない、現実に何ができて何ができないのかを知らないのだなと思うことがしばしばあります。
2012-12-27 18:07:50量子力学を勉強しはじめた数学者が、シュテルン-ゲルラッハの実験を理解するためには電磁気学や原子物理の知識が必要だということに気づいて、そういうことをちゃんと書いていない教科書の不備に不満をもらしていたことがあります。
2012-12-27 18:08:44「量子力学の教科書ならちゃんと量子力学だけで説明できる実験を取り上げるか、他の知識が必要ならそのことも書けよ、こんなに学習者に不親切な本でいいのか」という趣旨のクレームなのです。
2012-12-27 18:09:24「ちょっと待ってよ、自然が純粋に量子力学だけで説明できる現象を見せてくれるのかよ!そうじゃないだろ、自然界は、人間の量子力学とか電磁気学とかの分野分けなんかおかまいなしに自然に振る舞っているだけだろ!なんで自然が学習者に親切な現象を起こさなきゃいけないんだ!」と私は思いました。
2012-12-27 18:10:42自然現象は学習者が理解しやすいように分野ごとに起きているわけではありません。どんな自然現象も「雑多な」現象だし、理解するには雑学的知識を組み立てる必要があります。
2012-12-27 18:11:14それが学習者に親切な書き方か?という疑問はありますが、ともかく「何も知らないが、先入観はなく、早合点することもなく、一度聞いたことは決して忘れないロボット」に教え込むかのように数学の本は書かれることが一種のマナーになっています。
2012-12-27 18:12:26そういうふうに純化された体系だからこそ数学は厳密な論理構成ができるのですが、しばしば数学者はそのような都合のよい部分を世界から切り出していることを忘れてしまっているようなのです。
2012-12-27 18:12:45「都合のよい部分を切り出している」では褒めているように聞こえませんが、よい言い方をすれば「ものごとの本質を抽出している」ということでしょう。もちろん抽象の裏には捨象があるわけですが。
2012-12-27 18:13:33自然言語では捉えられない・語れない・予測もできないようなことを扱える数学を創ってほしいと思うのです。人間の関心・思考の枠・できれば行動範囲も広げるような数学を創ってほしいと思うのです。
2012-12-27 18:14:19