山川賢一と藤田直哉の郵便本と動ポモの関係はこんな感じだと思う

カルト化しちゃうやばいやばい ↓ 大丈夫ヘーキヘーキカルト化しないって ↓ 馬鹿野郎俺はカルト化するぞ 続きを読む
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東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma

思想とか芸術とかを学ぶため修行するのは、そういう「内輪」に入るために修行するのであり(そしていつまでも入れないひともいる)、あらゆる人間に完全に開かれ、数分で理解できるオープンな知識なるものはそもそも思想とか芸術とかではないのではなかろうか。

2014-07-16 16:07:39
ロードランナー様 @shinkai35

車の運転だって数分で習得は出来ないが、内輪だけの閉じた知識でもない。①誰にでも開かれ数分で理解できるオープンな知識②修行し内輪に入ることでのみ得られる知識、という極端な二項対立を作ることで閉鎖化を肯定する論法がそもそもごまかしくさい twitter.com/hazuma/status/…

2014-07-17 01:04:03
ロードランナー様 @shinkai35

東さんは出世作「存在論的、郵便的」で、デリダが超難解な本を書いたのは、デリダ派という内輪の共同体を解体するためだった、という内容のことを書いてた気がするんだけど、今の東さんは、そういうデリダの苦闘は無意味だったとお考えなのかな。 twitter.com/hazuma/status/…

2014-07-17 01:11:13
ロードランナー様 @shinkai35

まあどうでもいいんすけどね

2014-07-17 01:12:34
東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma

ソーカルの偽論文とのち出版された書籍は確かによくできていて、あれがどううまく出来ているかを理解するには、逆にポストモダン思想の知識がなければなりません。というわけで、ポストモダン思想知らないで「ソーカルでポストモダンは全部終わった」とか言っているひとは、無視していいと思います。

2014-07-17 18:21:55
ロードランナー様 @shinkai35

ソーカル論文はでたらめを書いてるはずなのになんとなく意味がわかってしまう、「知の欺瞞」に引用されてるドゥルーズのほうがよっぽど意味不明なので、ソーカル論文には正気の人間の限界を感じた、と大学時代の先輩が言っていたことを思い出した

2014-07-18 14:39:49
ロードランナー様 @shinkai35

まあドゥルーズやデリダなんてどのみち読み通せる一般人たいしていないんだし、アカデミズムの領域で決着をつけてもらえばいいというのがおれの感想。

2014-07-18 14:52:17
ロードランナー様 @shinkai35

そして東浩紀のオタク論等を批判するのに、それらの思想に精通している必要はない。妥当性を検証するのにむちゃくちゃ手間がかかる思想を持ち出してきて、これを知らないお前にはおれの真意はわからない、と逃げるのが向こうの手だが、乗る必要はない

2014-07-18 14:57:36
ロードランナー様 @shinkai35

たとえデリダやドゥルーズやラカンが奥深く価値のあることを述べていたとしても、データベース消費論が破綻しているという結論は変わらないよ。それを示すために動ポモ大会をやったんだ。

2014-07-18 15:04:35
まとめ 山川賢一の『動ポモのどこがクソなのか大会』 追いにくかったのでとりあえず自分用にまとめました 117883 pv 1282 92 users 125
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

.@shinkai35 その破綻や矛盾と、『存在論的、郵便的』におけるデリダの論は、どういう関係になっているんでしょうかね。デリダについての論が、そういう二重性を肯定した上でその意義を説いているものだとしたら、次には、そこを撃たなくてはいけないかもしれませんね。

2014-07-18 15:06:55
ロードランナー様 @shinkai35

@naoya_fujita 郵便本は、「デリダは、読者が自分に転移してデリダ派という内輪の共同体を作ることを防ぐために中期の超難解な本を書いた、しかしその中期デリダを分析してる私もいつしかデリダ派になってしまった。こりゃいかんわ」という結論でしたよね。

2014-07-18 15:19:24
ロードランナー様 @shinkai35

@naoya_fujita つまり郵便本は①転移による共同体の形成を防がねばならない。しかし②中期デリダはそれに失敗した、という本だったわけです。なので、東さんにとって次の課題は、問題①を解決する独自の論理を組み立てることだったのではないか、と推測されます。

2014-07-18 15:23:30
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

.@shinkai35 結論部を単純化すると、そうでしたね。一度転移して、転移切断を受ける。そこで終わりでした(それが、良いのか悪いのかは、あの本で価値判断されていたかはわかりません。書き手の「驚き」そのものが、探偵小説の結末のように、感銘を与える終わり方でした)

2014-07-18 15:24:30
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

.@shinkai35 すると、山川さんの見解では、「友の会」などで「転移による共同体の形成」を行っている(趣味的・人格的、あるいは商売上必要なので仕方なく)今の状態は、『存在論的、郵便的』の意図を裏切っている、ということになるのでしょうか。

2014-07-18 15:26:36
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

.@shinkai35 ぼくが、前に「厄介だなぁ」と思ったのは、「転移切断」をすること自体を『存在論的、郵便的』の結論部に持ってきているので、「転移切断」をすること自体が、ある種の転移である、という構造もあるのだと思うのですよ。「転移切断」への転移、とでも言うか。

2014-07-18 15:27:58
ロードランナー様 @shinkai35

@naoya_fujita そして書かれたのが動ポモです。おそらくこの本は、「そもそも問題①を解決する必要はもはやない。なぜなら大きな物語の崩壊により、転移など起こさない人が増えているのだから」という意図のもとに書かれたのだとぼくは推察しています。

2014-07-18 15:29:02
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

ま、思想的に一貫性がなくてもいいとは思うけれども(一生同じ思想で揺らがない方が、機械みたいで怖いから)、その思想の揺らぎに責任を持ったり、過去の発言と矛盾しているときに、弁明して、読者に変化の軌跡を残すぐらいの誠実さは欲しいかなって思う。一般論。

2014-07-18 15:29:48
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

.@shinkai35 なるほど、「転移」問題は、近代的な人間には起きるけれども、近代的な内面がない「動物」は、転移は起こさない。そこに、オタクたちへの希望を見出したわけですね。そしてその前提(動物化とデータベース消費)が破たんすると、「転移の共同体」を防ぐ原理がないわけですね

2014-07-18 15:32:28
ロードランナー様 @shinkai35

@naoya_fujita だから動ポモでは、萌え要素への反応は動物的な欲求の充足だ(転移ではない)、という点にこだわっているのだと思います。そして、郵便本と動ポモが関係しているのは主にここまでで、あとは、③オタク動物化説が正しいことを示すための論証、がひたすら行われている

2014-07-18 15:37:13
ロードランナー様 @shinkai35

@naoya_fujita ぼくの動ポモ批判は、この③の段階が破綻だらけだ、というものなので、東のデリダ論の妥当性はあまり問題になりません。

2014-07-18 15:39:28
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

.@shinkai35 いや、まぁ、ぼくのかつて書いた「ゼロ年代批評の政治旋回」でも『動物化するポストモダン』を中心に扱って、矛盾などを指摘したのですが、その批判では、「矛盾」「二重性」「アイロニー」「パルマコン」やらで躱されるんですよw それを攻略するにはどうしたらいいかなと

2014-07-18 15:42:48
リンク http://nanasi-iinkai.hatenadiary.jp/ ゼロ年代批評の政治旋回――東浩紀論 - 名無し委員会 (本稿は、『別冊情況 思想理論篇』第二号に掲載されたものである) ゼロ年代批評の政治旋回――東浩紀論 藤田直哉 ゼロ年代批評の政治旋回!? 『思想地図²』vol.3(二〇一二)、特集「日本2.0」の巻頭言で、東浩紀は政治旋回宣言を行った。 日本はどうあるべきか。考えてみれば、ぼくたちは長いあいだ、その素朴な問いをこそ忘れてきた。停滞する政治を尻目に、消費社会のまどろみのなか、それがまどろみにすぎないことを知りながら、現実との直面を先送りにしてきた。(p44)。 ぼくたちは長いあいだ、自分たちがなにものか、
つおるあ @tuorua9876

@naoya_fujita @shinkai35 横から失礼。今日「動物化するポストモダン」を注文しました。「存在論的、郵便的」に転移という単語は出てこなかったのではないかと記憶しています。本は売ってしまったので、確実ではないですが。十年代批評にぼくも素人ながら参加したいです。

2014-07-18 16:02:41