『体罰は戦後に発生した』は有り得ない
- crowserpent
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@t_wak これなんですけどね……体罰が根付いた経緯 http://t.co/elyh4gk6 体罰の起源は戦後、軍隊あがりの教師によるもの――という説なんですが、戦前によっぽど病弱でない限り、内務班教育を身を持って体験していない壮丁がいたのか、と。
2013-01-25 09:23:15読みました。デタラメもいいところですね。たしかにこれは酷い。 RT @hayakawa2600: t_wak これなんですけどね……体罰が根付いた経緯 http://t.co/Kb45BRqh 体罰の起源は戦後、軍隊あがりの教師によるもの――という説なんですが……
2013-01-25 23:22:43うわぁ、これは酷いデタラメだ。明治~昭和戦前期の本や新聞雑誌の記事をある程度読んでいれば、当時も体罰が行われていたことくらい知っているはずなんだけれどなぁ。 http://t.co/uztViCLx
2013-01-25 23:33:55体罰軍隊起源説は本当に馬鹿馬鹿しい。娑婆で懲罰的な暴力が横行していたからこそ、娑婆から隔絶していたがゆえに兵営内に於いてそれがより激しい形となって現れた。ただそれだけ。 http://t.co/Kb45BRqh
2013-01-25 23:37:53学校に限らず、懲罰の意味でふるわれる暴力が日本社会では概ね日常的にあったというのは、当時の本をちょっとでも読めば容易に気付く筈。たとえば『職工事情』を読めば、実に陰惨な「体罰」が労働の場で横行していたことがわかる。中には性的虐待としか思えない例もあったり。
2013-01-25 23:41:40さらに言えば、戦前の教師は多くが軍隊帰り。というのも、そういう制度がありまして、師範学校を出たらですね、半年間の現役を勤めて伍長で娑婆に戻ってくるんです。で、小学校の教師になる。別の言い方をすれば、昭和戦前期、小学校の男教師は殆んどが予備の下士官なんです。
2013-01-25 23:45:28学生生徒同士の暴力も凄くて、たしか前にも呟いたが、明治の昔、師範附属の中学に通っていた永井壮吉君が文学に傾倒しだしたとき、同級だった寺内君から「軟弱だ」といって殴られた。壮吉君は後の永井荷風。寺内君の名は寿一といって、こちらはアジア・太平洋戦争で南方軍の総司令官になる人。
2013-01-25 23:55:00それ、半藤一利氏の本で読みましたよ、荷風さんの昭和 @t_wak https://t.co/zd8VOGBS
2013-01-26 17:13:42今は体罰と言うけれど、昔は折檻と言って、前近代ではかなり惨いことも行われていたらしい。よく引き合いに出される、日本の子どもは欧州の子どもと異なって大切に扱われるという例の報告、あれは正直、かなり間引いて読んだ方がいい。(1/5)
2013-01-26 02:11:05出典を忘れちゃったんでこれは記憶に頼って書くんですが、大戦末期の確か大阪あたりで、何人かの少年労働者が姿を消すという出来事があった。「いい仕事があるから」と言葉巧みに誘って、瀬戸内海だったかな、そこの、とある漁村に連れて行かれる。態のいい誘拐ですね。(2/5)
2013-01-26 02:11:34で、その漁村における少年労働力の扱いがこれまた酷い。思うような働きが得られないと、少年を箱に閉じ込めるという折檻をやる。時には幾日も。そして、どうも飲まず食わずの糞尿まみれという状態で死んだ子もいたらしい。(3/5)
2013-01-26 02:12:42戦後、警察が突き止めてその村に行くと、「世の中が変わって新しい決まり事が出来たなんて知らなかった」とうそぶく。どうやら、箱に閉じ込めるというのは、その村のある意味「伝統的」な折檻だったらしいんだけれども。(4/5)
2013-01-26 02:13:21とまぁ、なんだか嘘みたいな話なんだけれど、これまた『職工事情』をひもとけば、箱に閉じ込めるところまでは行かないけれど、かなり酷い懲罰が若年労働力に対して行われていた事例を知ることが出来るんです。体罰が軍隊起源で戦後のものだなんて、嘘もいいところですよ。(5/5)
2013-01-26 02:14:00@t_wak 全く同感です。「大正以前の子育て環境に戻ろう」って、大正以前の日本には「子供」も「少年」も「家族」も定着していないのに。存在しない過去を捏造する懐古主義・保守主義は恐ろしい。
2013-01-26 16:21:18